2010年夏 フランス紀行 2010.7.7 セナンク修道院



	
	2010.7.7(水)曇り



	
	【セナンク修道院】
	清閑な佇まいのなかに修道院が立っている。回りはラベンダーだらけ。ラベンダー真っ盛りの季節に訪れた訳で、Wifeは大感激。
	駐車場に車を入れて修道院まで歩いていくが、その途中にもラベンダー畑が点在している。リュベロン地方に12世紀の創建当
	時のままの姿を残すロマネスク様式の修道院セナンクとそれを色どるラベンダー畑。  



	
	1148年にマザンからやってきた修道士が創設した。装飾を嫌う質素なシトー会派の修道院でその簡素な美しさに引かれる。修道
	院はラヴェンダー畑に囲まれており、7月頃には幻想的な雰囲気が来る人を魅了する。修道院の入口横にSHOPがあって、宗教関
	係の本やポスター・絵はがき等があり、ここで作られたラベンダー製品、ノンアルコールのワインも販売されている。
	見学は時間制になっていて、人数制限が50人までなので、行ってすぐ中を見ることは出来ない。チケットを購入して順番を待
	つ。




	
	セナンク修道院は12世紀半ば、1148年7月、ロワール川の源流域の標高1,100mの山深いマザンにあったシトー修道会系譜の大修
	道院から来た指導者、後にセナンクの大修道院長となるピエールと12人の修道士達により創建された。
	その後100年余りの間に、近郊の山からの石材の切り出しを初め、施設の建物を造り、屋根、壁面や床面の施工、増改築に至
	るまで全て修道士達自身の手により行われ、セナンクの修道院は徐々に拡張されて行く。その建築工法は装飾を限りなく省き、
	簡素性を主張するシトー修道会の精神を織り込んだ12世紀〜13世紀ロマネスク様式が採用された。中世のこの時代、修道院では
	自給自足が基本であり、平地の少ないセナンコルの谷間を上手に開墾して、野菜などを栽培する修道院の耕作地が徐々に拡大さ
	れて来たことも間違いない。



	
	16世紀になると、聖書信仰による救済に重点を置く神聖ローマ帝国(ドイツ)の大学教授ルターの「贖宥状批判」から始まっ
	た「ドイツ農民戦争」を初め、ローマ・カトリック教会に対する「宗教改革」の戦争が中央ヨーロッパ各地で勃発する。
	フランスでは神学者カルヴァンの影響を受けたプロテスタント教会(改革派ユグノー教会)が、カトリック教会に激しく対抗し
	た1562年〜1598年の「ユグノー戦争」が起こる。背景に王族の複雑な権力闘争が絡むこのフランスの宗教戦争は、ユグノー派で
	あったブルボン朝初代アンリW世(バラ王)がカトリック教への改宗を行い、同時にユグノー派の権利も保障したことで終息を
	みる。



	
	この宗教戦争を通じて多くのユグノー派の人々はフランスを追われ、その一部のプロテスタント派の人々が南アフリカへ逃れ、
	プドウ栽培とワイン生産に従事した事実も知られている。その一方で、ユグノー戦争の嵐を受けり形で、ローマ・カトリック教
	会の系統である各地の修道院や教会堂は、プロテスタント教会派からの攻撃の的となり、セナンク修道院でも助修士の部屋など
	多くの施設が破壊された。
	さらに18世紀の啓蒙合理主義の「フランス革命」の余波は、聖職者追放の流れを生み、1791年にはセナンク修道院は閉鎖され、
	国の財産として公売にふされるというキリスト教に対する厳しい歴史の仕打ちに翻弄された。そうしてようやく1988年から祈り
	と労働の修道活動が再開され今日に至っている。


	
	座り込んでスケッチをしている女の子がいて、どうも日本人らしいので話し掛けるとまさしく日本人だった。白い帽子をかぶり、
	ヒラヒラの長いスカートを履いて、まるでお姫様のような格好をしていた。SHOPをブラブラした後、ラベンダー畑を後にす
	る。