2010年夏 フランス紀行 2010.7.4 Castelnaud 城・見学





	2010.7.4(日)晴れ カンカン照り

	ドルドーニュ渓谷の南側、左岸にそびえ立つ城砦カステルノー城。山をかなりの急勾配で上っていった城の後ろ側に駐車場がある。
	駐車場からも城まではゆっくり歩いて10分位、中世の村を横切りながら石畳の坂道を歩いてゆく。

	カステルノー城
	「 Chteau de Castelnaud 」。フランス南西部、ペリゴール地方、ドルドーニュ県の村カステルノー‐ラ‐シャペルにある城。
	現在は中世の武器の博物館になっている。12世紀には既にあったとされ、13世紀にカタリ派の領主の居城になった。百年戦争では
	イングランド側の拠点になった。ドルドーニュ川を挟んだ対岸には敵対関係にあったフランス側の拠点、ベナック城がある。










	ペリゴール	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	ペリゴール (Perigord ( pronunciation(ヘルプ・ファイル)) (オック語: Peiregord / Perigord)は、フランスの旧州。現在の
	ドルドーニュ県とほぼ一致し、アキテーヌ地域圏の北部に含まれている。ペリゴールは4つの地方に分割される。ペリゴール・ノワ
	ール(中心地ノントロン)、ペリゴール・ブラン(ペリグーとケルシー)、ペリゴール・ヴェール(サルラ=ラ=カネーダ)、ペリ
	ゴール・プルプル(ベルジュラック)である。ヨーロッパ有数の手つかずの自然を持つ。
	ペリゴールは美食で知られ、フォワグラが特に有名である。またトリュフの産地として伝統的に有名である。ペリゴール産のワイン
	には、ベルジュラック、モンバジヤックが知られる。
	ドルドーニュ県の県都はペリグーである。古代ローマ時代の遺跡など、先史時代の史跡が豊富である。最も有名なのは、洞窟画で知
	られるラスコー洞窟である。
	ペリゴールには、ピュイ・マルタン城、ロッス城、オートフォール城、ベニャック城といった1001もの中世及びルネサンス期の城が
	ある。これらは主にドルドーニュ川とヴェゼール川沿いにある。その他には、ジュミリャック・ル・グラン城、フェヌロン城、ビロ
	ン城、ブルデイユ城、カステルノー城、ピュイギレム城、ルフィヤック城がある。



駐車場から見たカステルノー城。中世以来、あんまり変わっていないような細い道が城入り口まで続く。





小さな村のなかにはカフェやお城の土産物屋が並んでいた。



城の入り口に到着。夏休みに入ったのか子供連れが多い。フランス語での城の歴史を中心とした説明があるが、自由に見学してもいいようだ。



クリックすれば大きくなりますが、フランス語です.



城の歴史は1124年に遡るが、その当時の遺跡としては翼廊の一部が残るのみだそうだ。中央要塞は13世紀に建造された。




	高台に建てられ、12世紀から存在が知られるカステルノー城。12世紀初頭にはアルビジョワ派が篭城。アルビジョワ十字軍の
	主将シモン・ド・モンフォールによって1214年に城は陥落。1216年に崩壊。1259年から1263年の期間、イギリス
	王の支配下に落ちた以外は、地元君主らによって統治される。1368年、カステルノー城は婚姻によりコーモン一族の所有物と
	なる。
	1967年以来、天守閣のローズ瓦屋根、北側翼廊部、台所の天井部など、現オーナーによる修復事業が進められ、1996/97
	年には15世紀および16世紀初頭建造部(本館および巨大円塔部)の修築が行われ、博物館スペースが拡大した。このあたりに
	は城がたくさんあるが、ドルドーニュ一帯ではもちろん、フランス南西部の城の中でここが一番の入場者数を誇っている。





城のテラス(basse-cour)から付近の景色を見る。



川の上流右側は、洞窟のあるセウ渓谷。左にベイナック城やマルケイサック城が見えると書いてあるが、どれだかは判らなかった。


ペリゴールを流れるドルドーニュ川


	城は三角形の敷地に広がり、東側はドルドーニュ河を見下ろす絶壁に沿っている。対岸のベイナック城とは宿敵の間柄で、中世か
	ら何度となく攻防戦が繰り返されてきた。百年戦争では、ベイナックがフランス側についたというので、カステルノー側はイギリ
	ス側につくなど、目と鼻の先で見張り見張られしながら反発しあっていた。



	ロック・ガジャックからドルドーニュ河を下る「遊覧船ガバール」からもこのカステルノー城を仰ぎ見ることが出来る。河を挟んで
	右岸にベイナック城がある。 




	城内部に入る。内部は戦術博物館になっていて、中世ヨーロッパの武器がこれでもかと展示されている。西洋の武器・戦いに興味
	がある人には非常に面白い展示だろう。











この連発銃は凄い。ほんとに使えたとしたらマシンガン並だけど、玉込めは一発づつかもしれない。その間にやられるね。









こんなものを着て、どれだけ力一杯戦えたんだろうか。人は斬っても自分が斬られるのは嫌だったんだな。









これは日本でも幕末にお馴染みのキャノン砲やね。









これは日本でも侍が着ていた鉄帷子だ。忍者がよく着ていた(らしい)。







何か凄い武器やね。これで殴られたらひとたまりも無い。すべては殺すか殺されるかだもんね。






	対岸のベイナク城とは宿敵関係にあった。城北側と外部分にははね橋があり、城西側、15世紀建造の円塔は翼廊でつながれていた。
	12〜15世紀に建てられた主な防衛設備(天守閣、礼拝堂、塔)は城の南角に位置し、14世紀に設けられた砲眼を持つ巨大な3
	階立ての円塔につながっていた、と言ってもこの模型ではよくわからん。









































「HOURDS」という、石垣に気の棒や足場を作って下の敵に石を落としたり、矢を射掛けたりする出窓がある。






	これがその「Hourds」。これ自体が落ちる事はないのかね。他にもこの城には、一目見てもわからない罠や仕掛けや工夫がふんだん
	に取り入れられているそうな。



最上階まで昇ることが出来、屋上には投石機が据え付けられている。城の柵は無く、掛けまわる子供には危ないかもしれない。
































	この城は、コマルク城と並んでペリゴール「二大廃城」と呼ばれていた、荒れ果てた遺跡だったらしいが、歴史好きな現オーナー
	がここまで復元したのだそうだ。えらいもんや。





上下は、この城で貰ったパンフレットである。城を型どったおもしろい格好をしている。クリックすればデカくなります。