2010年夏 フランス紀行 2010.7.2〜7.13



	
	2010.7.7(水)曇り

	例によって朝六時頃目覚める。昨夜はバタンQで何もしなかったので、携帯を充電し洗濯をする。何やかやで今朝は朝食が九時
	半になってしまった。10時頃出発、今日はプロヴァンスを目指す。宿はフランス第二の都市リヨン。いつものように、高速に
	乗せようとするナビと、地道を行こうとするWifeとが喧嘩しながら地道をゆく。







	
	計画にはなかったのだが、アビニョンから20kmほど行ったところの町リュベロンを過ぎ、小さな街道を通り掛かったら、道
	の傍にラベンダー博物館があった。Wifeは最初気づかず行きすぎたのだが、「今そこにラベンダーの博物館があったで。」と言
	うと、車を急停車し慌ててUターンした。まったく、女はどうしてラベンダーと聞くと眼の色が変わるのだろう。


 
	


	そこから、ゴルドというリュベロンでも有名な観光地を横目で見ながら、セナンク修道院へ向かう。ここからの道はすごかった。
	いろは坂など眼じゃないような九十九折れの道が、山を昇ったり下ったりしていつまでも続いていた。途中で見たゴルドの街も
	すごかった。。山一つが、麓から山頂まで建物が密集し、まるで巨大な山城都市である。



	
	ゴルド。丘の上の古城の周りに、石造りの家が建つリュベロン地方の村の典型とも言える村。フランスのもっとも美しい村の中
	の一つとも呼ばれている。丘の頂きの古城のふもとを、切り立った崖に沿って中世の街並みが取り囲む。周囲には一面オリーブ
	畑やブドウ畑、牧草地といった田園風景が広がり、はるか遠方にはリュベロンの山々を見渡すことができる。

 
	

	ここからリヨンをめざすが、例によって地道をゆくので、リヨン到着は午後七時半になってしまった。リヨンの街も巨大である。
	人口百万人。近郊にはリヨン市の人口を含め、164万人が住み、都市圏としてはフランス第二の規模を持つ。フランスにおけ
	る金融センターのひとつでもあり、多くのフランスの銀行の本店が置かれる。永井荷風が横浜正金銀行の社員として滞在したこ
	ともある。



ツール=ド=フランスが近いというので、あちこちで練習している連中を見た。えっ、と思うような爺さんもいるが、婆さんはいない。



さすがにワインの国だけあって、葡萄畑はそこかしこに点在しているが、ワインになる葡萄は押し並べて低木だ。これで成木である。



しばらく我々の前を、我が家の愛車と同じプジョーが走っていたが、



あまりにトロトロ行くので、業を煮やしたダンプが狭いのに無理矢理追い越してしまう。



それでもプジョーの主はおかまいなし、マイペースでどこまでもトロトロ。フランスにも、こういうドライバーもいるんだなぁ、よしよし。



しばらく田舎道を走って県道のような通に出たら、



路の脇にデッカイ門があって、地図を見ると「ローマ時代の遺跡」とある。近在にも幾つかローマ遺跡があったが先を急いだ。





ここは断崖絶壁が売りの小さな観光地のようだった。崖のどっかに城でもあるのかもしれない。





しばらくひまわり畑が続く。ゴッホもこういう光景を見たのかな。「あぁー、フランスやなぁ」と思ってしまう。



日本にだってひまわり畑はあるのにね。



ひまわり畑が切れた頃、道路脇に「アーミィグッズ」の店があった。何かセガレにお土産があるかもしれないと車を止める。



軍用車から携帯食料まで、軍隊備品は何でもある。主にフランス軍からの払い下げのようだったが、なかには「US ARMY」もあった。



セガレに、フランス軍の手提げBOX(何を入れるのかは判らなかったが、頑丈な軍隊色のやつ)と幾つか小物を買った。



	
	セガレは30歳を過ぎたが、いまだにガンマニアである。昔は止めさせようとしたが、大学生になってもその趣味は抜けなかった
	のでもうあきらめた。「儂らは絶対、銃を人に向けたりはせんのよ。」と言う言葉を聞いて、ま、ガンマニアの置かれている立場
	も理解しているようだし、変な方向に走るのでもなさそうなので今ではもう容認している。それでも時々、下のような格好をして
	サバゲー(サバイバル・ゲーム)に出かけてゆくのを見ると、「あ、こりゃ、こいつの嫁半見るのはもう無理やな」と思ってしま
	う。


	
	サバゲーでは、撃たれたら何か印が付くようなシステムで、森の中や原っぱで戦闘ゲームをやっているらしいのだが、セガレの話
	では、「一端撃たれたヤツが知らん顔してまだゲームやってると、仲間から「ゾンビ」と言われて相手にされなくなる」そうで、
	撃たれたら戦線から離脱しなければイケナイのだそうだ。それなりにルールがあるんだね。



店中には銃やライフルもあった。まさかホンモノではないと思うがわからんな。NATOの担い手で、男はまず軍隊経験を持ってる国だし。



	
	国民の殆どが軍隊経験が無く、銃の扱いも戦闘訓練も経験なかったら、万が一どっかの気違い国(日本のすぐ隣にも2,3ある)
	が上陸してきたら一体どうすればいいのだろう。妻や娘がそばで犯されているのに、「待て、待て。話会おう、話せば判る!」と
	叫ぶのだろうか。



なんか原発の施設らしきものもあったが、煙が出ているのでタダの焼却炉かもしれない。







リヨン(Lyon)の町




車をソーヌ川河畔にある駐車場にいれ、Best Westernホテルまで荷物を運ぶ。駐車場の通りを挟んで直ぐの所で助かった。











	
	フロントの陽気なお姉ちゃんに教えて貰った、グミョンという店で夕食をとる。石畳の歩道にテーブルを並べた、例の青空レス
	トランである。どこまでがその店なのかわからないくらいテーブルが歩道にひしめいている。









	
	隣のテーブルに、おっさんが一人で座ったので話し掛けてみると、ノルマンディーの西の方から来たそうで、定年になったので
	フランス中を旅行しているそうだ。奥さんはいないようだったが、初めから独身なのか別れたのかは分からない。フランステレ
	コムにいた事もあるそうで、私が今NTTにいると言うと、おー、と言って握手してきた。陽気なフランス人だった。
	実はこのオッサンの座っている席は、隣の店なのである。あまりに座席がくっついているので、さも同じ店で呑んでいるように
	見えるが隣の店の客なのだ。つまり、それほどテーブルは舗道にあふれかえっているのである。





ワインで酔っばらったので、ブラブラ歩きながらソーヌ川河畔で夕涼み。ライトアップされた橋や建物が美しい。







	
	都会の夜はどこの都市でも美しいが、この光景が東京や大阪と全然違うように見えるのは、何故かおわかりになるだろうか?

	アジアの都市と根本的に違うのはネオンである。ここにはネオンサインや電飾でケバケバしく飾った光が全く無いのだ。ビルの
	屋上やホテルの上に広告塔は一つもないし、勿論、デパートやホテルの窓から垂れ下がった「一泊5千円で宿泊!」とか「今な
	ら半額、XX セール!」などというような垂れ幕も一切無い。ヨーロッパの大都市では これが都会の光景を一層美しいものにし
	ている。この違いは一体何に起因するのだろうか?

	それはおそらく民族の文化度だろうと思う。アジアは長い間貧しかったし、東南アジアは今でも貧しい。日本も今では中流社会
	のような顔をして文化・生活レベルの高さをアジアの中では誇っているが、ヨーロッパの国々と比べると、こういう公共文化に
	対する意識などはまだまだ低いと言わざるを得ない。ヨーロッパでも貧しい人達はいるが、ケバケバしいネオンや広告塔を規制
	し、町全体の景観を保つためには、多少の犠牲は仕方がないと納得しているのだ。特にこういうリヨンのような歴史的な町にお
	いては、住民自らがその施策を選択しているのである。日本でも近年、京都や飛鳥などでは新規住宅の建設や、大規模商業施設
	の進出には種々の規制が適用されるようになってきている。しかし日本で将来、こんな夜景を持つ都市がはたして出現するのだ
	ろうか。