2010年夏 フランス紀行 2010.7.2〜7.13


	7月5日(月)晴れ カンカン照り

	また断続的に目覚めで、朝五時頃起床。書き物や荷物の整理をして、チェックアウトをすませ、九時頃出発。
	トゥールズをナビに入れたのだが、これがFegiacという街のトゥールズへ案内してしまう。
	方角的にはいいのだが、ナビのとんだ勘違い、と言うか、我々の選択ミスだ。どうせなら、もうここまで来たので高速(A20)に
	は乗らず、このまま地道を行くことにする。
	この町は、ロゼッタストーンを訳したことで゛知られるシャンポリオンの生まれ故郷である。生家が博物館になっているそうで、
	寄ってみたかったが、ワイフは興味無さそうだし、また言い合いになってもつまらんので、次の目的地コルドシュセルを目指す。





コルドシュセルの町が見えてきた。



 


Albiの町がすぐ近くで、車で三十分程なのでそこに寄る。ここはロートレックの生まれ故郷で美術館がある。

Albi(アルビ)




	
	アルビ

	フランス南部、タルン県の都市。同県の県都で、タルン川沿いに位置する。中世に織物業、皮革業、藍染料の交易で発展。10世紀
	に築造されたタルン川に架かる赤レンガの橋や13世紀から15世紀にかけて建造されたゴシック様式のサントセシル大聖堂がある。
	画家ロートレックの生地。

	
	Wifeは、以前友人と二人でフランスをドライブ旅行した時、ここにも立ち寄ったらしいのだが、その時は閉館30分前で、入場
	料を半額にしてくれたそうだ。しかし展示の半分も見れなかったので、是非ともリターンマッチしたいと言う。

	Albiの街へ入って美術館近くの駐車場に車を停め、すぐ傍のサントセシル大聖堂を見学する。


 


	
	教会を出たすぐ裏に「トゥールーズ・ロートレック美術館」がある。元は13世紀に建てられた司祭館「ベルビー宮 Palais del
	 Belbie」で、1922年より美術館となり、ロートレックの作品を中心に展示している。
	ロートレックが残したデッサンやお馴染みのポスターが所狭しとならんでいる。少年時代の手紙や、落書き入りのラテン語辞書
	などもある。ロートレックの生家は、今も旧市街に残っているらしいが内部の見学は出来ないそうだ。貴族の家に生まれたロー
	トレックは、少年時代の多くを祖父の家「ボスク城」で過ごした。現在もその城は、母方の親戚が住んで管理している。近い親
	類同士の結婚が原因なのか、ロートレックは生まれつき体が弱かった。二度の事故で、身長は十八歳の時の152cmで止まっている。



	
	サロンの飾り棚に置かれた小さな日本人形は、1920年にパリで開催された万博で、ロートレックが甥のために買い求めたもので、
	彼はこの万博を車椅子で見学している。日本の浮世絵や役者絵に相当影響力を受けたと言われるロートレックは、その翌年36歳
	の短い生涯を終えた。


	
	この後「トゥールーズ・ロートレック美術館」へ行ったのだが、どういう訳かすっぽり写真が無い。美術館内部もしっかり一杯
	写したハズなんだが、この美術館の部分だけがまるまる抜けていた。Wifeの写真にも全くないのだ。まか不思議。



入場券は残っていた。



Albiの街を出て、今夜の宿であるカルカッソンヌへ向かう。ここも世界遺産に指定されている城塞都市である。















 






	
	千鳥足でホテルへ戻り、風呂に入ってからPCを触ってたら、インターネットにつながった。ダイアルアップのプロトコルが邪魔
	をしていたのだ。それを削除して、ホテルで教えてもらった無線LANのID、パスワードを入力すると、すんなり日経新聞のHPへ
	入れた。私の「邪馬台国大研究」にも入れたので、早速掲示板に現況を書き込む。それから、今回の旅で唯一1日だけ予約して
	いなかった明日のホテルを予約する。昨夜泊まったLaTerasホテルから、フランス南部のホテルブックを貰ってきたので、それを
	見て綺麗で良さそうなホテルを選び電話をかける。アルルから100kmくらい離れたところだ。フランス語は分からないので英語の
	話せるやつを頼むと言うと、二コルというのが電話に出たが、こいつの英語力も私とちょぼちょぼだった。

	「Tomorow night  1room  2persons reservation  OK?」
	「1Room? 2person? Ok! 15euro Ok?」「ok!」

	東京のクボタさんから指摘があったが、15euroというのは間違いで50euroを聞き間違えてメモしたもののようだ。確かに15euro
	は安すぎるね。3,000円だもんな。FifteenとFiftyを聞き間違えたんだろうと思う。(領収書がどっかいったので判らないが)。

	と何度かやりとりし、「inoue shuichi」と伝えると、驚いたことに私の名前をちゃんと発音した。inoueという名前は外国人に
	は難しいらしく、今まではイヌーとかイヌイーとしか呼ばれた事が無い。それがこいつはきちんとイノウエと呼んだのだ。
	たどたどしい英語力同士で、笑いながら会話を続ける。

	「外国人か?」「ジャポネ。」
	「おー、ジャポネ、トレビアン!」「日本人はよくくるのか?」
	「お前が初めてだ。」「エェー、ホンマかいや。」

	「テーブルはどうする?」
	「テーブル、何のテーブル?」

	「テーブルだよ」 「だから何のテーブルだって!」
	「我々はレストランを持っている。」

	「あ、晩飯の予約か。」 「そう、テーブル。」
	「分かった。二人分頼む。」

	「ほんとか? メルシー、Thank You、Thank You!」

	たかが晩飯の予約を取るだけなのに、そんな嬉しいか?と思うほど喜んでいる。歩合が入るのかもしれない。

	明日こいつに会うのが楽しみだ。