2010年夏 フランス紀行 2010.7.2〜7.13



	
	2010.7.2.(金曜日) 晴 曇 雨

	AM6:08自宅前からタクシー。桃山台からリムジンバス。6:20発、一人1900円。雨が降りそうな天気だ。8時前に関空着。ルフトハンザ
	LA745便。チェックインして、空港内の売店で、忘れてきたLANケーブルと腕時計を買う。腕時計はうかつにも自宅に忘れてきたので、
	見栄えのいい革バンド風のクォーツを 2,980円で購入。スタバでコーヒーとサンドイッチを食す。飛行機は定時に出発。トランジット
	のフランクフルトまで12時間のフライトだ。





	
	機内ではフランスの案内書を見たり新聞を読むが、何と言っても一番の暇つぷしは映画である。シャーロックホームズ、アリス・イン
	・ワンダーランド、メルギブソンの何とかいう映画を見た。シャーロックホームズはフランス語版で、字幕が日本語だった。ハリウッ
	ド映画をイギリス人が演じて、セリフはフランス語で、日本語で理解している。変ちゃ変。





	
	フランクフルトには一時間程早く着いて、パリへの乗り継ぎ便は16:00発。一時間以上時間があったのだが、空港はメチャ広くて、搭
	乗口のA26に来たのは3時頃だった。天気は晴れで気温は31度。汗が流れる。
	この飛行機は120人乗りがほぼ満席。日本人らしき人達は、我々の他には中年の2組のみ。ほぼ定刻に飛び立ち、一時間程でパリのド
	ゴール空港に到着。上空から見るパリは、畑と牧草地ばかりのように見えた。


Aerogare 1(CDG1/第1ターミナル)


	シャルル・ド・ゴール国際空港	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

	(フランス語: L’aeroport de Paris-Charles-de-Gaulle、英語: Charles de Gaulle International Airport)は、フランスの首都
	パリの国際空港。オルリー空港と並ぶパリの玄関口のひとつ。フランス最大の空港である。

	ロワシー=シャルル・ド・ゴール国際空港 (Aeroport Roissy-Charles-de-Gaulle) は、パリ市街の北北東約23kmのロワシー=アン=
	フランス(Roissy-en-France)に位置する。通称では地名を取って「ロワシー」と呼ばれることもあるが、IATA空港コードの「CDG(シ
	ャルル・ド・ゴールの頭文字)」もよく使われる。
	2008年の統計では、ロンドン・ヒースロー空港に次ぎヨーロッパ第2、世界でも6番目の利用旅客数(5992万2177人[1])を記録する重
	要な航空交通拠点のひとつである。
	現在、ル・ブルジェ空港は チャーター便、プライベート便の発着やパリ航空ショーの会場として、シャルル・ド・ゴール国際空港は、
	大部分の主要旅客・貨物路線の発着、オルリー空港はフランス・ヨーロッパ域内および 旧フランス領土への旅客・貨物路線の発着が
	主である。
	1960年代すでに、パリはル・ブルジェ空港、オルリー空港の2つの国際空港を持っていたが、この2空港ではボーイング707やシュド・
	カラベルなどの大型ジェット機の 就航以降、急激に拡大する航空交通をさばききれないとの見込みから、1962年より、より大規模な
	空港建設計画が進められた。ロワシー・アン・フランスに敷地を確保し、1964年より建設が始まり1974年に開港した。
	なお空港名は、第二次世界大戦時の英雄であり、空港建設開始時の大統領でもあったシャルル・ド・ゴールにちなんで命名された。

	広大な敷地内に「Aerogare 1(CDG1/第1ターミナル)」、「Aerogare 2(CDG2/第2ターミナル)」「Aerogare 3(CDG3/第3ターミナ
	ル」の3つのターミナルビルが離れて設置されており、設計は1974年の開港当初より、建築家のポール・アンドリュー (Paul Andreu)
	が担当。第1ターミナルのアバンギャルドな円形建築の設計などが画期的であった。
	その後、第2ターミナルもアンドリューが担当し、現在に至る。なお、各ターミナル間は「CDGVAL」というシャトルシステムで結ばれ
	ている。また、鉄道駅もターミナル内にあり、パリ市内と結ばれている他、パリ以外のフランスの各都市やベルギー、オランダ、ド
	イツの各都市を結ぶTGV、タリスやユーロスターも停車する。




	フランス共和国(Republique francaise)	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  
	(首都 パリ)
	最大の都市 パリ 
	政府		大統領 ニコラ・サルコジ 	首相 フランソワ・フィヨン 
	面積	総計 643,427km2(47位) 水面積率 0.3% 
	人口	総計(2010年) 65,447,374人(20位) 	人口密度 115人/km2 
	通貨	ユーロ (EUR)

	正式名称は、Republique francaise(フランス語: レピュブリク・フランセーズ)。通称、France 。日本語の表記は、フランス共和
	国。通称、フランス。また、漢字による当て字で、仏蘭西(旧字体:佛蘭西)、法蘭西などと表記することもあり、仏(佛)と略され
	ることが多い。
	国名のFranceは、11世紀の『ローランの歌』においてまでは遡って存在が資料的に確認できるが、そこで意味されている Franceはフ
	ランク王国のことである。一方で987年に始まるフランス王国le Royaume de Franceに、Franceという名前が用いられているが、これ
	は後代がそのように名付けているのであってその時代にFranceという国名の存在を認定できるわけではない。また中世のフランス王は
	REX FRANCUS と署名している。Franceは中世ヨーロッパに存在したフランク王国に由来すると言われる。その証左に歴代フランス王の
	代数もフランク王国の王から数えている(ルイ1世とルイ16世を参照)。
	作家の佐藤賢一は、ヴェルダン条約でフランク王国が西フランク、中フランク、東フランクに三分割され、中フランクは消滅し東フラ
	ンクは神聖ローマ皇帝を称したためフランク王を名乗るものは西フランク王のみとなり、フランクだけで西フランクを指すようになっ
	たと説明している。
	ドイツ語では直訳すればフランク王国となるFrankreich(フランクライヒ)を未だにフランスの呼称として用いている。これと区別す
	るためにドイツ語でフランク王国はFrankenreichと呼んでいる。

	(地方行政区分)
	フランスは26の地域圏に分かれる。フランス本土(メトロポリタン・フランス)の位置するヨーロッパの領土は22の地域圏(レジオン
	region)に区分され、その下に100の県(デパルトマン departement)が存在する(各レジオンが2〜8のデパルトマンに区分されてい
	る)。地域圏はメトロポリタン・フランスに21、コルシカに1つに分かれる。さらに海外のアメリカ大陸やインド洋などには、4つの海
	外県と、複数の海外領土がある。各県はさらにコミューンに分かれる。2009年3月29日、アフリカ東部沖のコモロ諸島にあるマヨット
	(人口約20万人)を特別自治体から海外県への地位変更の是非を問う選挙が行われ、賛成95.2%で海外県となることが決まった。
	フランスの県としては101番目、海外県としては5番目である。

	(主要都市)
	表は市内の人口順ではなく、都市圏の人口順に並べている。フランスの人口は、パリへの一極集中が目立ち、同市に次ぐ都市は規模が
	小さい。

	 都市 		行政区分 				 人口 		都市圏人口

	1 パリ 		イル=ド=フランス 			 2,181,371 	11,819,000 
	2 リヨン 	ローヌ=アルプ 				 472,305 	1,790,000 
	3 マルセイユ 	プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール 839,043 	1,516,340 
	4 リール 	ノール=パ・ド・カレー 			 226,014 	1,143,125 
	5 トゥールーズ 	ミディ=ピレネー 			 437,715 	964,797 
	6 ニース 	プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール 347,060 	933,080 
	7 ボルドー 	アキテーヌ 232,260 925,253 
	8 ナント 	ペイ・ド・ラ・ロワール 			 282,853 	711,120 
	9 ストラスブール アルザス 272,975 612,104 
	10 トゥーロン 	プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール 167,816 	564,823 
	2006年国勢調査 



	(地理)
	フランスの国土は西ヨーロッパに位置する本土のほか、地中海に浮かぶコルシカ島、南米のフランス領ギアナ、カリブ海のマルティ
	ニーク、グアドループ、インド洋のレユニオンといった4海外県、さらにはニューカレドニアやフランス領ポリネシアなどオセアニア
	の属領をも含む。その面積は西ヨーロッパ最大であり、可住地の広さは日本のおよそ3.5倍にも達する。本土の形状はだいたい六角形
	の形を成しており、これはフランスの公用語であるフランス語にも影響し、六角形を意味する"l'Hexagone"が「フランス本土」を意
	味する。


フランスの地形図




	長い長い距離を歩いて荷物を受けとるが、トランクのキャスターが一個壊れていた。サービスカウンターへ行って登録してもらう。
	帰国後修理して貰うのだ。驚く事に、荷物を受け取るとすぐにExit(S)から外へでてしまった。入国審査も税関もない。トランジット
	のフランクフルトでスタンプを押してもらったが、パリでは何もない。EUになったのでどこかで押せばすむのだろう。そう言えば去年
	イタリアで押してもらったものと同じ形だ。「これでええんかいな。」と言いながら空港を出る。	
	レンタカーHertsのオフィスを探す。カウンターにWifeが顔を出すと、一言も喋らないうちに、「Ms Keiko Inoue?」と聞いて来た。
	どうやら日本人の予約など他には無かったのだろう。書類にサインしナビを受け取って駐車場へ行く。

	今回は昨年のイタリアに懲りて、入念に車をチェックする。ナビにホテルのアドレスを入れてセットしようとするが、なかなかうまく
	セット出来ない。駐車場にいた黒人のにぃちゃんに聞いてなんとかセットしたが、このナビはとうとう最後まで調子が悪かった。

	6時半頃パリ空港を出る。ここから今夜の宿までなんと五時間もかかってしまった。パリ市内を廻る外周を二周くらいしたのではなか
	ろうか。遠くにエッフェル塔が見えていた。



	
	最初ナビを頼っていたのだが、ナビは全く機能せず、小さな地図だけを頼りにやっと「A10」につながるオルレアン通りにでたのは8
	時近かった。一時間以上パリ市外をぐるぐるまわっていた事になる。市内を抜ける道を走りだしても、「ほんまにこの道でええんか
	いな?」と不安なまま、ひたすら南を目指す。そのうち「Olrean・・・・」と標識にあったので、一安心。
	しかしこれからがまた大変だった。オルレアンの出口を出たのが9時近かった。「こりゃ到着は10時だな」と覚悟したが、ここから
	またホテルまでの道がわからない。あっちで聞きこっちで聞きしながら、約一時間以上うろうろ。ロワール川を目当てに行くのだが、
	川が離れたりくっついたり、もうかなり近くまで来ているはずなんだがわからない。最後に聞いた、女の子と散歩していた三十代くら
	いのパパに聞くと、彼は少し英語が喋れて、きちんとした道を教えてくれた。しかも、電話を代わってくれて、フランス語で状況をホ
	テルに説明してくれたのだ。「ジャポネが今から行くので待っててくれ。」というような事を言っていた。ありがたや、ありがたや。
	やっと予約したホテルレストラン前の駐車場についたのは、午後11時半だった。長い長いフランス初日のドライブだった。



	「フランスの道路では、毎日21人が死亡し、422人が怪我しています
	"Chaque jour, 21 morts et 422 blesses sur les routes de France. "」

	これは、現在フランスで行われている交通安全強化週間のアピールのため流されているコマーシャルでの文句だ。確かに最近になって
	減ってきたとはいえ、フランスでの交通事故は非常に多い。
	ちなみに最近の日本の交通事故での死亡人数を365日で割ってみると、日本の道路で毎日23人が亡くなっているという結果になる。
	一見フランスよりも多く見えるが、日本の人口はフランスの2倍強だということを考えると、フランスの方が人口からみる交通事故で
	の死亡率がかなり高いことになる。 
	だいたい制限速度自体、日本よりも高く設定されているのだ。高速道路が130Km/h 、対向車が仕切られている道路が110Km/h 、
	その他の道路が90Km/h 、住宅地が50Km/h。日本の高速道路の制限速度が100Km/hだから、フランスでは一般道路でも住宅地以外、
	日本の高速道路と同じぐらいの速度で走っていいということになる。 まぁ、とは言っても、フランスは日本より広くて人口が少ないと
	いうことからも想像できるように、どこに行くにも 移動距離が長くそれでいて土地があるものだから、比較的まっすぐな道が多く、ス
	ピードを出して早く隣町にいけるような走りやすい 造りになっているのだ。そういうわけで、日本では歩行者を巻き込んだ事故が多い
	のに対して、フランスでは車のスピードの出しすぎや飲酒運転による事故が多いそうだ。