2017年春 ウズベキスタン紀行 第一日目




	2017.4.21.(金) 伊丹−福岡−サマルカンドへ 

	AM5:30起床。昨夜哲平がくる。留守中の仕事をリストにして頼む。8:00伊丹空港発
	ANA機で福岡へ。機内へ乗り込み窓を見ると小粒の雨が降ってきた。


	

	

	

	プロペラ機は高度5,000mと、ジェット機の半分くらいの高さを飛ぶので、写真を撮るには
	ボンバルディアは最適なのだ。出張や帰省によく利用した。東京ー大阪、大阪−福岡間も
	飛んでいるが、客の少ない日中が多い。それに時間も30分程余計に掛かる。いつか新潟へ
	これで遊びに行った時には、伊丹空港も新潟空港も雨で、タラップまでカサを差して歩いた。
	途中も大分揺れて怖かったなぁ。

	

	福岡へ

	
伊丹を飛び立って、 瀬戸内海を飛んで福岡へ。 もう何度も見慣れた光景だ。能古の島で金印が発見された。下は福岡市内。市街地の上を 飛ぶ空港はもう幾つかしか無い。 9:30過ぎ福岡着。集合は11:50分。当初の11:00発が13:50分に変更に なった。2時間もトランジットがある。 昔はこんなもの無かったがなぁ。 2時間もどうやって過ごそうかと考えて、wifeはshoping、小生は飛行機見物と、それぞれ 空港内をブラブラ。送迎デッキで飛行機を写しまくったが、ふと「電池とメモリーが無く なったら、ウズベキスタンで困るぞ」と思った。名残惜しいがデッキを後にした。 上はクリックで拡大します。 飛行機は楽しいねぇ。操縦できたら面白いだろうなぁ。しかし昔やってたフライト・ゲーム は殆ど墜落したからまず無理だね。ジョン・トラボルタはジェットを保有していて、自分で 操縦して日本へも来たことがある。自宅の裏庭は専用飛行場だと言うから驚く。 福岡に離着陸する飛行機。こんなに飛んで来てるんだ。 今回の旅は、チャーター便である。我々の利用する「ワールド航空サービス」と阪急トラピ ックス、他数社で1機をチャーターしている。従って数社の利用客が1機に同乗する事にな る。勿論ツアーの内容は違うので、それぞれ別の行程を行くのだが、おなじウズベキスタン の中なので、いくつかの観光地ではまた顔を合わせる事になる。

集合場所に集結して、大戸さん、乾さんと合流する。乾さんは、我が歴史倶楽部の呑み会時 にこの旅の案内をして参加者を募ったとき、いの一番に「行く、行く」と手を上げたお人だ。 オジサン一人(小生)に、この三人のオバサンを加えた4人組が今回のチームである。荷物 を預け諸説明を聞いて搭乗手続きをする。驚いた事に、預けた荷物はポーターが空港会社の カウンターまで運んでくれるのである。これはこの旅全般を通じてそうだった。
ホテルに着きバスを降りても、荷物はポ−ターが部屋まで運んでくれるのである。出発時も ドアの前に置いとけばバスまで運んでくれるのだ。何という過保護なツアーだ。阪急はそう ではないようで、阪急ツアーの連中は自分でガラガラ押して行っていた。「ワールドのツア ーは年寄りが多いから」と大戸さんは言っていたが、料金が高いのもそのせいなのだろう。 ま、そうであるから70、80歳位の爺さんでも杖を突きながら参加出来るのかもしれない。 大戸さんは過去何度かこの会社のツアーには参加しているようで、このツアーの事を「空飛 ぶ老人ホーム」と言っていた。けだし。

チェックイン後、58番ゲートの前で待機している間に、すぐ側の待合室のベンチで買ってき た軽食を食べた。稲荷、巻き寿司、チラシ寿司。大戸さんはさらに近くの店に飛び込み、う どんも食っていた。



ウズベキスタン・サマルカンドへ

13:50(14:20?)離陸。ウズベキスタン人か西欧人か分からないスッチーが 「Gyu or tori?」と聞いてくる?「GYU?」と聞き直すとwifeが横で「牛肉か鳥よ」と いう。「牛/鷄?」なのだ。「BEEF or chikin?」と言えばすぐ分かるのに。
KOREAの上空を横切り、chinaへ入り、Beijingの南を飛んでゆく。8時間20分の飛行だ。

やっと3時間ほど飛んだ。あと5時間だ。三人はよく寝ている。寝るのならとwifeと席を替わ って窓側に座る。窓の下には中国大陸。丸い畑のようなものが幾つも並んで、側には町らしき ものが見える。丸いのは一体何だろうか。
1時間以上、砂漠だらけの不毛の土地が続く。こんな土地に人は住めまいと思われる。地図を 見たら1時間どころではない。サマルカンドまで延々と砂漠だ。Silkloadの隊列は、こんな所 を横断して行ったのかと思うと唖然とする。気が遠くなりそうだ。 考えて見れば夢のような話である。数年前に訪れた、あのゴビ砂漠とかタクラマカン砂漠を横 切っていくのだ。Silkloadの隊商達が数ヶ月掛かって横断したルートを、たった8時間で行っ てしまう。 中国の領土は広いけれども、こんな不毛の土地だらけで実効性のある国土は果たして何割くら いあるのだろう。それはロシアにしても同じ事だ。シベリアの宏大な地方には人は住めない。 そんな土地を幾らもっていても、果たして国土と呼べるのかどうか。遥か1万mから、中国大 陸の茫漠たる光景を眺めているとそんな事を考える。
女性3人は爆睡中。サマルカンドまで後3時間。ウルムチまで1時間足らずだ。雪を頂いた天 山山脈が見えてきた。乗客はみな、窓際へ寄ってきて写真を撮りまくっている。機内では写真 撮影は禁止のはずなんだが、ま、自分も撮っているから非難はできないが。やがて反対側に崑 崙山脈が見えてきて、乗客はドット反対側へ移動している。
ウルムチの上空を通る頃曇ってきた。あと2時間でサマルカンドだ。

上はクリックで大画面になります。









こんなとこ、雪男以外にはいないだろうねぇ。



サマルカンドまで1時間くらいのところで、ミツまめ(フルーツポンチ?)とコッペパンに カモ・スモークを挟んだような軽食が出た。女性CA4,5人と男性二人のCAが乗ってい るが、女性はどうもウルムチ人ではないような。ロシア系が強いのかも知れない。


サマルカンド到着 現地時間18:45分、サマルカンド到着。川の中にあるような思いがけない空港だった。

ウズベキスタンでは、空港設備や空港内を撮影するのは禁止されている。 夜だし、玄関口だから良いかと急いで写したが、心を反映してかボケてしまった。 写真撮影禁止はセキュリティーもあるだろうが、サマルカンド空港のプアさを隠すためでは ないだろうかと思う程みすぼらしい空港だった。待合室のロビーや、税関事務所、荷物検査 など、東京、大阪の空港を見慣れている我々には実にみすぼらしく見えた。しかしこれは仕 方の無い事なのだろう。ウズベキスタン航空の機内誌によれば、「夜明け前(dawn) of ウ ズベキスタン観光」というタイトルの記事があった。それによれば、ウズベキスタンの観光 業界は今からなのだった。 男性4人の楽団(?)と、民族衣装を着てずらりと並んだ7,8人の若い女性達の歓迎を受 けてバスに乗り込む。10分程でホテルへ。Asia HOTELというマルコポーロ・グループのホ テルだった。着くなり夕食。日本で言えば夜の12時頃だが、前菜、スープ、メインと、ミ ニ・フルコースの夕食だった。


ドアの前に、ポーターが運んできた荷物が置いてある。上、私の左側が我々の部屋だった。


ホテルの部屋はまぁまぁ。入浴し、コーヒーを飲んでこの日記を書いている。 遙かなるウズベキスタンの第一夜だ。「サマルカンドの夜」が静かに更けてゆく。