2009年秋 イタリア旅行記(5) 9.22 マテーラ(サッシ)




2009.9.22 朝 サッシ



部屋の前から、山頂のドゥオモに向かって伸びていそうな道を上っていく。




	マテーラ(Matera)	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に加筆。


	■マテーラの歴史 
	マテーラの歴史は古く、先史時代に遡ることが出来る。その後、他の南イタリアの街と同様にギリシャの支配を受ける時代が続いた。
	この時期、ターラント湾に面した二つの古代ギリシャの植民都市、メタポントゥム(Metapontum)とエラクレア(Eraclea)の住民の一部
	がこの地に流れ着いてきたことから、この二つの都市名の頭の部分を取ってマテーラ(Matera)と名付けられたと言われている。

	8・9世紀になると、イスラム教徒や偶像破壊主義者からの迫害を逃れたギリシャの修道僧たちがこの地にやって来て、岩窟住居を住処
	としたり、修道院としたりして、洞窟の用途がさらに広がっていったようである。16世紀には、ナポリ王国の支配のもとで商業や農業
	が繁栄を極め、人口が約 7,000人から約12,000人に急増した。しかしこの街の繁栄と人口急増の結果は、貧富の差を生むこととなり、
	裕福な人々は高台に住み、貧しい人々は岩窟に住むという社会構造を生み出した。この傾向は、時が経つにつれて拍車がかかり、高台
	の市街地の整備が進み急速な発展を遂げる一方で、岩窟住居には貧しい農民や労働者が住み続け、整備されない岩窟住居地区の居住環
	境は、ますます悪化していった。
	 マテーラの近くの村に流刑の身となって住んでいたカルロ・レーヴィの著書「キリストはエボリにとどまりぬ」で描かれたことに端
	を発し、1950年代から60年代にかけて、サッシ地区の住民が郊外の近代的な街へ強制的に移住させられたことで、サッシ地区は無人化
	してしまい、完全に廃墟と化してしまった。
	近年、岩窟住居の歴史的遺産としての重要性が再認識され、無人のサッシ地区の荒廃をくい止めようと、住民を呼び戻そうとする動き
	が活発に行われている。住居として再生されたり、多目的スペースとして再利用されたり、その目的は多岐に渡るにせよ、人の手が加
	えられ整備されることにより、サッシ地区には徐々に復興しているようである。夕暮れ時に、サッシ地区に灯るまばらな街の灯は、そ
	んなサッシ地区の復興の灯火のように見えてくる。1993年、ユネスコの世界遺産に登録された。




	ドゥオモ(Duomo)
	サッシ地区を見渡す高台にあるドゥオモは、1268年から1270年ににかけて建設された、プーリア=ロマネスク様式の教会である。基本
	的に簡素な作りだが、扉口周辺の浅彫りや、三人の天使に支えられるバラ窓とその上に立つ大天使ミカエルの姿や、人や動物の像への
	変化が見られるファザードの付け柱など、細かいところでの装飾が目を引く作りになっている。このドゥオモ、二つのサッシ地区のあ
	いだで、一番の存在感を放っている。特にドゥオモ脇にそびえる鐘楼は、サッシ地区にあって、「非常に特異な」建築物であるように
	見る人の目に映る。無秩序で曲線的なサッシ地区にあって、秩序的で直線的な鐘楼が天に向かってそびえ立つその姿は、サッシ地区の
	多くの場所から眺めることが出来る。このような大聖堂は、厳しい住環境に暮らす中世以降の岩窟住宅の住民の大きな心の支えになっ
	ていたと想像することは、サッシ地区にたたずみ大聖堂を眺めていると、ごく自然なことのように思えてくる。このドゥオモ前に広が
	る、ドゥオモ広場からのサッソ・バリサーノ地区のパノラマは、必見である。




	サッソ・バリサーノ(Sasso Barisano)

	ドゥオモの北側に広がる地区が、サッソ・バルサリーノ地区である。地区の中にある、サン・ピエトロ・バリサーノ教会にちなんで、
	サッソ・バリサーノ地区と名付けられている。この地区の最も低いところに建てられている教会が、サンタゴスティーノ教会(Sant'
	Agostino)である。1594年に以前からあった教会の跡地に再建された教会で、1750年に全面的に再建され、現在にその姿を残している。
	グラヴィーナ渓谷の崖縁に建てられた教会の姿は、マテーラの土地に生きるきびしさを象徴しているような印象を受ける。



下5枚の写真をくっつけたのが上の写真である。大パノラマにしようとしたが、フォトソフトの長さの限界を超えたので分割した。






	見ていると、この山が昔ホントに大きな岩山だったのか信じられない気持ちになってくる。いかに人間の力が偉大と言えども、こん
	な山一つをそっくり刳り抜いてしまうなどと言うことが可能なのだろうか。その所業の結果を目の前に突きつけられても、俄には信
	じがたい。







我々の泊まった地域(上写真)を拡大したもの(下)。






	■高台の新市街地 

	 ヴィットリオ・ヴェネト広場(Piazza Vittorio Veneto)や、その前後に続くリドラ通りや9月10日通りでは、サッシ地区とは異なる
	現代のマテーラの顔を見ることが出来る。ファザードに骸骨彫刻が施されているプルガトリ教会、バロック様式のサン・フランチェス
	コ・ダッシジ教会といった比較的新しい教会や、考古学博物館、時計を掲げたランフランキ館といった美術館や、商店やホテル、レス
	トランが立ち並んでおり、サッシ地区にはみられない、どこにでも見られるような街の姿を見せてくれる。











岩山に猫ちゃん。



	
	サッシとグラヴィーナ渓谷を挟んで対岸に、ティモーネの展望台というのがあるそうだ。そこからは、マテーラのサッシ地区の全域を
	見渡すことが出来るそうで、「そこからのサッシ地区の眺望は壮観そのもの」と案内にあるが、ここからの渓谷の鳥瞰も見事である。
	旧石器時代からと言われる岩窟住居をあちこちに眺めることが出来る。崖の中腹や平坦な場所に、小さな洞穴が点在しているのが見え
	る。
	この崖しか見えないような岩山の中にも、たくさんの岩窟建築を見ることが出来るそうだ。特に7〜13世紀頃に、天然の洞窟を利用
	して作られた「岩窟教会」が多く点在している。自然の洞窟とは言っても、内部の壁や天井には色を施したと思われる後が見られるそ
	うなのでので、かつては色彩豊かに装飾されていたことがわかる。
	切り立った崖にしがみつくようにして掘ってある岩窟住居の、ここからのパノラマも圧巻の一言に尽きる。









勿論、岩窟住居のなかには人の住んでいない廃屋も存在している。修理に費用と時間が掛かりそうなものは見捨てられている。











山頂から降りてきて、宿へ戻る。