2009年秋 南イタリア紀行(10) 9.26



バンコックから関空へ





	
	9月26日(金曜)

	タイ航空の機内では、我々の席にイタリアからタイへ帰るという、24歳のKwan(クワン)という女の子が乗っていた。イタリア語
	を勉強し終わってタイへ帰る所だと言う。卒業生全員で写っている横長写真(デカかった)のパネルを見せてくれたが、一番前の席
	で、学長達に混じって座っている。「If..are you No1?」と聞くと「Soh」と答えた。イタリア人でLawerの彼氏と別れて、「Heart
	Breaker」でタイへ帰るという。しばらくクワンと話す。

	長い機内だったので、またまた映画を3本も見た、全部イタリア語の吹き替え。エディ・マーフィーとトム・ハンクスの例のバチカ
	ンシリーズ最新作。行った場所などが出てきたので、イタリア語なのに2時間見てしまった。さすがにあまりよくわからんかった。
	うつらうつらしていると、もう朝食が出て、窓の外は真っ暗。程なくバンコク空港に着陸。Kwanと別れ、E6「KIX」行きのゲ−トへ
	向かう。





	
	トランジットする予定のマニラ上空で、30分ほど旋回する。暴風雨で着陸が難しいとの事。今機長からの報告で「着陸を試みる」
	と言っている。ダメなら他の空港へ廻るそうである。マニラ時間午後二時、機はマニラ空港に着陸した。
	着陸はしたのだが、■■■の電気系統に故障があり、ドアが開かないようである。荷物を棚から取り出して通路に溢れていた客たち
	は、また座席に座り直す。暴風雨と言っていたが、単なる雨にしか見えない。上空で旋回しているとき、一瞬嫌な考えが頭をよぎっ
	たが、この雨程度なら暴風雨とは呼べまい。
	私は一度、福岡から大阪へ戻るときANA機に乗っていて、台風が、四国から兵庫県を抜けて日本海へ抜けるのを、1時間ほど旋回して
	待機した事がある。あの時も、もし着陸出来なかったら他の空港へ向かうと言っていた。

	外からタラップに付いた機械がやってきて、何とかドアは開いた。とりあえずマニラで降りる乗客が去った後、我々を機内に残した
	まま、社内清掃が始まった。浅黒いフィリピーナの清掃員が大勢乗り込んできて座席のチェツックやゴミの搬出を始めた。



約20分ほどして、今度はマニラからの客が乗り込んで来て、日本時間17:00、やっと雨の中を関空に向けて飛び立った。





帰国後、この時の暴風雨がホントはエラい被害をもたらしていたのを知った。やっぱり凄い雨だったのだ。

	
	比で豪雨、50人超死亡 台風16号、4万人避難	2009.9.27 11:13
 
	27日、マニラ東方の町で救援隊の到着を洪水の中で待つ市民(ロイター) フィリピンのルソン島で26日、台風16号の影響に
	よる記録的な豪雨があり、マニラ首都圏や周辺地域で洪水が発生して51人が死亡した。国家災害対策本部が27日、明らかにした。
	行方不明も21人に上り、家屋の浸水などにより4万人以上が避難。政府は被災者の救援活動を進めている。日本の外務省によると、
	日本人が被害に遭ったとの情報は確認されていない。

	マニラ首都圏での1日の降水量としては1967年以降で最多を記録。同本部は、ルソン島などに国家災害事態を宣言した。首都圏
	近郊リサール州で被害が大きく、42人が死亡。複数の場所で土砂崩れも発生しており、死者・行方不明者はさらに増える可能性が
	ある。
	首都圏では、河川に近い地区を中心に道路が冠水。交通機能のまひや停電で市民生活に大きな影響が出た。マニラの空港では、国内、
	国際線とも欠航が相次ぎ、地元メディアによると、数千人が足止めとなった。
	市民の一部は屋根に上って救助を待ったが、交通の寸断やボート不足で救助が難航。アロヨ大統領は市民に平静を呼び掛けているが、
	停電の影響などで被害状況の把握には時間がかかる見通し。





19:00関空着予定が20:30分着。21:09関空を出る。







	
	<イタリア旅行を終えて>9月26日 7時 タイ・バンコク空港にて

	9泊(内2泊は機中)のイタリア訪問が終わった。タイのバンコク空港で関空行きの飛行機の到着を待っている。今回の旅の特筆は何と
	言っても交通事故とその対応である。自損事故など日常茶飯事で、そんなものに一々構っておれるかという国民性のようなものがあるの
	かもしれないが、今回の事故の対応は確かに大雑把である。おおらかと言えばおおらかだが、杓子定規な日本の社会の中で育った我々か
	らすれば大いなる驚きであった。ぶつけられた車がどうして走り去ったのか、いくら考えてもわからなかったが、帰国してイタリアに詳
	しい人によればこういう事のようだった。
	「井上さん、そりゃ逃げたんじゃなくて、たいした傷も無かったので、警察沙汰とかになるのがイヤで走り去った、と言うのが正解やな。
	なんか仕事があったんやで。」「多少傷いっても、車は動けばええ言う奴多いし。」

	それと、やはりフィレンツエやローマを初めとする歴史の深さ、重さである。2000年前の遺物が今も残り、ローマ帝国の行政府があ
	ったところが、今も行政府なのだ。ローマは2000年前からローマなのである。フィレンツエもメディチ家の繁栄をそのまま残す素晴
	らしい都市である。バチカンといいローマ帝国といい、日本にはまだイネが入ってきたかどうかの頃に、コロッセウムを築き、宮殿を築
	き、今日にまで残っているというのは、まさに驚嘆に値する。



関空を渡る橋の上から見た半月。





	イタリア旅行から3年後の夏、NET新聞を見ていて驚いた。フィリピンの豪雨だ。今年(2012)は日本でも異常豪雨が相次ぎ、南九州、北
	部九州、和歌山、信州、新潟などで例年にない降雨量を記録し、私の故郷福岡県朝倉市でも記録に残っていないほどの水害が発生した。
	日夜TVでNews報道され、あちこちで「朝倉市て、井上さんとこじゃない?」と気遣って貰った。幸い私の実家は山付きにあるので水害
	は無かったが、一部地域では壊滅的な被害を受けたようだ。
	しかし以下の記事にあるような、フィリピンのマニラ首都圏を襲った豪雨はケタはずれである。3年前我々がイタリアから帰ったときと
	比べてもはるかに甚大な被害をもたらしている。3年前の被災者4万人どころではない、200万人である。何という。
	この異常天候は我々に対する自然の警鐘ではないのかという気がしてならない。

	
	首都機能は麻痺状態 被災者約200万人 フィリピン豪雨被害拡大   2012.8.9 21:01 

	
	8日、フィリピンのマニラ首都圏マリキナ市で、浸水した自宅に戻るために水の中を歩く住民ら(ロイター)


	【シンガポール=青木伸行】
	 フィリピンのマニラ首都圏など同国各地で、豪雨と洪水による甚大な被害が出ている。9日までの被災者は200万人近くにのぼり、
	首都機能はほぼ麻痺(まひ)状態に陥っている。
	北部ルソン島などは先月末以降、台風や季節風の影響で豪雨と洪水に見舞われた。特に7日から8日にかけての雨量は、例年の8月の
	平均降雨量を大幅に上回る70ミリ以上に達した。
	フィリピン国家災害リスク削減管理委員会によると、ルソン中部、ビサヤ西部、カラバルソンなどの各地方で73人が死亡、195万
	3千人以上が被災し、多数の家屋が損壊した。89市が大規模な洪水に襲われ、154本の道路、4つの橋が不通となっている。
	被害はさらに拡大する見通し。
	マニラ首都圏では河川が氾濫しスラム街など6割が水につかり、25万人以上が避難所に身を寄せている。学校や民間企業は休みとな
	り、土砂崩れも発生した。
	政府は軍や警察などから約9千人を動員し、災害対策基金として1億2600万ペソ(約2億3700万円)を充て、救助・救援に全
	力を挙げている。昨年末には、南部ミンダナオ島を襲った台風で、1200人以上の死者が出た。