第三日目 遠軽町(白滝)埋蔵文化財センター




	6月13日(月)雨のち曇り

	私は石器には非常に興味がある。というか、旧石器人・縄文人に興味があるのだ。ひいては、日本人の源流
	そのものに興味があると言っていい。勿論弥生時代にも石器は作られ使われているし、地方によっては古墳
	・奈良時代の地層からも石器は発見される。人間の基本的な道具として、石器は相当長い間使用され続けて
	いるのである。
	北海道の白滝遺跡のことは昔から知っていた。展示会や文化展で白滝出土の石器を見る度に、黒曜石のその
	黒光りする美しさに惹かれたし、色んな形状の石器を製作していた人々に思いを馳せて、これらの石器を作
	っていた人々の生きていた場所を一度見たいと願っていた。
	Wifeと北海道巡りをする時、或いは歴史倶楽部の連中と「北海道遺跡ツアー」を行う時、私は白滝にも寄り
	たくてそう主張したが、今までは「遠い」とか「コースからはすれている」とか反対されて、一度も白滝訪
	問が実現しなかった。
	今回北海道を旅行する事が決まったとき、今度は訪問したいと強く叫んで、長年の思いがやっと叶った。し
	かしその日の宿泊地(旭川)への時間が迫っていて、残念ながら石器産出の遺跡訪問は適わなかった。だが
	この展示(遠軽町埋蔵文化財センター)を見れただけでも思いは半分適ったのだ。そして、またいつか必ず
	ここへこようという思いが一層強くなった。私はそう願った遺跡には、どういう訳だかまた訪れる機会があ
	るのだ。今回もそれを期待することにした。





途中の道の駅にあった「白滝方面」(遠軽町:えんがるちょう)の案内板。





上6枚の写真は、クリックしていただけば大きくなります。











埋文センターの駐車場。建物の裏側にある。



	こっちが表玄関。驚いた。めちゃくちゃ綺麗なセンターで、周辺も綺麗に整備されている。今までこんな綺
	麗な埋文センターなど見たことがないぞ。と思っていたら、・・・



	ここは遠軽町役場の「白滝総合支所」なのだった。そっちがメインで、その中に埋文センターがあるのだっ
	た。そうだろうなぁ。

	驚いた。私は今まで全国 500ヶ所くらい博物館・資料館を見てきたが、この建物が一番凄い。まるで都内の
	一流ホテルのような外観だ。聞けば役所の支所と一緒だそうで、納得。そうやろ、資料館だけならこんな豪
	華な建物は建てんわなぁ。館内は石器、石器、石器のオンパレード。黒曜石の石器がこれでもかという程並
	んでいる。ここで取れた石器は、縄文時代に遠く関東にまで運ばれている。クレイパーや掻器などあらゆる
	種類の石器が並ぶ。





埋文センター入り口。「白滝遺跡群」は国指定遺跡である。ユネスコの「Heritage」マークがある。



上はクリックで拡大します。



埋文センターへ入ると、正面にデッカイ黒曜石の石器が飾ってある。



文化庁主催の「発掘された日本列島展」でこれらの石器は日本中を廻っていたのだ。私も関西のどこかで見たはずである。



ここの石器の特徴はその大きさである。実にデカイ。何に使ったのかと思うような石器もある。









「石器の接合資料」とは、大きな石の固まりを細かく分断し多くの石器を作る事を言い、集めると元々の固まりになる。









そうか、堺で見たんだ。あれは歴史倶楽部の有志で行ったんだっけか?そういや、あのHPまだ作ってないな。










	白滝遺跡 出典:ウィキペディア

	白滝遺跡(しらたきいせき)は、北海道紋別郡遠軽町字上白滝に所在する北海道地方における後期旧石器
	時代の代表的な遺跡であり、70あまりの遺物出土地点の総称でもある。十勝三股・置戸とならぶ黒曜石の
	大原産地である。
	白滝遺跡は湧別川の右岸の標高約420メートル、東西約200メートル、幅数十メートル平坦になった台地上
	に位置する。
	遺物の種類と出土状況からTとUの文化層に分けられる。白滝Uの文化層の石器群には、湧別技法によっ
	て作られた舟底型石器が検出されている。Tではこの技法は伴っていない。放射性炭素年代測定法と黒曜
	石の水和層測定法によれば、TがB.P.20000〜15500年、UがB.P.15000〜12000年である。
	本遺跡と対面する8号沢上流の山中に大規模な黒曜石の露呈がある。白滝村は日本最大の黒曜石の産出地
	として名高く、石器時代の遺跡が多い。
	1989年(平成元年)1月に約2万2千平方メートル、1997年(平成9年)に、遺跡群の中心的部分の約33万平
	方メートルが国の史跡に指定されている。

	1927年(昭和2年)遠間栄治によって発見された。旧石器時代の遺跡であることが判明したのは1953年
	(昭和28年)以降の吉崎昌一の踏査研究による。白滝遺跡は、昭和20年代末に名付けられた「白滝遺跡群」
	の一つで、白滝13地点遺跡ある。昭和30年代の初めに小規模な発掘が行われ、地表か約2メートルの遺跡
	包含層から舟底形石器・掻器・彫器・削器・石刃などが見つかっている。
	昭和60年代になって木材搬出道路工事の際に多数の石器が露出し、その後遺跡破壊のおそれが出てきたた
	め保存計画が立てられ、発掘調査が行われた。地表の約1メートル下から湧別技法による細石刃を含む石
	器群が現れた。これらの石器は460万点、10トンにも及ぶ多量である。石器の種類は、大小の尖頭器、
	大型両面調整石器、舟底形石器などが多く、各種の細石刃核もあり、それらの石器の接合資料が多数得ら
	れて製作状況が分かる。


















	遠軽町 えんがるちょう 出典:ウィキペディア

	地方   北海道地方 
	都道府県 北海道 オホーツク総合振興局 
	郡    紋別郡 
	面積   1,332.45 km2(境界未定部分あり) 
	総人口  20,785人 (住民基本台帳人口、2016年6月30日) 
	人口密度 15.6人/km2 
	隣接自治体 紋別市、北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡滝上町、湧別町、上川郡上川町 
	町の木  エゾヤマザクラ 
	町の花  ヒマワリ 

	遠軽町(えんがるちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内の紋別郡にある町。町名は当地で瞰望岩
	(がんぼういわ)を指していた見晴らしの良い高台を示すアイヌ語「インカルシ」(inkar-us-i、見る・
	いつもする・所)に由来する。1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵
	便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、新局をこれにちなんだ「遠軽郵便局」と
	名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した。

	オホーツク総合振興局管内中部の内陸に位置する。上川管内上川町との町境にそびえる北大雪山系東麓の
	湧別川およびその支流域にあたる東西47km、南北46kmが町域で、武利岳(標高1,876m)はオホーツク管内
	の最高峰である。町内は旧4町村の遠軽、生田原、丸瀬布、白滝の4地域に分かれ、市街地の標高はもっと
	も低い遠軽(町役場本所)で74m、もっとも高い白滝(白滝総合支所)で357mである。
	農業に適した地で、かつては道央圏とオホーツク海側を結ぶ交通の要衝として栄えた。旧石器時代には国
	内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創
	始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。
	2005年の4町村合併によって生田原村分村(1925年)以前の遠軽村村域に復する形となり、オホーツク総
	合振興局管内では人口で美幌町を超え最大の町である。面積では北海道内市町村のうち、留別村、北見市、
	足寄町、釧路市につぎ5番目に広く、町の人口としては2013年現在、音更町、七飯町、幕別町、新ひだか町、
	中標津町につぐ6番目である。
	旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の適用自治体だったこと
	から、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域の適用を受けている。

	遠軽市街地にそびえる瞰望岩山: 武利岳(1,876m) 、支湧別岳(1,688m) 、平山(1,771m)、チトカニウシ山
	(1,446m) 、北見富士(1,306m)
	河川: 瀬戸瀬川、生田原川、湧別川、社名淵川、武利川、丸瀬布川
	滝: 山彦の滝、鹿鳴の滝、十三の滝、白滝
	その他: 瞰望岩(がんぼういわ) - 約700万年前の新生代新第三紀中新世後期、海底火山から噴出した安
	山岩質の水中溶岩(ハイアロクラスタイト)と火山性の砂岩礫岩の堆積物で形成された遠軽市街地の岩丘。
	断崖頂部から地表まではおよそ78mの高さがある。アイヌ人の古戦場となった伝説がある。北海道自然百
	選選出。国の名勝に指定(名勝地群「ピリカノカ」の一部として)。
	ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候 (Dfb) に属する。夏は晴天の日が多く、内陸部のため日中の最高
	気温が30℃を超えることもよくみられるが、日平均気温は比較的低く湿度も低い。冬は最低気温が-20℃を
	下回ることが多いが、降雪量は道央の日本海側より少なく、雪質は軽い。
	町内の気象庁アメダス観測地点は遠軽、白滝、生田原、丸瀬布の4か所。遠軽では2014年6月3日に最高気温
	36.9℃に達し、観測史上最高記録を更新した。
















































































































































































































































	
	
	 このたび、遠軽町埋蔵文化財センター所蔵資料の一部が『白滝遺跡群出土品』として国の重要文化財に
	指定されました。対象となったのは、服部台2・奥白滝1・上白滝2・上白滝5・上白滝7・上白滝8の
	6つの遺跡から出土した、今から30,000〜10,000年前の後期旧石器時代の石器1,858点
	です。
	  白滝遺跡群とは、町内白滝地域に所在する遺跡の総称で、90ヶ所以上の遺跡が分布しています。
	上記の6遺跡は黒曜石産地「赤石山」の麓を流れる八号沢と湧別川の合流部付近、標高450mの河岸段
	丘上に立地しています。
 	 出土品には、後期旧石器時代を代表する石器である「細石刃」や、「尖頭器」と呼ばれる槍の先の形を
	した石器をはじめ、切る・削るなどさまざまな用途に使われた「18種類の石器」、さらには石器を作る
	際に生じた石の破片を1つ1つつなぎ合わせて、元の形に可能な限り復元した「接合資料」があります。
	 これらの出土品からは当時の高度な石器製作技術を読み取ることができます。
	こうした出土品は日本だけでなく、世界的にも貴重な旧石器時代遺跡資料として学術的評価をいただいて
	います。 [出典:遠軽町HP]

	【指定基準(文化庁)】
 	 一,土器,石器,骨角牙器,玉,その他縄文時代及びそれ以前の遺物で学術的価値の特に高いもの
	【件  名】 北海道白滝遺跡群出土品
	【点  数】 1,858点
	【所有者】 遠軽町(北海道紋別郡遠軽町1条通北3丁目)白滝教育センター保管

	 黒曜石原産地の赤石山山麓に広がる河岸段丘上に形成された遺跡群からの出土品。原石から石器を製作
	する過程を示す資料、石材からの剥離過程を示す接合資料など多彩な内容で構成される。遺物量は我が国
	における後期旧石器時代遺跡の中でも群を抜く多さを誇る。我が国で最大の規模・質量を誇る後期旧石器
	時代の遺跡資料として貴重である。 





























































































	白滝遺跡 出典:文化庁オンライン 

	史跡 / 北海道 
	指定年月日: 19890109
	管理団体名: 北海道紋別郡遠軽町
	史跡名勝天然記念物

	北海道の東北部に位置する白滝村には、村内を流れる湧別川とその支流の支湧別川流域に、世界的に有名
	な黒曜石原産地と旧石器時代後期の白滝遺跡が分布する。本遺跡群は日本における旧石器時代研究の初期
	から調査研究が進み、北海道での当該期研究の基礎を作るとともに、東北アジア一帯に分布する特徴的な
	細石刃製作技法である「湧別技法」の標式となった。それらの重要性により、白滝遺跡第13地点遺跡が
	「白滝遺跡」として平成元年に史跡指定された。
	平成9年に遺跡の広がりや内容などが新たに確認された遺跡について追加指定するとともに、名称を「白
	滝遺跡群」と変更した。

	


白滝遺跡群 Shirataki sites  出典:日本旧石器学会HP ■ 後期旧石器時代 前半〜後半 27,000〜10,000年前 1 位置 白滝遺跡群は、北海道の屋根と呼ばれる大雪山系の北東山麓にある遠軽町白滝に位置している。白滝市街 の北北西6.5kmには 黒曜石の埋蔵量が数十億トンとも言われる赤石山があり、その南側を東西に流れる 湧別川の河岸段丘上を中心に100か所ほどの旧石器時代遺跡が分布している。 2 調査の経過 白滝遺跡群は日本における旧石器研究の黎明期である1950年代より注目され、多くの調査により北海道内、 さらには全国的な編年研究に影響を与えてきた。1980年代までの調査は比較的小規模なものが多かったが、 1995〜2008年に旭川・紋別自動車道の建設工事に伴う大規模な調査が行われ、調査面積・出土遺物とも飛 躍的に増加し、約14万uから752万点、11.8トンの石器が出土した。そのほとんどは旧石器時代に属し、 99%以上が黒曜石製である。これらの整理作業によって多くの接合資料が復元され、膨大な黒曜石資源を 背景とした原産地での石器製作の実体が解明されてきている。 3 石器群の概要 小型不定形剥片、広郷型ナイフ形石器、蘭越型・峠下型・美利河型・札滑型・幌加型・白滝型・紅葉山型 ・忍路子型・射的山型(広郷型)などの細石刃核、ホロカ型彫器、有舌尖頭器、小型舟底形石器などを含 む北海道内のほぼ全ての石器群が出土している。複数の石器群が検出される遺跡がほとんどで、また、複 数の遺跡から検出される石器群も多く、後期旧石器時代を通して人々が頻繁に白滝を訪れ、黒曜石を採取 し、石器作りをしていたことが確認された。 接合資料からは各石器群の技術的特徴(どのように割ったか)・利用原石形状(河原石か露頭の石か)・ 搬入形態(遺跡にどのような形で持ち込んだか)・搬出形態(遺跡からどのように持ち出したか)が復元 され、石材の補給方法の違いなどが明らかになってきている。年代は14C年代測定値で27,000年前から1万 年前の年代値が得られている。 (鈴木宏行)※ 写真提供 北海道埋蔵文化財センター [用語] 広郷(ひろさと)型ナイフ形石器 北海道特有のナイフ形石器。素材の鋭い縁辺を一部に残し、他をやや平坦な二次加工が覆うもの。 さまざまな細石刃核(さいせきじんかく) 北海道には、様々な細石刃製作技法によって残された蘭越型(らんこし)・峠下型(とうげした)・美利 河型(ピリカ)・札滑型(さっこつ)・幌加型(ほろか)・白滝型・紅葉山型・忍路子型(おしょろっこ) ・射的山型(広郷型)などの細石刃核が存在する。 ホロカ型彫器(ちょうき) 大型の石刃(細長い石片)を素材としてその端部を表面側に斜めに打ち欠いて鋭い刃を作り出した石器。



















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