Music: 収穫祭
  



− いみの'99 

池上・曽根遺跡 
1999.5.1 大型建物復元完成記念


 

大型連休のさなか、Wife・東江・服部さんの四人で大阪和泉市の池上曽根遺跡の祭りに行った。大阪府立弥生文化博物館の大型建物、くり抜き井戸が 復元したのを記念して、和泉市が開いた「いずみの国 弥生のまつり'99」というイベントだ。私以外はまだ復元した建物を見たことがないというので 楽しみにしていたが、WIFEなどテントの中ばかり覗いて廻っていた。





会場はこの二つの復元建物以外には何もない。
入り口に二つの溝(環壕ではない)の復元があったが、
本格的な歴史公園にはまだ1,2年かかるのだろう。





 
和泉地方の特産品や古代GOODS(土笛や曲玉ペンダント等)も販売していた。衣料品のバザー・コーナーはオバタリアンの群。
   

 
会場ステージでは、弥生博物館の学芸員による池上曽根遺跡の紹介に先立ってどこかの劇団による創作舞踊をやっていた。
卑弥呼は飛鳥左近という地元大阪の舞踊家だった。白粉を塗りたくった顔の卑弥呼だ。

  

神殿は薄板張りの扉を両側に持っている。なかなか重厚な扉である。
 

神殿の下は以外に高い。マンションの天井ほどあり垂直に階段もついている。緊急の脱出用かなにかだろうか?。
 

中は80畳敷きだそうで意外と広い。平均的な3LDK2戸分の広さだ。ここでどんな神事が行われたのか。
弥生の人々が神に祈った事とはいったいどんな事なのだろう。収穫、祖霊、勝利、平安、疾病回復、あらゆる祈念や凶事祈祷がおこなわれていたのだろう。
 

復元された大井戸は一本の木ではない。寄せ木である。もう現代ではこの大きさにくり抜ける木はクリだろうがクスだろうが存在しない。
すぐ下の写真と見比べてほしい。全く同寸法に復元してある。「一本の木をくり抜く井戸が一番格式が高い」と学芸員が説明していた。
 

 

 

2本の溝が発掘場所に復元されている。資料には「環壕」と記されているが、北九州の環壕を見てきた者にとっては
これを「環壕」と呼ぶには一寸どうかと思う。外敵から集落を守る為に作った堀を「環壕」だとすれば、これは明らかに
「溝」(みぞ)である。実際、防御のためというよりは、生活用水(取水、or 排水?)として用いるために堀ったようだ。

 

 






会場内展示パネルより。





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