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	キトラ古墳周辺に「壁画館」建設へ   asahi.com 2005年03月16日

	奈良県明日香村のキトラ古墳周辺の公園整備を図る国土交通省の検討委員会は15日、同古墳の石室から
	はぎ取った壁画を公開する「壁画館」の建設を盛り込んだ基本計画案をまとめた。はぎ取り作業を続けて
	いる文化庁も公開に前向きだが、開館時期は未定。  計画案では、壁画館は同古墳の北約80メートル
	に建設。床面積は約1300平方メートルで、円墳をイメージした外観にする。修復を終えた本物の壁画
	や、石室の原寸大模型を展示するほか、高松塚古墳や東アジア各地の古墳などとの違いが理解できる解説
	コーナーなども想定している。 このほか、キトラ古墳の周辺約14ヘクタールを公園として整備。飛鳥
	時代の里山を再現する。 




	キトラ古墳壁画体験館「四神の館」	「四神の館」公式HPより転載(以下青字全て)

	「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」は、国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区内にある、体感型施設で
	す。1階の「キトラ古墳壁画保存管理施設」では、実物の壁画や出土遺物を保存管理する施設となってい
	ます。実物の壁画は四半期毎に期間限定で公開する予定です。 地下1階の展示室は、キトラ古墳やキトラ
	古墳壁画を分かりやすく、楽しく学べる施設になっています。また、別館の体験学習施設では、毎週土日
	祝日に「勾玉づくり」や、鳥の鳴くような音が出る「バードコールづくり」など、飛鳥の歴史や自然を体
	験できる様々なプログラムを体験することができます。 

	■地下1階 展示室の概要 

	概要ゾーン  キトラ古墳に関するガイドや、石室の原寸大レプリカを展示。キトラ古墳に対する理解をよ
		り深めていただけるゾーン。  
	壁画ゾーン  キトラ古墳壁画に描かれていた「四神」が、高精細映像で実物の最大100倍規模で鑑賞でき
		るほか、天井には天文図が投影されます。  
	調査研究ゾーン  キトラ古墳の発掘・調査・研究に関する資料を展示。発掘道具の音声案内ガイドなどが
	設置されています。  

	<渡来文化と飛鳥>
	文化ゾーン  大陸から伝わった文化や、飛鳥時代に生まれた文化、当時の人々の生活を、2メートル四方
	のジオラマ等を通じて学んでいただけるゾーン。  

	■キトラの体験プログラム
	国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区では、飛鳥の歴史や自然を観るだけでなく、体験を通じて楽しみな
	がら学んでいただけるように、様々な体験プログラムを実施しています。体験プログラム詳細はこちらを
	ご覧ください。 

 	住所	奈良県高市郡明日香村阿部山67  
	開館時間   9:30〜17:00 ※12月〜2月は16:30閉館  
	休館日   12月29日〜1月3日  ※キトラ古墳壁画保存管理施設(1階)は、毎週水曜日閉室  
	入館料   無料  
	駐車場   第一駐車場:大型バス6台、乗用車20台  第二駐車場:乗用車42台  
	お問合せ   キトラ古墳壁画体験館 四神の館  TEL:0744-54-5105  







	キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。石室の天井には本格的
	天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四神や十二支の美しい絵が描かれています。飛鳥歴史公園内
	キトラ古墳周辺地区の南に位置しています。ここでは、キトラ古墳についてより詳しく学んでいきましょう。

	キトラ古墳とは

	キトラ古墳は、檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、
	テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測される。1983(昭和58)年
	11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平
	成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。

	名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名
	「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向に
	あるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎)から「亀虎」と呼ばれていたと
	いう説など、いろいろな説があります。

	造られた時代は?

	キトラ古墳は7世紀末?8世紀初め頃に造られたと推測されています。古墳時代と呼ばれる時代の終わり頃です。
	この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古
	墳そのものも小さくなりました。

	誰の古墳か?

	天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であること
	から右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が想像されています。また、金や銀を使った副葬品や豪華な装
	飾をほどこしたと推測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかります。

	古墳内の壁画について

	キトラ古墳壁画は、石室内部に塗った漆喰の上に繊細な筆づかいで描かれたものです。本格的な天文図や、四
	神像の全て動物の頭と人間の体をもった十二支像などが確認されている、学術上、価値の高い文化財です。




















	<四神像>

	●青龍
	天井石の隙間から流れ込んだ泥土によって多くの部分が隠れていますが、2本の角や大きく開いた口、長く描
	かれた舌と下アゴなどが確認できます。
	●白虎
	通常(高松塚古墳など)とは逆に頭が北を向いています。細身で首が長く、両眼を見開き、前脚を突き出した
	躍動的な姿です。耳の毛や黒目も細かく描写されています。
	●朱雀
	高松塚古墳では失われていた朱雀像がキトラ古墳には残っています。地を蹴って羽を広げ、今にも飛び立とう
	としているような躍動的な姿はたいへん珍しいものです。
	●玄武
	玄武像とは亀に蛇が絡まった像のこと。蛇の体には斑点模様が描かれ、亀の甲羅の縁には円模様が描かれてい
	ます。















	<獣頭人身十二支像>
	
	キトラ古墳壁画の特徴の一つは、動物の頭と人間の体で十二支をあらわした獣頭人身像が描かれていること
	です。古代中国では十二支の人形(俑)をおく習慣がありましたが、キトラ古墳の場合はこの人形を壁画と
	して描き、葬られた人の魂を守ったと考えられます。








	調査

	高松塚古墳壁画発見の直後、付近の住民から「近くに似たような古墳がある」と知らされ、これがキトラ古
	墳の発掘調査に繋がる糸口となりました。1983(昭和58)年にファイバースコープによる探査が行われ、石
	槨の奥壁に玄武と思われる壁画を発見。15年後の1998(平成10)年、上下左右に向きを変えるCCDカメラで探
	査し、青龍、白虎、天文図を発見しました。そして2001(平成13)年の調査ではデジタルカメラを用いて、南
	壁の朱雀を確認し、獣頭人身十二支像の存在も確認しました。

	保存

	文化庁が2003(平成15)年より石室内調査を開始。その結果、壁画は、そのままにしておいてはやがて崩れて
	しまう極端なもろさであることがわかったため、この壁画を守るため、2004(平成16)年8月より、日本で初め
	ての本格的な取り外しをおこないました。
	取り外した壁画は細心の注意をはらって修理、強化処理をおこない保存管理しています。古墳そのものは石
	室と同じ石材でふさぎ、埋め戻しました。壁画および古墳の研究・保存・公開などは奈良文化財研究所が主
	となって進めています。「キトラ古墳壁画体験館四神の館」1階の「キトラ古墳壁画保存管理施設」では、
	期間限定・事前登録制で壁画実物を公開します。










	<天文図>

	天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の科学的な天文図です。天の赤道や太陽の通り道である黄道が
	描かれ、大きな呪術的力を持つとされた北斗七星をはじめとする中国式の星座が配置されています。太陽と
	月も描かれています。





























キトラ古墳
	キトラ古墳

	キトラ古墳はもう、あまりにも有名な古墳である。近畿圏では1月間隔くらいで何か新聞記事が載る。
	奈良県明日香村大字阿部山にある直径約14mの古墳で、7世紀末から8世紀初め頃に作られたと推測
	されている。1983年、テレビカメラによる石室内の調査が行なわれ、玄武の壁画が発見され注目をあび
	た。さらに1998年の調査では、新たに白虎像、青龍像、天文図が発見された。2001年3月には、デジタ
	ルカメラによる内部撮影が行なわれ、新たに朱雀像が発見されたほか、玄武や天文図はこれまで以上に
	鮮明な画像が得られている。
	さらに、2001年12月の内部調査では、人物像らしき像が描かれていることも確認され、ますます注目度
	があがっている。古墳の被葬者は不明だが、石室内に壁画が描かれていることから、王族クラスの人物
	であることは確実される。ちなみに「キトラ」という名称の由来は不明だが、一説ではこの付近の地名
	であった「北浦」から来ているのではないかとも言われている。

	1998年3月の調査において、石室内の天井に天文図が描かれている事が発見された。国内の古墳壁画で
	天文図が発見されたのは、高松塚古墳に継いで2例目である。天文図には中国流の星座のほか、赤道、
	黄道、内規、外規といった4つの円も描かれており、星座を装飾的に配置した高松塚天文図に対して、
	こちらは科学的な星図に近い。
	同じ様な形式を持つ天文図には中国の淳佑天文図(1247年)、朝鮮の『天象列次分野之 図』(1395年)が
	現存するがキトラ古墳の天文図は8世紀に描かれたと推測されるので、今の所、これが世界最古の天文
	図である。 
 






























		上記に以下の日程で申しこんであります。但し1回に4人までですので、どなたかもう一人
		申しこんでいただければ大勢で行けます。宜しくお願いします。(文化庁のHPです)。

		第一希望日程:2月11日(土) 11:00〜12:15
		第二希望日程:2月12日(日) 11:00〜12:15
		第三希望日程:2月10日(金) 11:00〜12:15











 邪馬台国大研究/歴史倶楽部/219回例会・紅葉の明日香村を走る/font>