Music: 元興寺案内

元興寺へ

		
		静かにひっそりとした門がまず私たちを迎えてくれる。正門にあたる東門である。この東門は東大寺から移された歴史あるも
		のの一つである。ここから一歩中に入ると、本堂である「極楽坊」が静寂な雰囲気のなか佇んでいる。その極楽堂の後ろには
		奥行きのある大きな建物、禅室が建っている。境内にはたくさんの石仏や五輪塔が並んでおり、これらはこの辺りで発掘され
		たものを一箇所に集められたものである。また様々な草木が植えられており、季節ごとに美しい花を見ることができる。夏、
		たくさんの桔梗が石仏を覆うように咲く風景はとても美しい。

		元興寺は、蘇我馬子が建てた日本最古の本格的寺院の飛鳥寺が、平城京遷都に伴い今の地に移され名前が変わったもの。当時
		は広大な敷地に、金堂・講堂をはじめとする数々のお堂や塔が立ち並び、近隣の東大寺・興福寺と並ぶ大寺院だった。しかし、
		平安時代半ば頃から徐々に衰退していった。平安時代末期に僧坊の一室が念仏道場として使われはじめ、そこを「極楽坊」と
		呼ぶようになった。この極楽坊が次第に元興寺本体とは独立したお寺になっていった。この頃になると、寺を支えたのは国家
		でも貴族でもなく庶民だった。
		中世以降、智光曼荼羅を中心とする浄土信仰の民間信仰のお寺として栄えた。極楽堂には本尊として厨子内に祀った智光曼荼
		羅図が安置されている。曼荼羅図は特別な日に拝観することができる。収蔵庫では奈良時代に造られた国宝の五重小塔が安置
		されている。これは元興寺五重塔の雛型とも言われている。他に聖徳太子坐像、弘法大師坐像などの数々の仏像や像も安置さ
		れ、かつての民間信仰のなごりが感じられる。
		現在の極楽堂と禅室は国宝建造物になっている。かつて奈良時代に僧侶たちが住んでいた僧坊を鎌倉時代に改築したもの。
		これらの屋根の一部は、行基葺きという奈良時代特有の重ね葺きで、丸い瓦が美しく連なっている。その中の一部には飛鳥寺
		から移した瓦が今もなお残っている。
		永い歴史の流れの中、様々な災難を乗り越えてきた元興寺。歴史の重みを感じながらも、どこか懐かしさを感じさせてくれる
		のは、庶民の熱い信仰で守り続けられた寺だからかもしれない。(平成19年6月7日 元興寺案内アナウンス原典)




大沢池の側を南下して奈良町の中へ入る。程なく元興寺が見えてくる。





桜井から奈良への、古代の「上ツ道」の終点がここである。







奈良町をゆく。

































どうやら今日ここで結婚式が行われたらしく、タクシーが何台か往来していた。









ここが元興寺の収蔵庫。見学出来る。国宝の「五重の塔模型」は上野の「日本の国宝展」へ貸し出されていた。

















































願興寺前の広場のテントの中で昼食にする。通りの前のお店からビールを買ってくる。やっぱ、これがないとねぇ。



ここが考古学ファンなら誰もが知っている「元興寺文化財研究所」だ。数々の発見がここからもたらされた。しかしまるで民家である。













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 邪馬台国大研究/歴史倶楽部/201回例会・いままで行かなかった奈良を歩こう