Music: smoke gets in eyes

旅のおわり


		上が、能島を案内してくれたガイドさんが、島から博物館の食堂に電話して予約してくれた「鯛飯定食」です。千円
		しなかったと思う。昨夜に続いて尾頭付きが食えた。船が桟橋に着いて博物館の食堂へ入った途端、すわるやいなや
		7人分が出てきた。その後から食堂は満杯になって、泣く泣く帰って行く人達もいたので、多少後ろめたさも感じな
		がらゆっくりと食事を楽しむ事ができた。他にも2,3鯛飯を頼んでいる人がいたので、ここでは名物なのだろうと
		思う。ガイドさんほんとにありがとうございました。



		多々羅大橋は、広島県尾道市の生口島と愛媛県今治市の大三島を繋ぐしまなみ海道の橋である。完成年度当時は世界最大の
		斜張橋であったが、現在国内最長、世界では第5位斜張橋である。フランスのノルマンディー橋と同じ橋梁形式であること
		と、多々羅大橋完成時点で1位2位の関係であったことから、この二つの橋は「姉妹縁組」を結んでいるそうだ。姉妹橋と
		いうのは驚いたが、これぞ正しく架け橋ですな。





		瀬戸田PAで多々羅大橋をバックに最後の記念撮影。ベンチに座っていたどっかのオジサンが撮ってあげましょうと写して
		くれた。下は、私が手に広げているモノは何かなと拡大してみたら「平山郁夫」の展覧会のパンフレットだった。PAにあ
		ったものだが、どうして貰ってきたのか、またなぜ広げているのか全く忘れてしまった。近ごろ多いなぁ。





瀬戸内海ともお別れです。楽しかったね。ばいちゃ、ばいちゃ。又来る日までさようなら。又来るかしらん。




− 帰阪して− 新大阪にて反省会


山陽道、中国道、有馬方面への回り道、宝塚経由と渋滞を避けまくってようやく大阪に到着。河内さんお疲れ様、ありがとうございました。








会計係:大隈君作成。@2,000円の返金とは素晴らしい。大隈君ご苦労さんでした。

		やっぱり宿が安かったからやろうねぇ、一人3万8千円で済んだ。移動中の昼食や飲み代、全部込み込みでだからねぇ。
		私費は土産代1,000円とコーヒー代120円を使っただけだった。帰阪してからの反省会の費用も出てるしねぇ。

		松山の古代も楽しめたし、行きたかった村上水軍の跡地も訪問できた。なんたって能島村上水軍本拠地の能島に上陸
		出来たしなぁ。潮流体験もできた。私は大満足の歴史散策だったが皆さんはいかがだったでしょうか?

		自宅へ戻ってから「海賊の娘」を読み終えて、「あぁもっとゆっくり能島を見ておけば良かった」と思ってしまった。		



		これが皆さんが写した写真、その他の総計です。オリジナルからだいぶカットし、一枚づつリサイズ、マージ、ピント
		合わせ、トリミング等を施しましたので、HP化に3ケ月も掛かってしまいました。申し訳ない。またこの中からも、
		相当数重複をカットしましたので、最終的に計 1,000枚くらいになったかもしれません。写真を提供頂いた皆様、あり
		がとうございました。


		河原さんアルバム

		以下は河原さんから送って来たCDに入っていた画像です。河原さんは更に大阪に一泊して次の日東京へ帰ったはず
		なので、これは恐らく次の日に一人で大阪城を巡った時のモノだろうと思う。最初どこだか判らず、「あれぇー、こ
		んなお城なんか行ったっけ?」と不思議だったがよく見ると大阪城だった。せっかくなのでおまけに掲載します。
		河原さん、お連れさん写しておかなくて良かったですね。























河原さんも7,8年大阪に単身赴任していたので、懐かしさの余り廻ったモノだろうと思われます。



邪馬台国大研究/歴史倶楽部/200回記念例会・松山から村上水軍を訪ねて