Music: smoke gets in eyes

葉佐池(ハザイケ)古墳




		古代の息吹再生 「葉佐池古墳」 12日開園2014年07月08日(火) 愛媛新聞 

		 愛媛県松山市北梅本町の国指定史跡「葉佐池古墳」で、市教育委員会が進めてきた整備工事が完了し、12日に「葉佐池
		古墳公園」として開園する。古墳時代の葬送儀礼を解明する手掛かりとなった石室や、発掘調査結果を紹介するガイダンス
		棟を見学できる。 
		 葉佐池古墳は6世紀中ごろ(古墳時代後期)に築造された。長円形で、長さ約41メートル、幅最大約23メートル。
		1992年の発見以降、市教委などが発掘調査を進めてきた。未盗掘の横穴式石室には、木製のひつぎが大きさの分かる状
		態で残っており、被葬者に付着していたハエのさなぎの抜け殻が日本書紀などに記されている葬送儀礼の検証を可能にした。
		2011年2月、国史跡に指定された

我々はオ−プンして2ケ月後に来たのだ。



さすがにオープン直後だと駐車場も資料館も綺麗ですな。








		この辺りにはいっぱい古墳があったんだねぇ。古墳という埋葬方法はいったいどうやって広まっていったものだろう。
		倭人が渡来人の葬送儀礼を積極的にどんどん取り込んでいったとしか考えられんね。日本中にすごいスピードで広ま
		っていったものと思われる。何せ20万基ですぜ。47で割ると、各県に4,255基づつ古墳がある事になる。

		この葉佐池古墳は、古墳に石室が5つもあった事、主要な石室が未盗掘であった事、モガリが行われたと思える事等、
		古墳時代後期の古墳の有り様がはっきりと残った貴重な古墳である。発見は偶然であったが、調査が進むにつれそれ
		らの状況が判明し、その重要性から国指定の遺跡となった。形状は長円憤というユニークなものであり、古墳の形成
		過程を知る上でも貴重な古墳である。またそのような古墳が松山にあったというのも驚きだ。
		更に、未盗掘の1、2号憤以外はまだ本格的に調査されていないので、もしかしたらもっと凄いことになっている可
		能性もあるのだ。











しかしこの復元はちょっと綺麗すぎるような気がしないでも無い。何にせよどエラい豪族がいたんだろうね。





葉佐池古墳資料館























































古墳へ登る











おじいさんのけいぞうさんが正式なガイドで、孫のしょうま君が手助けをしている。しょうま君が案内してくれた。



上って直ぐの所に展望台が作ってある。なかなかいい景色だった。



「将来は考古学者になるんか?」「うん」「へぇー、偉いな、ガンバリや」「うん」あと15年もすれば結果がでるな。





「剣山とかこっから見えるんかな?」「あっち、あっちの方」「あ、あれか」





上で河原さんが写しているのが下の写真どす。おそらく。















石室の上には覆屋がこしらえてあった。



ごめんね。ここで皆さんが写している写真は没にしました。河原さんと私の写真が一番良かったので。











		首長の子孫は少なくとも二代以上にわたってここに葬られたのだ。古代人が腐っていく死体や白骨を日常見ていたとすると、
		古事記や日本書紀の「黄泉の国」の描写も、非常にリアリティーを帯びてくる。イザナミの腐っていく肉体を、イザナギは
		本当にみたのかもしれない。











上の集合写真を撮っているのが、たぶん下の大隈君です。ということは松ちゃんのカメラやね。それを撮ってるのは儂のカメラか。







この方角が確か剣山の方だったような。



古墳の廻りには現代の墓が作られている所が多い。やっぱり昔から墓所という概念が受け継がれていくからだろうね。







しょうま君は次に来たお客さん(見学者)を案内して又憤頂へ。豆考古学者は大忙し。



「エラいもんやねぇ。儂もこういう古墳に葬って貰いたいわ」「今から作っとけばええやんけ」「ナンボかかるやろ?」「ま、億やね」









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