Music: 人を恋うる歌



忍陵神社・忍岡古墳





	●忍陵神社

	所在地  大阪府四條畷市岡山2丁目7-12 
	主祭神  藤原鎌足 
	社格等  式内社(小)・村社 

	忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)は、大阪府四條畷市にある神社である。式内社で、旧社格は村社。神社名は、附近にある
	忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。忍岡古墳の丘の上にあり、戦国時代に
	岡山城が築かれた地と伝えられる。藤原鎌足を主祭神とし、熊野大神・品陀和氣命・馬守大神・大将軍神を配祀する。

	忍陵神社は、明治44年、津桙神社に近隣の2社を合祀し改称したものである。津桙神社の元の祭神は藤原鎌足・品陀和氣命・
	熊野大神であった。津桙神社は、創建の年代は不詳であるが、元は当地の古代豪族・津桙氏が祖神を祀っていたものが、後に
	応神天皇を氏神とされるようになったものとみられる。江戸時代までは新宮大権現と称し、天武天皇の時代に役行者が開基し
	たとの伝承もある。平安時代に熊野信仰がさかんになると、熊野大神が合祀された。元の鎮座地は現在地より南、岡山村坪井
	の通称・赤山であったが、江戸時代に現在地に遷座し、当地にあった鎌足社(祭神 藤原鎌足)を合祀した。明治5年(1872年)
	に旧岡山村の村社に列格した。明治44年に以下の2社を合祀した。

	・大将軍社(だいしょうぐんしゃ)
	・馬守社(まもりしゃ)




	<岡山城>
	岡山城は、三好長慶が飯盛山城を居城とした永禄3年(1560年)頃に飯盛山の北東にある忍岡古墳の丘陵を利用して築かれた
	支城として伝えられている。永禄、天正年間には当時の城主である結城氏が熱心なキリシタンで、キリシタン信仰の拠点とな
	る。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、徳川方の本陣として同地が使われ、勝利した事から縁起の良い所として御勝山と
	も称されるようになるが、当時の遺構は殆ど破壊されており 今では名残を見る事は出来ない。






















	●忍岡古墳 
 
	所在地  大阪府四條畷市岡山 
	形状   前方後円墳 
	規模   墳丘長87m 
	築造年代 4世
	埋葬施設 竪穴式石室 
	出土品  碧玉製釧 鍬形石 鉄製品 
	史跡指定 大阪府史跡 

	忍岡古墳(しのぶがおかこふん)とは、大阪府四條畷市岡山2丁目に所在する前方後円墳。忍陵神社境内にある。1934年(昭
	和9年)の室戸台風によって倒壊した忍陵神社の社殿を再建するために土台を掘り返した際に竪穴式石室が発見された。全長
	87mの前方後円墳で、墳丘には円筒埴輪が並べられていたようである。後円部に竪穴式石室があり、覆屋が設けられて保存さ
	れている。石室は長大な木棺を収めるための施設と推定され、長さは6.3m。石室内の遺物はすでに盗掘によって大半が失われ
	ていたが、碧玉製釧、鍬形石、紡錘車のほか、剣、刀、刀子、鎌、斧などの鉄製品があった。鉄製の小札が数枚出土している
	が、京都府の椿井大塚山古墳で出土している中国式の小札革綴冑の一部と推察される。1972年(昭和47年)に大阪府史跡に指
	定された。





















 邪馬台国大研究/歴史倶楽部/195回例会・四條畷の歴史探訪