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住吉平田神社
●【住吉平田神社】
祭神 : 住吉大神、平田大神
当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平・延喜年間(889〜923年)の頃、飯盛の麓に鎮座したとあるが詳細
は不明。嘉永6年(1853)の南野村庄屋、重右衛門の覚え書きに「平田住吉明神」と記され、住吉神社と平田神社が合祀され
た年代は寛延年間(1750)ではないかと推測されているが、記録文書は不明である。
住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)は、「みそぎ」「おはらい」の神格をもって出現し、210 年に、住吉大神は大阪
住之江に鎮座する。海の神である住吉社がどうしてこの地に祀られたのかは不詳。
社殿は、平成2年6月23日に再建立された。境内には稲荷神社・八坂神社がある。石燈籠は、寛文12年(1672)のもので、
四条畷市で最古のものである。また狛犬には、万延元年(1860)の年号が刻まれている。明治前半、小楠公の「四條畷の戦い」
の跡に、神社を建立して正行の偉業を称えようと熱心に運動し、政府へ嘆願書を提出したのは、当時の住吉平田神社の神主だ
った。
この228段の石段は北河内地方では一番長い。実は後で調べたら、四條畷神社の脇から飯盛山の中腹を横滑りしてここへ来
る道もあった。皆さんごめんちゃい。そう言えば、私が前回ココを訪れたときはそっちから行ったような気がする。
上をクリックして貰えば大きい碑文が読めます。
雪が降ったのはもう一週間くらい前だと思うが、まだ日陰では融けていない。
万延元年(1860)の年号が刻まれた狛犬。
余談であるが、万延元年(1860)は一年しか存在しない。改暦の年というのは古来から決まっており、翌年がその改暦の年だ
ったのだが、幕府は一年しか使わないと判っていても年号変更を急いだのである。それほど桜田門外の変が幕府に与えた衝撃
は大きかったとみるべきだろう。井伊直弼が暗殺されてから一月もしないうちに年号を万延に改めているのである。しかし改
元すれば禍(わざわい)が消えてゆくという発想は、為政者としてはあまりにも情けない。こういう幕閣ばかりだったから、
江戸幕府は滅んだとも言える。
邪馬台国大研究/歴史倶楽部/195回例会・四條畷の歴史探訪