Music: 花



秋玄寺の十三仏板碑


	秋玄寺十三仏板碑 (しゅうげんじじゅうさんぶついたひ)	寝屋川市HPより 

	板碑は、宝塔・五輪塔・笠塔婆などとともに石製の仏塔(卒塔婆)の一種です。板碑には供養される主尊(本尊)の種子(梵字)または
	仏像・題目が彫られています。十三仏板碑は、初七日から三十三回忌までの13回の供養・仏事を司る13の仏・菩薩・明王を主尊と
	するものです。
	十三仏板碑には、主尊が種子のものと像容で表現されるものの二者が存在します。14世紀(鎌倉時代末から南北朝時代)に出現した
	と考えられ、室町時代に数多くつくられるようになります。
	大阪府内では約30基が知られていますが、26基が半肉彫り図像(像容)のもので、室町後期(16世紀)から近世初頭(17世紀)に造立さ
	れています。このうち、北河内には17基が残っていて、生駒山地東側の奈良県のものを合わせて生駒山系には約50基があります。
	秋玄寺の十三仏板碑は、総高 114センチメートル、厚さ22センチメートルで、頂部は前にそり出しています。舟形の塔身部は幅5
	センチメートル程度の輪郭部分をもち、内部は一段彫り下げられています

	内部に下部から3・3・3・3・1で蓮華座上に乗る諸仏が配置され、上部に4本の瓔珞(ようかく)をおろしている天蓋が表現されてい
	ます。下部には、右から「壽□、道□、道□、道弥」の4人の戒名が刻まれています。また、輪郭部の左右の下部には、それぞれ
	「逆修□□□為也」、「永禄十三年庚午□月十三日(1570)」と刻まれています。
	市内では明光寺のものについで、2番目に古い遺品です。板碑は花崗岩(かこうがん)でつくられ、現在、自然石の台座の上に置かれ
	ています。

	問合先 文化スポーツ振興課 電話:824-1181(代表)





まさしく春爛漫 この季節で無ければ見れない光景だ。





	秋玄寺は1582年に一印秋玄によって開創されたと伝えられている。

 	寺 名 : 秋玄寺(しゅうげんじ)
	住 所 : 大阪府寝屋川市高宮2−8−18
	山 号 : 一印山
	宗 派 : 浄土宗
	開 山 : 一印秋玄
 	開 創 : 1582年
	本 尊 : 阿弥陀如来

	十三仏板碑は14世紀頃から出現してきたと考えられているが、多くは室町時代の建立のようである。大阪府の十三仏板碑は40
	〜50基あるといわれており、全国でも多い府県といえる。特に生駒山系には多く、奈良県も含めて50基ぐらいあるといわれて
	いる。秋玄寺の板碑は1570年の建立で、大きさでは最大の部類に入る。





秋玄寺の十三仏板碑(いたひ) 寝屋川市指定有形文化財

	板碑は、宝塔・五輪塔・笠塔婆などとともに石製の仏塔(卒塔婆)の一種である。板碑には供養される主尊(本尊)の種子(梵字)また
	は仏像・題目が彫られている。十三仏板碑は、初七日から三十三回忌までの13回の供養・仏事を司る13の仏・菩薩・明王を主尊と
	するもので、十三仏板碑には、主尊が種子のものと像容で表現されるものの二者が存在する。14世紀(鎌倉時代末から南北朝時代)
	に出現したと考えられ、室町時代に数多くつくられるようになる。




	大阪府内では約30基が知られているが、26基が半肉彫り図像(像容)のもので、室町後期(16世紀)から近世初頭(17世紀)に造立され
	ている。このうち、北河内には17基が残っていて、生駒山地東側の奈良県のものを合わせて生駒山系には約50基がある。



錦織さんが覗き込んでいる祠の真後ろの、下段中央にある石碑が十三仏板碑である。

	秋玄寺の十三仏板碑は、高さ114cm、上部の一番広いところで幅53cm、下部の台座に接するところで幅43cmあり、舟
	形をしている。板碑には、初七日不動明王から三十三回忌の虚空蔵菩薩までの仏事供養を司る十三の仏が刻まれている。
	板碑の下部左右の縁に文字が刻まれているが、判読しにくく、かろうじて右側には「逆修」、左側には「永禄十三年(1570)」と
	刻まれているのが読み取れる。「逆修」とは何か? 前回の四條畷にもあった。思いだされたし。



ピンクの前垂れが掛けてあったので後ろへ回して撮影。



 邪馬台国大研究/歴史倶楽部/196回例会・寝屋川市の古代を歩く