Music: smoke gets in eyes




	■日 時 :平成25年12月22日(日曜日)
	■集 合 :JR摂津富田駅 AM10:00集合
	■持 参 :弁当不要、替着、防寒着、雨具他
	■コース :JR摂津富田駅−

	12月の例会と納会	  投稿者:西本恆俊   投稿日:2013年12月14日(土)00時13分24秒      

	各位殿

	1昨日の忘年会楽しく過ごさせていただきました。有難うございました。
	井上さんには毎年クイズやその賞品の準備のお世話を頂き感謝しています。
	さて当日今月の例会は12月22日(日)に今年の企画展 「発掘された日本列島2013」 を見に行くこととなりました。
	博物館見学と少しのウォーキングと温泉にゆっくり浸り、その後反省会を今年の納会とすることになりました。博物館は高槻
	市の今城跡博物館 温泉は山の風景、里の風景屋上から眺望する大露天風呂 サウナ ジャグジー 電気風呂 薬湯 大湯船
	を備えた「美人湯温泉」です。(地下800mぐらいから湧き出る天然温泉です。)
	私の地元でもありますので、その日の計画を下記の通り立てさせていただきました。ふるって参加ください。

	集合 12月22日(日)10時 JR摂津富田駅 北口階段下 タクシー乗り場付近 (雨のときは2F改札前)
	行程  摂津富田駅ーーー今城塚博物館  徒歩20分
		企画展観覧 
		今城塚博物館ーーーーー祥風苑 美人湯 徒歩30分
		美人の湯 で入浴    入浴後祥風苑祥風苑でも食事できますがだめなら送迎バスで高槻駅まで出て納会
	時間  以上でお開き大体4時から5時です。 昼食は1時を回ること覚悟ください。

	なお 出来ましたら参加のご意向表明ください。
	井上さん 必要なら邪馬台国大研究 例会案内に記載ください。不要なら記載なしでも良いと思います。
                             						西本恆俊 拝

	参考に当日の地図をグーグルマップで確認しましたものを添付しました。各自直接マップを見てください。
	Aが摂津富田駅 Bが今城塚博物館 Cが温泉
	参考HP   今城塚博物館 と 祥風苑 美人湯 です。 
 


	年末近いからか本日の参加者は4名になった。おまけに西本さんはぎっくり腰になって歩けないとのことで、車で集合場所に
	やってきた。立っているのは平気だそうで、最終目的の温泉に入れば楽になるかも、との事で例会には参加したいが車で廻り
	たいとの事。なので、4人だしみんな車で廻ろうと言う事になって、ドライバーの河内さんを待つ。







	やってきた河内さんにドライバーを頼んで、西本さんが案内したいという郡衙(ぐんが)へ行く。郡衙とは奈良時代の役所で、
	このあたりは古代は嶋上(しまがみ)郡だったので「嶋上郡衙」という事になる。その前に、郡衙の中(?)にあった素戔嗚
	尊神社に寄った。







説明板によれば、この辺り一帯には郡衙の建物が立っていたと思われる。この神社は守護の為その中に鎮座していたのかもしれない。





この広場一帯も、郡衙の建物でひしめいていたのだろう。





高槻市は発掘した郡衙跡を買い上げて、フェンスで囲って将来の史跡公園化に備えている。











駐車場とは道路を挟んで反対側に、郡衙跡の縮尺展示場が作ってある。脇道を通ってそれを見に行く。















是が郡衙の1/3の縮尺である。レンガを敷き詰めた中に「門」とか「正殿」とかの位置を示す案内がある。





実際はこれの3倍の広さがあったのである。

	郡 衙	出典:ウィキペディア

	郡衙(ぐんが)は、日本の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所である。国府や駅とともに地方における
	官衙施設で、郡家(ぐうけ・ぐんげ・こおげ・こおりのみやけ)ともいう。
	郡衙施設は郡司が政務にあたる正殿・脇殿のほか、田租・正税出挙稲を保管する正倉、宿泊用の建築などから構成される。
	国司の所在する国府から間接支配程度の統制が行われ、郡司は旧国造などの在地有力豪族であることが多い。国府が整備される
	までは、郡衙がその地域の行政の中心であった。また、郡域が広域にわたる場合には別院の政治的拠点が存在していたと考えら
	れている。
	郡衙は国府所在地と異なり、郡衙所在地は立郡事情や政治的変遷により移転していることもあり、その特定がなかなか進んでい
	ない。近年は考古学における発掘調査の進展や既知の遺跡の再検討により、官衙施設に関係する大型建築跡や墨書土器、祭祀遺
	物、木簡などの出土遺物により、多数の官衙関係遺跡が発見されている。
	これらの成果により、国府と郡衙間、または郡衙と郡衙間を結ぶ古代の交通体系や、9世紀後半頃、国司の権限が大幅に強化され、
	受領化するとともに、郡司の権限は大幅に縮小され、全国的に郡衙が衰退したことがわかってきている。
	なお、1878年の郡区町村編制法によって編制された近代(明治・大正期)の郡の役所は郡役所と称する。

	<各地の郡衙>

	常陸国の11郡衙跡は11郡のうち2不明を除いて大体比定されている。新治郡は真壁郡協和町古郡、白壁郡は不明(真壁郡…真壁郡
	真壁町古城・源法寺)、筑波郡はつくば市平沢、河内郡はつくば市金田台、信田郡は不明、行方郡は行方郡玉造町内(?)、鹿
	島郡は鹿島市神野向、那賀郡は水戸市渡里、久慈郡は久慈郡金砂郷町薬谷・大里、多珂郡は高萩市内(?)、茨城郡は石岡市茨
	城に比定されている。 このうち常陸国新治郡の郡家(ぐうけ)である新治郡衙(にいはりぐんが)については、古くから知られ
	ており[1][出典 1]、1946年(昭和16年)から1943年(昭和18年)に発掘調査され、古郡の台地上に51棟の建物郡が確認されてい
	る。北部に25棟、西部に9棟、東部に13棟、南部に4棟。西部に庁屋、東部に不動倉が配置されている。これら建物跡の平面形は大
	小が見られ、12〜13メートル×9〜10メートルの大きさも建物が東部で8軒、北部で7軒、南部で4軒で最も多い。北部群中には48×
	14メートルの東西棟がある。西部では同一のものはなく、17×17メートル(方5間)と14×14メートル(方4間)がみられる。
	これらの建物配置から西部群に住宅風の庁屋、厨家と推測できる建物であり、あとの3郡は2列から4列に規則正しく並び、正倉・
	不動倉・倉庫などと考えられるている。 さらにこの郡衙跡に隣接して新治廃寺跡(氏寺=郡分寺か)、瓦窯跡、工房跡、須恵器
	窯跡などが確認されている[出典 1][出典 2]。

	志太郡衙は、駿河国志太郡家(ぐうけ)で、静岡県藤枝市南駿河台一丁目に所在する。別称を御子ヶ谷(みこがや)遺跡という。
	この郡衙は、大井川の形成する扇状地の北辺丘陵地帯にあり、東・西・南の三方を囲まれ、およそ130×120メートルほどの小さ
	な谷地形のなかに位置している。1977年(昭和52年)御子ヶ谷地区の水田地で多量の遺構(板塀で囲まれた区画の中に掘立柱建物
	群(30)・井戸・門・道路遺構、地名「志太」・官職名「大領」などを記した269点の墨書土器・木簡など)が発見され、地方官衙
	の可能性が出てきた。1980年(昭和55年)10月、「志太郡衙跡」として国の史跡に指定された。遺跡の建物群は南北・東西に方位
	をそろえ整然と配置され、西・東の二グループに分けられる。西半分には規模の大きい東西とを中心に井戸をもつ広場や南北棟が
	近接しており、中枢部分であると推定されている。東半分には倉庫・雑舎様の建物が密集しており、これを囲むように土塁状施設
	や杉板による板塀が設けられている。[出典 3]

	嶋上郡衙は、摂津国島上郡の郡家で、大阪府高槻市川西町・清福寺町・郡家(ぐんげ)新町に所在する。別称は郡家川西遺跡である。
	1970年(昭和45年)5月から翌年にかけての緊急発掘で、奈良時代の大型掘立柱建物群が検出され、井戸の底から「上郡」と記さ
	れた墨書土器(土師器)数点が出土した。続いての範囲確認調査で約三町の郡家域が想定され、1971年(昭和46年)5月に国の史跡
	に指定された。西側に伝継体天皇陵の今城塚古墳が存在する。8世紀には郡家が成立し、10世紀後半頃には崩壊していったと推定
	されている。[出典 4]

	京都府城陽市の正道官衙遺跡は、山背(山城)国久世郡の郡家と推定されている。大規模な正殿が広場に面して建ち、何棟かの建
	物が建ち並び、築地塀で囲まれている。8世紀の造営で、9世紀前半まで存続した。

	広島県の郡家遺跡として唯一発掘調査で確認されたのが三次市にある下本谷遺跡である。東西54メートル、南北114メートルの区画
	内に庁屋(ちょうのや)・副屋(そうのや)・向屋(むかいや)があり、倉庫群跡も確認された。奈良時代後半から平安初期まで
	に4回の変遷があった。遺跡は大部分破壊されてしまっている。

	郡山遺跡は、仙台平野中央部にあり、地方官衙の遺跡である。7世紀半ばから同末までの古い遺跡と7世紀末から8世紀初めまでの新
	しい遺跡が重なっている。後者の官衙遺跡には郡山廃寺と呼ばれる寺院が付属している。古い官衙の規模は南東~北西295.4メートル、
	南西〜北東560メートル以上で、長方形の平面形である。

	東山道・東海道の結節点に位置する甲斐国では4郡の郡衙がおむね比定されており、東海道から甲斐国府を結ぶ官道である甲斐路、
	甲斐国府から巨摩郡衙を経て東山道を結ぶ伝路を中心に各郡と信濃・駿河・武蔵の郡衙を結ぶ交通体系が存在していたと考えられて
	いる。

	<脚注>

	1. 水戸藩の学者中山信名は、『新編常陸国誌』で礎石・瓦多い所が昔の郡庁があったところであると述べている。

	<出典>

	1. a b 阿久津久「新治郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 
	  91-92ページ
	2. 糸賀茂男「常総のまつりごと 文化のあけぼのから兵の世へ」 長谷川伸三・糸賀茂男・今井雅晴・秋山高志・佐々木寛司
	  『茨城県の歴史』山川出版社 1997年6月 33-37ページ
	3. 八木勝行「志太郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 
	  95-97ページ
	4. 堀江門也「嶋上郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 
	  98-99ページ







クリックで大画面になります。




		史跡嶋上郡衙跡	出典:高槻市HP

		・史跡嶋上郡衙跡

		名称		史跡嶋上郡衙跡(しせき しまがみ ぐんがあと) 
		所在地		高槻市清福寺町・郡家新町・川西町一丁目他 
		時代・概要	奈良・平安時代 役所跡 
		備考		昭和46年5月、国の史跡に指定 

 

		・空から見た嶋上郡衙跡

		
		空から見た嶋上郡衙跡

		高槻・島本は古代の摂津国嶋上郡にあたり、ここを治めるために置かれた郡役所が、嶋上郡衙です。都や国の役所に
		ならって、儀式の場・庁院(ちょういん)や税を納める正倉などが整えられていました。
		庁院の西側には郡寺(芥川廃寺)、北に位置する式内社・阿久刀(あくと)神社周辺には嶋上郡の郡司(長官)一族の住
		まいがありました。また山陽道をはさんで西方の郡家今城遺跡、南方の津之江南遺跡は、郡衙と盛衰をともにした遺
		跡と考えられています。

		・上郡の墨書のある土器 

		
		上郡の墨書のある土器 

		嶋上郡衙跡周辺では、ここ35年ほどの間に約300か所近くで発掘調査が行われ、たくさんの建物や倉庫、道路などが
		みつかっています。なかでも、直径40センチメートルを超える庁院回廊の柱や、径1.2メートルの大木をくりぬいた
		厨(くりや)の井戸枠、石組井戸から出土した「上郡」の墨書土器は、嶋上郡衙の存在を確かなものにした重要な発
		見です。まじないに使った墨書土器や銅銭なども出土しています。


		・嶋上郡衙とその周辺(想像図) 

		
		嶋上郡衙とその周辺(想像図) 

		山陽道の北側に郡役所、その西側に郡寺や倉庫群が建ち並び、嶋上郡の政治・経済の中心だったと考えられています。


		・嶋上郡衙跡の仮整備地 

		ここが今我々の居る嶋上郡衙跡の仮整備地 である。
		嶋上郡衙跡の仮整備地 

		史跡の中心部にあたる川西小学校北西側の一画には、庁院を3分の1の大きさで、平面表示しています。

		高槻市 教育委員会 教育管理部 文化財課
		電話:072-674-7652
		ファックス:072-674-7032
		E-mail:bunkazai@city.takatsuki.osaka.jp



本日のメイン1です。
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前出の高槻市の郡衙跡説明には「式内社・阿久刀(あくと)神社周辺には嶋上郡の郡司(長官)一族の住まいがありました。」とあった。

























本日のメイン2です。温泉「美人の湯」。男が入るとイケメンになるのかしらん。





ま、私はあえて湯に入らずとも十分イケメンですが。



これは建物の前にある「足湯」である。龍の口から湯がでて下へ流れ込む。




	なかなかいい風呂だった。屋上の露天風呂からは周囲が見渡せて爽快だったが、冬の木枯らしが吹き込んでなかなか湯からでれ
	なかった。露天風呂へカメラを持ち込んで裸の男たちを写そうとしたが、館内は一切撮影禁止だった。そう言えば「女湯」はど
	こにあったんかねぇ。




	汗を出し切って呑むビールは最高だった! 車を運転して帰る西本さんはノン・アルコールである。腰痛でアルコールは御法度
	ではあるが。最近のノン・アルコールは味も香りも本物そっくりだそうである。ただ酔わないだけらしい。昔はまずくて呑めた
	もんじゃなかったが。
	一人ずつの「地鶏鍋」を頼んだのだが、西本さん、河内さんは鶏肉が固いとこぼしていた。地鶏だからこれくらいの固さは当た
	り前なんだが。私が子供の頃の鶏肉はもっと固かったが旨かったよねぇ。


	
	腕に付けたキーだけで全て館内の支払いは済む。最後にキーを渡して支払いを済ますと、ロッカーの鍵を渡してくれる。昔から
	大阪市内のサウナはこういうシステムだったが、郊外の温泉もこんなシステムになってるとは。ま、便利でいいけどね。上左の
	レシートは一人分です。キーを一人ずつ読み取るので、自動的に割り勘にしてくれる。と言うか、それしか出来ない。誰かが代
	表で払うという手はあるが、誰も言い出さなかった。




	
	解散後、JR岸辺駅で降りて長い陸橋を渡る。岸辺駅は今、梅田から貨物駅が移転してくるので大拡張中である。凄い広さにな
	って陸橋を歩くのに一苦労。バス停も南口から北口へ移ったので、阪急正雀駅へ行くのがめちゃ遠くなった。



		皆様お疲れ様でした。今年の締めくくりは温泉で、一年の垢を落としましたね。また来年もいろいろ歩きましょう。
		一年間ご苦労様でした。良いお年を! and a Merry christmas!! 明後日24日は私の誕生日でござんす。
		全世界があたしの誕生日を祝います。


邪馬台国大研究/歴史倶楽部/193回例会・2013発掘された日本列島展