Music: 柳生十兵衛






柳生の剣豪の里での史跡めぐりを終え国道からそれて、いよいよ奈良まで続く柳生街道へ。ここは判りにくかった。背後の山道が柳生街道である。




	なだらかな上り坂がつづき、あたりはうっそうと杉の木が茂る。道は比較的整備されており歩きやすい。しばらく歩くと道路わきの
	大きな岩に彫られた石仏が見えてくる。六体地蔵てある。地図では「中村の六地蔵」となっていた。







	さらに進むと右手に、大きな岩の正面に彫られた疱瘡地蔵がある。疱瘡地蔵は疱瘡除けに作られた高さ3mの石仏で、元応元年
	(1319)という古い銘があるそうだが、読めない。






			大きな石の右下に文字が刻まれているが、これは、借金棒引きをうたった全国まれな徳政碑文である。
			「正長元年ヨリサキ者 カンヘ四カン カウニ ヲヰメアル ヘカラス」と書かれているそうだ。





この疱瘡地蔵を見て河内さんは、15年前に来たのを「思い出した」と言っていたが、私は全く思い出さなかった。あの時は乾さんもいたな。









鬱蒼たる杉林の中を通る柳生街道を進んで行くと、



やがて阪原峠となる。阪原峠を越すと、今度は急な下り坂となる。一人浮いてますな。


		なおも下っていくと、視界が開け、田畑の向こうに集落が見える。阪原の集落だ。下りてきたら、
		うら若きお姉ちゃんが田圃の草刈りをやっていた。感心、感心。












このお藤の産んだ子が柳生列堂である。妾の子だからか、柳生家の一門にはならず芳徳禅寺の住職となって柳生家の菩提を弔っている。



お藤は毎夜、宗矩の元へはこういう姿で忍んだそうです。


	
	民家の間を抜ける道は、曲がりくねってわかりにくいが、要所要所に東海自然歩道の案内標識が出ている。柳生街道は、ほとんどが
	東海自然歩道となっている。









	
	曲がりくねった道を、「東海自然道」の案内標識に従って行くと、南明寺にさしかかる。南明寺本堂は鎌倉時代に建てられた一重寄棟
	造で重要文化財、素朴な味のある建物だ。本堂に安置されている木造の釈迦如来(平安後期)、薬師如来(平安初期)、阿弥陀如来
	(平安後期)も重文だというが、ココは非道かった。





南明寺本堂(重文)





	
	何か余程腹に据えかねた事でもあったのか、境内への立ち入りを一切禁止している。15年前に来た時はそんなことは無くて、ここで
	十分休憩させて貰ったのだが、境内に入ると奥から住職らしき人が出てきて我々を睨みつけた。マナーの悪いハイキング客に閉口した
	のかもしれないが、この措置はいただけない。「仏の道」や「衆人の幸を祈る」はずの坊主かこれでは、やがて仏道も地に落ちよう。





曲がりくねったのんびりした田舎道を行く。やがて、奈良市青少年野外活動センターの裏へ出る。そこから再び山道に入る。



すぐに下りとなってまた視界が開け、今度は大柳生の集落になる。





うまくわかるかなと心配だった水木古墳に辿り着いた。田畑より少し高台になった丘の上に作られた単独の円墳である。



墳丘の土は全てとり除かれている。





結構大きな石室である。単独でここにぽつんと有るところを見ると、確かに此の地方の首長の墓である可能性は高い。柳生の祖だったりして。









	
	田園風景の中を忍辱山を目指して歩く。例会案内に以下の様に書いたので、皆さんバスの時間を気にしてめちゃ急ぎ足になる。
	
	柳生街道随一の名刹円成寺

 	道路標識に従い田園風景が広がる街道から再び山道に入りしばらく歩むと、やがて柳生街道随一の名刹である円成寺が見えてくる。
	山奥の寺としてはそれなりの歴史のある寺で桧皮葺きの楼門、舞台付寝殿造りの本堂は共に重要文化財で、境内の奥まったところに
	ある小さな春日堂・白山堂は日本最古の春日造り社殿として国宝に指定されている。境内に入り、ぐるっと一巡後、一服をかねて本
	堂の軒下の階段に腰かけて、後は奈良へのバスに乗るだけである。

	円城寺口から市内へはバス約29分 (100番14:01/94番16:08発)650円。14:01には間に合わないと思うので、16:08分で奈良駅へ戻り
	ます。これを逃すともう一日バスはありません。お疲れ様。
	
	実はこの後17:00代にもバスは有るのだが、16:08分に何とか乗ろうと考えたのがアダとなって、みんな急ぐ急ぐ。私はいざとなった
	ら「忍辱山」手前の「大柳生」のバス停でバスに乗ればいいと思っていたので、十分間に合うはずなのだが、知らないみんなは16:08
	分に遅れまいと必死だった。



















「大柳生」のバス停前にあった旧「大柳生村」の村役場の跡。今は公民館が建っている。



	
	ここから、「大柳生」のバス停に残る人(河内さん、松ちゃん)、次の停留所へ行こうとして途中で断念した人(大隈君、筑前)、
	忍辱山まで歩いた人(錦織さん、靖さん、橋爪君)に別れた。この辺りはどこで手を挙げてもバスは止まって乗せてくれるので、
	車道を歩いていれば必ずバスには乗れるのである。奈良市内(街中。柳生も今では奈良市内である。)へ入ってくると、その自由
	乗降車は出来なくなる。「大柳生」で二人、「途中(手を挙げて)」で二人、忍辱山で三人とバスに乗ったが、座れたのは「大柳生」
	から乗った二人だけだった。




	連休だからだろう、行きも帰りもバスは満員で、約1時間立ちっぱなし。近鉄奈良駅でバスを降りるのも、最初に降りた私が、河内
	さん達が降りてくるのを待つまで5,6分かかった。

	この後私を除く皆さんは奈良市内で反省会。私は今DIET中で酒が飲めない(呑めるのだが、呑んだらDOCTORと喧嘩になる)ので、
	今回の反省会はパス。体重を含め健康診断の数値が下がらなければ、更にDIETが続くことになるのである。



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