Music: 星に祈りを

2013.2.16(土曜日)

新発田城から新発田駅へ。新発田市の資料館が「ふるさと会館」の中にあると資料にあったので、その位置を確かめに観光案内を
訪ねた。下はそこで貰った資料。このあたりでは五十公野山(いじみのやま)は有名らしく、一帯にいろんな施設や学校が点在し
ている。





表高五万石とは、江戸幕府が認定している石高である。それを実質二十万石にするとは、さすが名君だねぇ。
江戸時代には表高以上に実質石高を増やした藩がいくつかある。全て藩主が英邁だったから出来る事で、反対に何もせず(出来ず)
結局、領知返納(倒産)した藩も幾つかある。
薩摩や長州のように、むちゃくちゃな施策(借金踏み倒しや抜け荷(密貿易)等)をとって大きくなった藩もあるし、表高一万石
で、領地内に全く米はとれないのに一時、実質十万石を誇った松前藩など、江戸時代の藩の経営は調べて見るとさまざまで実に面
白い。山陰のある藩では藩主承認の上で、幕府に禁止されている大型船を建造し、外国と密貿易をしようとした藩もある。これは
発覚して処罰されたが、江戸時代の藩主たちはそれぞれ藩の経営には四苦八苦していたのである。
その点ここの溝口秀勝公は、領知開墾というまっとうなやり方で藩財政の基盤を作ったのだからエライ!

堀部安兵衛はその人の曾孫なんだ。


ここに資料館があるはずだったのだが、最近市の文化財センターが近くに出来たそうで、考古資料は全部そっちへ持って行ったと
の事であった。「せっかく大阪から来たんでっせー」という声に、当番のオバサンはアチコチ電話してくれたが、土曜日でセンタ
ーは閉まっていた。残念。それでも考古資料以外のものは残っていたので、それを見学した。オバサンは可愛くて、独身の渡辺君
は気に入ったようだったが、当然人妻であった。




これは見たかったかもしれない。





















































































後に相撲協会理事長となった時津風(豊山)はこの街の生まれで、生家もすぐ近くだという。

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