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歴史倶楽部 第183回例会 冬の洛北をゆく 千本ゑんま堂 2013年1月27日(日) 京都市北区






鞍馬口通りに面して「天然温泉 船岡温泉」がある。天気は良かったが気温は低かったので「入ったら湯冷めしそうやな」と素通り。










	引接寺 千本ゑんま堂	出典:ウィキペディア
 
	所在地 : 京都府京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34
 	山 号 : 光明山
	宗 派 : 高野山真言宗
	本 尊 : 閻魔法王
	創建年 : 寛仁元年(1017年)
	開 基 : 定覚(小野篁とも)
	正式名 : 光明山 歓喜院 引接寺
	別 称 : 千本閻魔堂

	引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺院である。一般には千本閻魔堂(せんぼん えんまどう)の
	通称で知られている。春の念仏狂言で知られる。
	寛仁年間(1017 - 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝
	承のある小野篁(802年 - 853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。
	安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記さ
	れている。
	1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられ、京の名所と町衆の姿を描いた 国宝《洛中洛外図屏風》(米沢市上杉博
	物館蔵)の左隻右上に千本ゑんま堂が描かれている。その境内では銘桜普賢象(ふげんぞう)桜や十重石塔とともに、ゑんま堂狂言
	「閻魔庁」を演じている様子が描かれている。
	千本ゑんま堂大念佛狂言は、昭和39年(1964年)に後継者不足が原因で途絶える。昭和49年(1974年)不審火によって狂言堂が焼け、
	狂言衣装も焼失する。しかし、翌年には焼け残った狂言面をもとに千本ゑんま堂狂言保存会が結成され、狂言堂は仮建築ながら再建さ
	れ、以前の西陣講中を中心としたメンバーや一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、以降復活した狂言二十数演目が毎年境
	内で公開されている。





境内へ入って左手に消防署があって、その玄関屋根の上にデカい閻魔像が安置されている。本堂の中にあるのとおなじものだろうか。



これが本堂。







閻魔様の顔はホンマに怖いね。これでにらまれたらチビリそうやわ。今の子供は閻魔様知ってるかねぇ?




	人はやはり人だけの世界では生きてゆけないのではないだろうか? 以下は、2006.7.7に、渡邊勢山大仏師の工房を訪ねた時の体験記
	コーナーに書いた文章である。そのまま転記する。

	戦後教育で自然科学を学んだら、理論的に、死後の世界や天国などが物理的に存在しているという者はいないだろうと思
	う。人は死んだら個体として消滅するのであり、霊魂やオーラが存在して現世に何らかの影響を及ぼす事などありえない。
	しからば、人はなぜ仏様の像を見たら手を合わせて拝むのか。キリスト教徒はなぜ毎日曜ごとに教会に集まって歌うのか。
	人が人しかいない世界が全てだとしたら、目いっぱい金儲けをして、法律など気にせずに、好き放題やって死んでいくの
	が一番のはずではないか。もっとも、最近はそういう傾向があるにはあるが、それでも大多数の人々はそうではない、金
	や権力や名声を超えたものの存在を信じたがっている。
	そうなのだ。人々はそういう人智を超えたものの存在がほしいのである。それが無ければ、人間は人間たり得ず、ただの
	少し賢い動物と同じである。人類には「神」が必要なのだ。「仏様」に天から見ていてほしいのである。本当は、それは
	とりもなおさず自分の心の中にあるのであるが、それを認識・再確認するために仏像や教会は必要なのだ。

	もし世界には自分しか居ないのだとしたら、自分が死んだら世界は終わりだとしたら、そもそも「軍隊」などという組織
	はあり得ない。軍隊では十中八九、自分の死が前提だから、「死」を超えて守るべきものの価値をどこかに見いだしてこ
	そ、人は軍隊に参加できる。それは家族であったり国家であったり、人によってさまざまかもしれないが、死を超えたも
	のの存在を信じるからこそ死ねるのではないか。そこには自分以外のものの存在がある。

	人は仏像を目の前にして、天国やあの世を考えるのではない。今の自分を考えるのである。「自分、ちゃんと生きてるか?
	お天道様に恥ずかしくない生き方をしているか? 精一杯生きたか、やりたいことはもう無いのか?」

	人が自分だけで生きてるのではなく、それを超えた存在があって自分もあるのだという事を思い知るために、特に我々日
	本人には仏像が必要なのだろう。それが仏と向き合うということなのかもしれない。

	閻魔様も同じだろう。本堂の右裏手には、石仏がいっぱい並んだ「供養池」がある。供養したいことを短冊に書いて池に流すらしい。
	鐘楼流しのようなもんかね。









これが「紫式部供養塔」である。石塔は仏教では十三段と決まっているので、この十段の石塔は珍しい。下は紫式部のブロンズ(?)像。











 
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