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天神社 歴史倶楽部 第169回例会 9月25日(日)






	ここは情報が無い。西本さんは「てんじん しゃ」ではなくて、「てん じんじゃ」ではないかと言う。どっちにしても呼び方は
	「てんじんじゃ」だろうと思うが、ネットでは「あまつかむやしろ」等の呼び方もある。守山市のHPや、滋賀県のHP、神社仏
	閣のHP等々を見ても、名前は載っているが由緒・祭神を書いた物はなく、現地でも説明板はなかった。ここの住所は、守山市川
	田町 1371-1 で、すぐ側にも「天神社」があった。地元のおじさんの話しではどっちかが分社だろうと言う事だったが、どっちが
	そうなのかオジサンも知らなかった。守山市のHPによれば、守山市には以下3つの「天神社」がある。

	天神社 滋賀県守山市荒見町404 
	天神社 滋賀県守山市川田町1371-1 
	天神社 滋賀県守山市川田町1143 




	通常「天神」と言えば、御霊信仰の代表的事例である菅原道真の事を指し、彼を祀る「天満宮」のことを「天神」とも言う。北野
	天満宮(京都市上京区)、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、大阪天満宮(大阪市北区)などが有名であるが、社名はだいたい、
	天満神社(てんまんじんじゃ)であり、道真の生前の名前から、菅原神社(すがわらじんじゃ)となっているところもある。故郷
	福岡市に「天神(てんじん)」という所があって、西鉄電車はここから各地へ発進しているが、これなども近くに天満宮があった
	ことからその名前になっている。まれに、天神を祀るということから天神社(てんじん しゃ)となっていることもある。

	しかし、菅原道真とは全く何の関係もない「天神社」もある。天津神を祀る神社がそれで、各地にある天神社はそれぞれ素戔嗚尊
	やその他の神々が祀られている。これは菅原道真とは関係がない。ここの天神社はどういう由来を持っているのだろうか。誰かご
	存じのかたはお知らせ下さい。

	<*> 明治から昭和初期にかけての神道国家管理時代は、「宮」号は祭神が基本的には皇族であり、かつ勅許が必要であったた
		め、例えば太宰府天満宮が太宰府神社と改称させられたように、「天満宮」と称していた神社も「神社」・「天神社」・
		「天満神社」などと改称させられていた。「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)」



雰囲気からしてどうも菅原道真とは関係なさそうな気がする。



梅も植わっていないし、牛の像もない。せめて祀神を書いた物でもあればなぁ。



	天神社の隣に小さな公園のような広場があって、<淡墨桜の里>という看板があった。

	<淡墨桜の里>
	守山市河田町(川田?)喜多には淡墨桜の古木が有り、喜多自治会により保護活動が行われ毎年花を咲かせている。また、岐阜県根
	尾谷より送られた淡墨桜の若木も満開の花が咲くようになった。

	とネット内にあった。



天神社から南下して行くと30分ほどで「下之郷遺跡」である。上右、前方に遺跡で何かやっているのが見える。



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