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葛木御県(かつらぎのみあがた)神社
歴史倶楽部 第177回例会 5月27日






この神社の鎮座地は、住宅の脇から入り込むようなところで非常にわかりにくい。


	葛木御県(かつらぎのみあがた)神社

	【延喜式神名帳】葛木御縣神社(大 月次/新嘗) 大和国 葛下郡鎮座 
	【現社名】葛城御県神社 
	【住所】奈良県葛城市葛木68 
	【祭神】劔根命 (合祀)天津日高日子番能瓊瓊杵命 
	【例祭】10月13日 例祭 
	【社格】旧村社 
	【由緒】創立年代不詳
	    貞観元年正月27日從五位上
	    大同元年(806)「葛木御縣神二戸備前」『新抄格勅符抄』
	    正平15年(1360)兵火
	    正平24年〈1369〉再建
	    明治6年(1874)村社
	【関係氏族】葛木氏 
	【鎮座地】延宝8年(1680)八月埴口陵(飯豊天皇ノ山陵)に合祀される
	     元治元年(1864)9月分離、独立して旧地に鎭座
	     人家密集のため、旧社地の西100mの現在地に境内地を定め鎮座された
	【祭祀対象】大和国六御県 
	【社殿】本殿春日造銅板葺   割拝殿 




	葛城御県神社(かつらぎみあがたじんじゃ)は、奈良県葛城市葛木(旧新庄町)にある神社である。新庄と葛木との境に鎮座する。
	新庄中学の東、約80mに鎮座していて平地の神社である。天津日高日子番能瓊々杵命を祀っていたが、明治年間天剣根命を追祀した。
	葛城地方には剣根命の後と伝える葛城国造がおり、天武天皇十四年( 685)六月に忌寸(いみき)姓を賜っている。




	『姓氏録』神別の条に、葛木忌寸は高御魂命五世の孫、剣根命の後とあり、高木氏の祖神とみられる。『三代実録』貞観元年( 859)
	従五位上に昇叙され、大和の六県社の一つで、すでに大同元年( 806)の『新抄格勅符抄』に備前国に封戸二戸をあてられ、延喜の制
	で大社に列して案上官幣に預かっている。 




	国造と並称されるものに、県(あがた)の首長としての県主がある。葛城には葛城県が設けられていたが、そこでは在地の中小豪族が
	県主に任じられて地方統治権を認められていた。葛城県は、大和の六県(高市・葛城・十市・志貴・山辺・曽布)の一つであった。
	これら六県をはじめ、畿内に多く分布する県は、大王に仕え、雑菜や氷などを貢献し、王権に強く隷属する性格をもっていたと考え
	られる。大和朝廷によって任命された県主は、祭祀・奉献などに当たる部族共同体の長であったが、彼らによって祭られた土地神
	(産土神)が、御県神である。




	祭神の「劔根命」、どっかで聞いたことのある名前だが思い出せない。確かに我々が回った神社のどっかにも祀られていたように思
	うがもう記憶が定かでない。いかんねぇ。

	 『日本書紀』によると劔根命は初代の葛城国造であり、地主神として当神社の祭神になったものと思われる。『新撰姓氏録』には、
	高御魂命の五世孫に「劔根命」の名が登場し、劔根命之後也として大和国神別に「葛木忌寸」、河内国神別に「葛木直」、和泉国神
	別の「荒田直」が出てくる。 また、未定雑姓右京に大辛、天押立命四世孫劔根命之後也とある。 
		
	「神武二年二月二日、天皇は論功行将を行われた。道臣命は宅地を賜り、築坂邑に居らしめられ特に目をかけられた。また大来目を
	畝傍山の西、川辺の地に居らしめられた。今来目邑と呼ぶのはこれがそのいわれである。椎根津彦を倭国造とした。また弟猾に猛田
	邑を与えられた。それで猛田の県主という。これは宇陀の主水部の先祖である。弟磯城−名は黒速を磯城の県主とされた。また剣根
	を葛城国造とした。また八咫烏も賞のうちにはいった。その子孫は葛野主殿県主がこれである」
	
	高御魂命とはあまり聞きなれない名前だが、高皇産霊命を「高御魂命」と表記することもあるようだから、高皇産霊命の別名である
	可能性もあるか。とすれば、「高御魂命=高皇産霊命=高木の神」の五世孫が「劔根命」となる。ううーむ。
	しかしもともとこの神社は天津日高日子番能瓊瓊杵命を祀っていたとあって、「劔根命」が合祀されるのは明治5年だというから、
	ますますもって、ううーむ、となる。

	<天津日高日子番能瓊瓊杵命> ・・・・・
	『古事記』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀』では天饒石国饒石天
	津日高彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(にに
	ぎのみこと)と書かれる。
 




	葛城御県神社	出典:「インターネット百科事典ウィキペデイア」

	葛城御県神社(かつらぎみあがたじんじゃ)は、奈良県葛城市葛木(旧新庄町)にある神社である。式内社で、旧社格は村社。大和国に
	6つある御縣神社の1つである。
	劔根命を主祭神とし、天津日高日子番能瓊瓊杵命を配祀する。ただし、元々の祭神は天津日高日子番能瓊瓊杵命であり、劔根命は明治5
	年に祀られたものである。劔根命は、日本書紀に神武東征の論功行賞により葛城国造に任じられたと記される人物である。
	創立の年代は不詳である。元々は現在地より100メートル東に鎮座していた。延喜式神名帳に「大和国葛下郡 葛木御縣神社」と記載され、
	大社に列している。
	いつの時代からか境内に八王山西光寺が建立され、後に神社の方は衰えた。1601年(慶長6年)、当地の領主桑山氏は自らの産土神である
	尾張国海東郡の諸鍬神社を三才山(伝飯豊天皇陵)に勧請し、それに当社を合祀した。
	1864年(元治元年)、葛城御県神社を諸鍬神社より分離し旧社地に復しようとしたが、その地には西光寺があるため、その西の現在地に
	遷座した。1874年(明治6年)に村社に列格した。

	★所在地 : 奈良県葛城市葛木68 
	★アクセス: 近鉄新庄駅より 徒歩7分



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