Music: here come the sun
やけにコンクリートの多い建物だと思ったら案の定、安藤忠雄の設計だ。あの御仁はセメント業界からナンボか貰っとるんかな。
熊本県立装飾古墳館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊本県立装飾古墳館(くまもとけんりつそうしょくこふんかん)は、熊本県山鹿市鹿央町にある考古学博物館。国の史跡に指定されて
いる岩原古墳群の一角に立地しており、また周辺には県指定史跡の岩原横穴墓群が並んでいる。
文化庁が1979年に提唱した「風土記の丘」設置構想の一環として、熊本県が菊池川流域の山鹿市・鹿本郡鹿央町(現・山鹿市)・玉名
郡菊水町(現・和水町)の3地区を指定し、「肥後古代の森」として整備を進めた。ここ熊本県立装飾古墳館は、その中心施設として
1992年4月15日に開館した。建物の設計は、くまもとアートポリス事業の一環として建築家の安藤忠雄が担当した。
・常設展示室 菊池川流域を中心に、県内の遺跡・出土品を紹介・展示。
・第二常設展示室 山鹿・鹿央・菊水の史跡・出土品の紹介・展示。
・企画展示室 年2回の企画展・特別展。
・装飾古墳室 菊池川流域をはじめ、県内の12か所の古墳の精密なレプリカを展示。
・屋外展示場 舟形石棺・レプリカ等を展示。
・所在地 〒861-0561 熊本県山鹿市鹿央町岩原3085番地
・開館時間 9:30〜17:15(最終入館16:45)。
・休館日 月曜日及び年末年始(12/25〜1/4)。
・入館料 一般:410円(団体:290円)、大学生:250円(団体:180円)、中学生以下・身体障害者:無料。(団体は20名以上)
・交通
<バス>
熊本市方面:熊本交通センターより産交バス「山鹿行き」乗車。(乗り換え)山鹿バスセンターより産交バス「米の岳経由玉名行
き」で「県立装飾古墳館入口」下車。徒歩15分。(約1時間40分)
玉名市方面:玉名駅より産交バス「米の岳経由山鹿行き」で「県立装飾古墳館入口」下車。徒歩15分。(約1時間10分)
<自動車>
九州自動車道菊水インターチェンジより:約15分。
九州自動車道植木インターチェンジより:約15分。
熊本市より国道3号で約60分。
・分館 歴史公園鞠智城・温故創生館 - 熊本県鹿本郡菊鹿町(現・山鹿市)から菊池市にかけて広がる国の史跡「鞠智城」
の一角に立地。
エントランスを抜けると、吹き抜けの壁に広開土王碑の拓本複写が飾られている。デカい。実物大だ。
これは私の実家の近くにある珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画だが、10年位前に見たときでも、もうかすれて消えかかっていた。
これはまだ見たことが無いが、こんど帰省したら見に行こうかな。開館時期を調べていかないと。
ここには行った。でも同様に全くこんな風には見えなかった。ここに掲示してあるのは全て書かれたときの状態の復元原画である。
「古代熊本は鉄」を印象づけ、証明する出土品。
装飾古墳 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
<「装飾古墳」とは>
装飾古墳(そうしょくこふん [英: mounded tomb with decorated chamber walls])とは、古墳内部の石室や石棺、また崖面に造られた
横穴墓の壁面に絵画や文様が描かれたものの総称である。墳丘を持たない横穴墓も含まれる。日本全国に約600基見られるが、大半が
九州地方、特に熊本県に集中している。200基あまりを熊本県が占め、日本一である。山鹿市のチブサン古墳などが有名。
装飾古墳の分布については、全国に600ぐらいあり、その半数以上に当たる340基が九州地方に、100基が関東地方に、50基が
山陰地方に、40基が近畿地方に、約40基が東北地方にあり、その他は7県に点在している。
古墳時代初期から装飾が施されていた。初期には刳抜式石棺(くりぬきしきせっかん)の側面や蓋の上に、 中期には組み合わせ式長持
ち石棺の蓋の上面、家形石棺の蓋および棺の内側や外側、箱形石棺にも、そして、5世紀前半頃には横穴式石室にも彫刻や彩色の方法で
装飾が施され、さらには石室内全体にまで及んだ。
装飾方法は、浮き彫り、線刻、彩色の3手法があり、浮き彫りや線刻に彩色するなどの併用手法を用いている。最初期の装飾手法は、彫
刻が主流であり、線刻は一部で用いられ、浮き彫りが多く、彩色は赤色顔料だけである。5世紀ごろになると彫刻されたものに赤色以外
の色が使用されるようになる。6世紀になると浮き彫りを基調とする彫刻がなくなり、基本的には彩色だけで文様が描かれるようになり、
石室の壁全体に図柄が描かれるようになる。7世紀末から8世紀初めの奈良県高松塚古墳やキトラ古墳は、装飾古墳とは系統を異にする
もので壁画古墳と呼び分けている。
装飾古墳に描かれた文様には幾何学的・抽象的な直弧文(ちょっこもん)・蕨手文(わらびてもん)・鍵手(かぎのてもん)文・円文・
同心円文・連続三角文・菱形文・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)・区画文などがあるが、何を表しているのか分からない文で
ある。 次に、具象的な図柄では盾・靱(ゆぎ)・甲冑・刀・船などの武器・武具・その他の器物や人物・馬・鳥・蟾蜍(ひきがえる)・
朱雀などである。 人物や鳥獣には大陸文化に影響が認められる。
4世紀?7世紀頃に造られ、古墳時代の中では後期に位置する。
<主な装飾古墳一覧>
全国で約6000基余りがあるとされるが、主なものだけを挙げる。(赤字は私が訪れたところ)
・東北 泉崎横穴 :福島県西白河郡泉崎村
・関東 太子唐櫃古墳:茨城県新治郡出島村(現: かすみがうら市)大字安食字田子内 - 前方後円墳
虎塚古墳 :茨城県ひたちなか市 - 前方後円墳 - 後期
花園古墳 :茨城県桜川市
船玉古墳 :茨城県筑西市
・関西 高松塚古墳 :奈良県高市郡明日香村 - 円墳
・九州 石人山古墳 :福岡県八女郡広川町大字一条人形原 - 前方後円墳
剣塚古墳 :福岡県福岡市博多区竹下3丁目 - 前方後円墳
珍敷塚古墳 :福岡県浮羽郡吉井町(現: うきは市)大字富永字西屋形 - 円墳
日ノ岡古墳 :福岡県浮羽郡吉井町大字若宮若宮八幡宮境内 - 前方後円墳
王塚古墳 :福岡県嘉穂郡桂川町大字寿命坂元 - 前方後円墳
竹原古墳 :福岡県鞍手郡若宮町
五郎山古墳 :福岡県筑紫野市大字原田字五郎山 - 円墳
双六古墳 :長崎県壱岐郡勝本町(現: 壱岐市)立石字東触 - 前方後円墳
鬼ノ岩屋古墳:大分県別府市北石垣字塚原 - 円墳
千代丸古墳 :大分県大分市大字宮苑字千代丸 - 円墳(7世紀前半)
チブサン古墳:熊本県山鹿市大字城字西福寺 - 前方後円墳
石貫ナギノ横穴群:熊本県玉名市大字石貫字ナギノ - 横穴
木造の、円い屋根を持った「鹿央物産館」というところで昼食にしたのだが、私だけ違うランチを頼んだらデザートにスイカが付
いてきた。みんなも食べたいというので追加で注文して食べていたら、「スイカは果たして野菜か果物か」という話題になった。
西本さんは「木になるのが果物で、畑でとれるのが野菜でしょう。従ってスイカは野菜です。」と言う。誰かが「じゃ、イチゴも
木にならないから野菜ですか?」とすったもんだ。オバチャンに聞いてもトンチンカンな答えをしたので、ちょうどそこへ入って
きたJAの(ような感じの)おっさんに聞いてみると、おっさんの答えが奮っていた。
「食べるまでは野菜で、食べてるときは果物です。」更に、「食べ終わったらツケ物です。」と後で言っていた。
後日ウィキペディアで調べると以下のようになっていた。
スイカ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
分類
界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 : スミレ目 Violales
科 : ウリ科 Cucurbitaceae
属 : スイカ属 Citrullus
種 : スイカ C. lanatus
学名 Citrullus lanatu
和名 スイカ(西瓜)
英名 Watermelon
スイカ(西瓜、学名: Citrullus lanatus)は、果実を食用にするために栽培されるウリ科のつる性一年草。また、その果実のこと。
原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯。 日本に伝わった時期は定かでないが、室町時代以降とされる。西瓜の漢字は中
国語の西瓜(北京語:シーグァ x?gu?)に由来し、スイカという発音も広東語のサイクワァが日本語に訛り変化したものである。
中国の西方(中央アジア)から伝来した瓜とされるためこの名称が付いた。
夏に球形または楕円形の甘味を持つ果実を付ける。果実は園芸分野では果菜(野菜)とされるが、青果市場での取り扱いや、栄養学
上の分類では果物あるいは果実と分類される。
つまり、野菜でもあり、果物でもあるのだ。ケンカ両成敗、チャン、チャン。
上の写真は、熊本在住「林(陪塚姉妹)さん」が「おもしろい古代史の掲示板」に投稿していたものをいただいた。
邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 168回例会・熊本県立装飾古墳館