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2011年納会・幕末の京都をゆく 芭蕉堂・西行庵 2011.12.25





	<芭蕉堂>
	京都市東山区円山公園南。この堂は、江戸時代中期、俳聖松雄芭蕉をしのぶため、芭蕉にゆかりの深いこの地に加賀の俳人高桑蘭更が
	営んだのが始まり。鎌倉時代の初め、諸国を旅して自然を友とした西行が、この地に阿弥陀房を訪ねている。芭蕉は、この西行を心の
	師とし西行を慕って旅の生涯を送ったが、この地で  しばの戸の 月やそのまま あみだ坊   の一句を詠んだ。
 



















	<西行庵>
	西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月23日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・
	僧侶・歌人。 父は左衛門尉佐藤康清、母は監物源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(西行の娘)がある。俗名は佐藤
	義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
	彼が結んだとされる西行庵は複数あるが、京都の皆如庵は明治26年(1893年)に、当時の庵主宮田小文法師と富岡鉄斎によって、再建
	されて現在も観光名所として利用されている。その他にも、吉野山にある西行庵跡が有名である


















邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 172回例会・2011年納会・幕末の京都をゆく