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2011年納会・幕末の京都をゆく 建仁寺・魔利支尊天 2011.12.25









	摩利支尊天堂(まりしそんてんどう)

	建仁寺の塔頭寺院のひとつで正式名称は禅居庵という。本尊の摩利支尊天は太陽の陽炎(かげろう)が神格化されたもので、「開運・
	勝利」の鎮守で正式名称は禅居庵(ぜんきょあん)という。摩利支尊天はもともとは、三つの顔と六本の腕を持ち、頭には宝冠、身に
	は甲冑を着け、七頭の猪に乗っているインドの軍神である。尊天の使いとして、境内にはあちこちで狛犬ではなく、狛イノシシやイノ
	シシの置物、祈願絵馬が見られる。




	開山清拙正澄禅師は、1326年(嘉暦1)北条高時の詔により中国から日本へ渡るに際して「摩利支尊天像」を袈裟に包んで将来し、
	当地に祀った。本尊を祀る摩利支天堂は鎌倉時代後期の創建で中世の禅宗建築の様式を残している。摩利支天を信仰すれば、いっさい
	の災難をのぞき、身をかくす術を得ると信じられ、近いこともあって、現在は開運を願って祇園花街の芸・舞妓や多くの人たちのお参
	りが絶えない。








	摩利支天は陽炎(カゲロウ)を神格化した女神で、陽炎のように目に見えなくとも常に身近に居て、月日に先立って進み、進路の障害
	になるものや厄を除き、利益を施す。武士の間でも戦勝の神として信仰され、出陣に際しては鎧の中に秘めてお守りとされた。軍神と
	される一方、五穀の結実を豊かにする農業の神ともされる。摩利支天像は、三面六臂で、走駆する猪に乗っているとされるものが多い。
	ここから、猪が神使とされた。 
















2012.5.20 再訪

	摩利支天を出たところの道路の反対側に小さな浮世絵の販売所がある。例会時には素通りしたが、2012.5.20に、高校同窓会の「歴史
	ウォーク」で摩利支天を訪ねたときには、おばさんがいたせいか、長々と見学するはめになった。当主がお出ましになり、色々と話を
	伺った。聞けば「京都最後の、浮世絵摺り師」だそうである。飾ってある浮世絵は全部この人が手で摺ったもので、版木も見せてくれ
	た。昔からTVやマスコミの取材も相当受けているようで、特集された雑誌等も拝見した。






















邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 172回例会・2011年納会・幕末の京都をゆく