Music: Twilight Zone
2011年納会・幕末の京都をゆく ゑびす(恵比寿)神社 2011.12.25



	<ゑびす(恵比寿)神社>

	京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれている。その起源は約 800年
	前土御門天皇の建仁2年(1202年)に、禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたもの。
	今日多くの人はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージするが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の
	「御札」の形態が広まったものである。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ち
	ず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となった。 




	えびす神社	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	えびす神社(えびすじんじゃ)は、えびす或いはヒルコ或いは事代主を祭神とする神社。
	えびす神社は全国に点在し、夷神社、戎神社、胡神社、蛭子神社、恵比須神社、恵比寿神社、恵美須神社、恵毘須神社などと表記する。
	また正式名では「えびす」の語を含まない神社であっても、祭神がえびすである場合「○○えびす神社」と通称されることもある。
	またおもに関西地域では、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称される。
	蛭子神社の中には、読みが「えびすじんじゃ」ではなく「ひるこじんじゃ」のものがある。これはヒルコ(蛭子神)を祭祀しているか
	らであるが、祭神がヒルコであっても読みを「えびすじんじゃ」とする神社もあり、これはヒルコとえびすが習合・同一視されるよう
	になったためである。また逆に祭神がヒルコではなく事代主であっても蛭子神社とする神社もある。




	えびす神社	(続き)

	ヒルコ神系

	西宮神社(兵庫県西宮市)         ヒルコ神系のえびす神社の総本社。 
	西宮神社(栃木県足利市) 
	桐生西宮神社(群馬県桐生市) 
	蛭子(ひるこ)神社(神奈川県鎌倉市) 
	西宮神社(長野県長野市) 
	柳原蛭子神社(兵庫県神戸市兵庫区) 
	堀川戎神社(大阪府大阪市北区) 
	蛭児遷殿(大阪府大阪市北区大阪天満宮境内) 
	石津太神社(大阪府堺市西区)       ヒルコと事代主の両方の神を祀る。 
	名古曽蛭子神社(和歌山県橋本市) 
	胡子神社(広島県広島市中区)       ヒルコと事代主の両方の神を祀る。 
	蛭子(ひるこ)神社(徳島県那賀郡那賀町) 



京都企業の献奉が多いが、松下幸之助、Panasonicの奉納石碑も立っている。


	えびす神社	(続き)

	事代主神系

	美保神社(島根県松江市)         事代主神系のえびす神社の総本社。 
	大前神社・大前恵比寿神社(栃木県真岡市) 
	大国神社(群馬県高崎市高崎神社境内)   大国主を祀る社殿に事代主を併祀。 
	飯能恵比寿神社(埼玉県飯能市諏訪八幡神社境内) 
	恵比寿神社(東京都渋谷区恵比寿西)    JR東恵比寿駅の西約60メートル。恵比寿ガーデンプレイス内にも社殿がある。 
	宝田恵比寿神社(東京都中央区日本橋本町) べったら漬発祥の地。日本橋七福神散歩の1つ。 
	恵比須神社(若狭ゑびす)(福井県三方上中郡若狭町) 
	蛭子神社(三重県名張市) 
	京都ゑびす神社(京都府京都市東山区) 
	蛭子神社(京都府与謝郡伊根町青島)    境内には3基の鯨墓がある。 
	今宮戎神社(大阪府大阪市浪速区) 
	野田恵美須神社(大阪府大阪市福島区)   明治時代に祭神を事代主と解釈し神社明細帳に記載。 
	布施戎神社(大阪府東大阪市布施) 
	堺戎神社(大阪府堺市堺区菅原神社摂社) 
	石津太神社(大阪府堺市西区) 
	石津神社(大阪府堺市西区)        石津神社と石津太神社はともに論社として最古のえびす社とされる。 
	ねや川戎(住吉神社)(大阪府寝屋川市) 
	尼崎えびす神社(兵庫県尼崎市) 
	稲爪浜恵比須神社(兵庫県明石市稲爪神社摂社) 
	南市恵毘須神社(奈良県奈良市) 
	三輪坐恵比須神社(奈良県桜井市三輪) 
	蛭子神社(徳島県徳島市南沖洲) 
	恵比須神社(愛媛県伊予市伊豫稲荷神社境内) 
	若松恵比須神社(福岡県北九州市若松区) 
	十日恵比須神社(福岡県福岡市博多区) 
	今山恵比須神社(宮崎県延岡市) 
	恵比須神社(沖縄県那覇市) 




	えびす	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	日本の神。七福神の一柱。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的。外来の神や渡来の神。客神や門客神や蕃神
	といわれる神の一柱。
	神格化された漁業の神としてのクジラのこと。古くは勇魚(いさな)ともいい、クジラを含む大きな魚全般をさした。
	寄り神。海からたどり着いたクジラを含む、漂着物を信仰したもの。寄り神信仰や漂着神ともいう。
	蝦夷(えぞ、えみし)の別称。未開の民や東国の武士をさし、または外国人の蔑称。 
	--------------------------------------------------------------------------------
 
	えびすは日本の神で古来から漁業の神である。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさん、えべっさん、
	おべっさんなどとも呼称される。えびすはえびす神社にて祀られる。日本一大きいえびす石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とさ
	れている。

	<日本古来の神(漁業の神・市神・福神)としての変遷>

	現在では一般に七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神であるが、それは中世以降の信仰で、由来
	をたどると非常に複雑な経緯を持つ。 
	「えびす」を称する神は複数あって、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の
	子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。そのため、えびすを祀る神社でも祀られる神は必ずしも同一ではない。
	また少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。留守神という神格も後に与えられた。神無月を参照。 

	<外来の神(客神・門客神・蕃神)としての変遷>

	様々な記紀神話の神に当てられるえびすだが、いずれの神も後世の付会であって、元来の姿ではない。えびすの漢字に戎や夷などが当
	てられている事は、中央政府が地方のまつろわぬ民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、戎や夷の字を当てたのと同じこと
	で、いずれも異邦の者を意味する。 
	「えびす」という神名の文献における初見は平安時代後期の『伊呂波字類抄』であるが、そこには「夷 エビス 毘沙門」と記されてい
	る。少し時代が下った『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」とある。 
	古い時代、えびすは毘沙門天や不動明王を本地仏とする神格として信仰されていたことがわかる。えびすの神像も古い時代のものほど
	威厳に満ちたものとなっており、この時代のえびすは「荒々しい神」として信仰されていたものとみられる。端的にいえば記紀神話以
	外の外来神・蕃神である。

	<クジラ(海神・漁業の神)としての変遷>

	本来の神格は異邦より村に時たま訪れる外来物に対する信仰(神)であり、海の向こうからやってくる海神である。日本各地の漁村で
	は近年までイルカやクジラやジンベエザメなど(これらをまとめてクジラの意味である「いさな」と呼ぶ)を「えびす」とも呼んで、
	現在でも漁業神として祀っている地域も多数ある。 
	クジラなどの海洋生物をえびすと呼んだ理由としては、それらの生物は餌となる小魚群やプランクトン群を追うところ、人間の漁獲対
	象であるカツオなどの魚もしばしば同じ餌を追って行動を共にしている点にあるのではないかと推測される。 
	つまり、クジラなどが出現すると漁獲対象魚も一緒に出現する相関関係があるため、クジラが豊漁をもたらしてくれると理解されてい
	たのではないかと考えられる。 

	<寄り神信仰(漂着神)>

	主に漂着したクジラを指し、古くは流れ鯨・寄り鯨(座礁鯨)といった。予期せぬクジラの到来により、思わぬ副収入を地域が得たり、
	飢饉から救われたという話が数多くあり、「鯨 寄れば 七浦潤す」「鯨 寄れば 七浦賑わう」などといわれ、日本各地で似たような話
	が伝承されているが、特に能登半島や佐渡島や三浦半島で、寄り神信仰として残っている。特殊な例として、海外からの漂着物(生き
	物の遺骸なども含む)のことを「えびす」と呼ぶ地域もあり、漁のときに漂着物を拾うと大漁になるという信仰もあるという。 
	漁業に使う網の浮きに神が宿り正月などに祀る地域があるが、四国の宇和島周辺や隠岐などでは、その浮きのことを「えびすあば」
	(あばとは浮きのこと)と呼んでおり、えびすが漁業神であることを示す好例である。 
	九州南部には、漁期の初めに海中からえびすの御神体とするための石を拾ってくるという風習があるという。これらの民俗信仰は、え
	びすの本来の性格を比較的とどめているものと考えられる。 

	<他の神との習合>
 
	えびすが蛭子命や事代主に結び付けられたのは両神とも水に関連していたためである。えびすを蛭子命と結びつける説は鎌倉時代頃に
	現われたものである。記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったため流し捨てられたとされる。その神話を受けて、
	流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、その海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、2
	つの神は同じ神だとされるようになった。
	その漂着した地の伝承は各地にあるが、その代表が兵庫県西宮市の浜で、そこには蛭子命系のえびす神社の総本社である西宮神社があ
	る。また、えびすのことを夷三郎と呼ぶのは、『日本書紀』において3番目に生まれたことに由来するとされる。
	一方、事代主神は託宣の神といわれ、記紀神話においても直接に水との関連はない。しかし、記紀神話の中の国譲りの項で、天津神か
	らの国譲りの要請を受諾するかどうかを大国主神の使者が事代主に聞きに訪ねたとき、事代主は釣りをしていたとされ、その海で釣り
	をする姿とえびすの海の神であることが結びつき、同一の神とされるようになったといわれる。
	七福神の絵図でえびすが釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれるのは、この事代主神の話に基づくものである。また、えびすと大黒は
	親子とも言われるのも、事代主の父親である大国主命が大黒天と習合した事による。
	なお、えびす信仰が生まれる以前から事代主神を祀っていた神社で、後にえびすを祀るという形にしたものも多数ある。逆に、明治維
	新の際に国学の神道理念によりえびすや蛭子といった神格を軽視し、祭神名を事代主神に改め、由緒も書き換えた神社も存在する。

	<市神、福神としてのえびす>
 
	平安時代後期には、えびすを市場の神(市神)として祀ったという記録が有り、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮内に市神としてえびすを祀っ
	たという。このため、中世に商業が発展するにつれ商売繁盛の神としての性格も現れる。それは同時に福神としても信仰されるように
	なり、やがて七福神の1柱として数えられるようになる。福神としてのえびすは、ふくよかで「えびす顔」の言葉どおりの笑顔で描写
	されている。
	なお、えびす神は一般的に耳が遠いとされており、そのため神社本殿の正面だけでを参拝するのではなく、本殿の裏側にまわり、そこ
	にあるドラを叩いて願い事をしなくてはならないとされる。したがって今宮戎神社などえびす神を祀る本殿の裏にはドラが用意されて
	いる。

	<えびす講>

	民間信仰として一般の民衆に広く知られるのが、「えびす講」における「えびす」である。このえびす講は、えびすを神として祭り、
	五穀豊穣・商売繁盛・家内安全を願って行われる。






	昭和7年に起きた出来事の主なものは、

	1月	1月8日  - 朝鮮人李奉昌が天皇の馬車に爆弾を投げる(桜田門事件) 
		1月25日 - ソ連・ポーランド不可侵条約締結 
		1月28日 - 第一次上海事変 
	2月	2月9日  - 前蔵相井上準之助が東京本郷で血盟団員小沼正に暗殺される(血盟団事件) 
		2月22日 - 上海戦線にて陸軍一等兵3名が爆弾筒を抱え相手陣地に突入し爆死(「爆弾三勇士」事件) 
	3月	3月1日  - 満州国が建国宣言 
		3月5日  - 三井合名理事長團琢磨が血盟団員に暗殺される(血盟団事件) 
	5月	5月5日  - 第1次上海事変: 上海停戦協定調印 
		5月9日  - 天国に結ぶ恋心中事件 
		5月14日 - チャップリン来日 
		5月15日 - 五・一五事件で、犬養毅首相が殺害される 
	7月	7月4日  - 日支紛争の実状調査にあたるリットン調査団が来日 
		7月30日 - 第10回ロサンゼルスオリンピック 開幕(?8月14日) 
	8月	8月2日  - ドイツ総選挙でナチス党が圧勝 
    11月	11月8日 - 米大統領選挙で民主党ルーズベルトが現職フーヴァーを破り当選 
		11月29日 - 仏ソ不可侵条約調印 

	などであるが、殺伐とした社会情勢の中でこの鳥居は立てられている。昭和の「壬申の乱」に匹敵しそうなものは、ありませんなぁ。



2012.5.20、例会から半年後に再び訪れたら、この日は年に一度の大祭の日だった。東山一帯がお祭り気分だった。



邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 172回例会・2011年納会・幕末の京都をゆく