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2011年納会・幕末の京都をゆく 四条から建仁寺へ 2011.12.25




陀枳尼尊天


四条の歌舞伎座前を南下し、途中から東へ通りを一本入る。そこに「豊川稲荷・陀枳尼尊天(だきにそんてん)」がある。



最初は何と読むのか判らなかった。陀枳尼(だきに)なんて聞いたこと無い。




	この解説はわけわからん。「中興の祖」って、陀枳尼尊天は神様じゃん。しかも仏教の神様? 豊川稲荷は神社だし。「神仏習合」
	と「神仏分離令」によってわけわからんようになったんやろね、おそらく。
	NETによれば、

	興雲庵(こううんあん)は、臨済宗建仁寺派大本山建仁寺の塔頭。中国(元)の台州(浙江省)出身の僧侶・石梁仁恭(せきりょう
	にんきょう)を開基として、鎌倉時代後期に開かれた。陀枳尼尊天堂は興雲庵の鎮守社。

	とある。どうやら「寺院か神社か」といういつものパターンである。陀枳尼尊天を調べてみると、

	陀枳尼尊天には数種類の漢字(陀枳尼天、荼吉尼天、押枳尼天、他にも)が当てられており、元来は女夜叉鬼で人を呪うという恐ろ
	しい鬼であったが、仏教に帰依してからは福財をもたらす神として崇められるようになったと云われている。
	
	とあり、

	我国では平安期を境に稲荷神と同体説が言われるようになっている。原始稲荷明神。

	などの記事がある。一方「豊川稲荷」は、

	日本三大稲荷の一つと言われ(京都市伏見区の「伏見稲荷」、愛知県豊川市の「豊川稲荷」、茨城県笠間市の「笠間稲荷」)、通称
	名の「豊川稲荷」は神社ではなく寺院である。正式には円福山 豊川閣 妙厳寺と号し、御本尊千手観音立像を祀る寺。世間では「豊
	川稲荷」の名で広く知られるその「稲荷」とは、妙厳寺の鎮守社として祀られる荼吉尼天のこと。

	との事で、わけわからん。









上左が、陀枳尼尊天の本堂








建仁寺








	建仁寺	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦
	如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。
	京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝
	える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵してい
	ることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号
	は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。なお、よく日本最初の禅寺と言われるが、これは間
	違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。

	日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西(ようさい、えいさい)がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)
	に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋
	はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年
	(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、
	禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に
	建立された寿福寺の開山となる。その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠
	点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。

	創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背
	景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、鎌倉建長寺の開山)が11世住職
	として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。
	建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物
	は残っていない。






	これは方丈ではありません。社務所のようなところです。下が「方丈」です。ウィキペディアから持ってきました。我々の訪問時、
	方丈には幌(シート)がかかっていて、何か工事中でしたから、気がついた人はいないかもしれませんね。




上は方丈の庭です。是非再訪問してみて下さい。建仁寺の「両足寺」は、私の好きな「伊藤若沖」の絵を所蔵しています。やはり鶏です。















	法堂(はっとう)
	仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(講堂にあたる)を兼ねている。明和2年(1765年)の建立。また、平成14年(2002年)創建800年を
	記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。

下が法堂の天井に描かれた双龍の絵。







上は本尊の釈迦如来像


















法堂はさすがに堂々としていて皆さん写しておりますな。











下の写真は靖さんが写したものだが、どこの写真ですかね?






邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 172回例会・2011年納会・幕末の京都をゆく