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現れる邪馬台国

野洲川河畔に邪馬台国を探る 歴史倶楽部 第169回例会 9月25日(日)


	第169回例会 琵琶湖岸にあった一大弥生遺跡群!

	伊勢遺跡・下之郷遺跡・服部遺跡に見る弥生遺跡群と、その出土物

	<日時> 9月25日(日) AM10時15分<集合>  JR琵琶湖線(東海道線)「守山駅」改札前 
		  ・近江バスが1時間に1本しかありませんので、時間厳守をお願いします。この日、10:28分の前は8:38分
		   です。
	(1).大阪から	09:00出発09:55到着時間:55分(乗車55分、ほか0分)運賃:片道1,110円
		大阪09:00〜09:55 9駅 JR東海道本線新快速・長浜行  − 守山 
	(2).京都から	09:37出発10:06到着時間:29分(乗車29分、ほか0分)480円
		京都 09:37〜10:06 9駅 JR東海道本線快速・米原行  − 守山
	(3).奈良から	08:43出発10:06到着時間:1時間23分(乗車1時間15分)運賃:片道1,110円
		奈良08:43〜09:29 7駅 JRみやこ路快速  京都  09:37〜10:06 9駅 JR東海道本線快速・米原行  −  守山
	<コース>
		・JR守山駅(10:28発) −近江バス服部線「埋蔵文化財センター」下車(10:48着) − 埋蔵文化財センター 
		 − 服部遺跡 −(徒歩)− 下之郷遺跡 − 伊勢遺跡(看板があるかないか?)−JR守山駅(16:00頃?)
		(埋蔵センターで聞いて、見学が難しければ「伊勢遺跡」はカットするかもしれません。)

	<装備> ・弁当、お茶、雨具、その他(野洲川河畔にて昼食の予定)
	<概要>(解説・写真は守山市HP、守山市立埋蔵文化財センターHP等から転載)

	野洲川下流域の扇状地・三角州には古代からの集落遺跡が数多く出土しています。この地域の古代遺跡・遺物としては、野洲町南東部の
	大岩山で大量に出土した銅鐸やその周辺古墳群が有名であり、また白鳳期の寺院とされる野洲中学校辺りにあった福林寺、守山市吉身町
	の益須寺(推定)などがあります。ここでは野洲川の水の恵みをたよりに稲作を開始した弥生時代の遺跡をみてみます。
	この地域は滋賀県内でも弥生時代の遺跡が多いだけでなく、貴重な遺跡が集積しており、有力な首長がいたと推定されています。
	なかでも野洲川改修工事がすすむなか、守山市立中洲小学校の児童が拾った土器の破片が発見のきっかけとなった服部遺跡(守山市服部
	町)では2万m2近くの水田の跡と集落跡が発見されています。
	弥生時代前期(約 2,500年前)の集落跡は、服部遺跡のほかに寺中遺跡(守山市矢島町)、小津浜遺跡(同杉江・山賀町)、赤野井遺跡
	(同赤野井町)、中島遺跡(同三宅町)、西河原森ノ内遺跡(中主町西河原)などがあります。いずれも自然の低地を周辺にもった土地
	が選ばれており、初期の稲作技術が自然条件に左右される低い段階にあったことがわかります。
	弥生時代中期(紀元前3世紀から後1世紀初め頃)には、下之郷遺跡(守山市下之郷町)、八ノ坪遺跡(同播磨田町)、石田三宅遺跡
	(同三宅町)、市三宅東遺跡(野洲町市三宅)、北桜遺跡(同北桜)などがあります。このうち、下之郷遺跡は長径330m、短径280mの
	楕円形をしたムラで、外周に3本の溝のある環濠集落です。全国に400以上ある環濠集落のなかでも有数の規模です。
	なお、市三宅東遺跡は稲作集落のほか、玉作りの工房跡としても注目されており、水を使って碧玉を磨いたかすの沈殿した穴が見つかっ
	ています。 弥生時代後期(紀元後1世紀ら2世紀後半)は、伊勢遺跡(守山市伊勢町)、服部遺跡、吉身西遺跡(同吉身町)、下長遺跡
	(同古高町)、市三宅東遺跡、久野部遺跡(野洲町久野部)、富波遺跡(同富波乙)、五之里遺跡(同五之里)、五条遺跡(中主町五之
	里)などがあります。このうち、伊勢遺跡では大きな掘立柱式建物、祭殿型建物など10棟の建物跡が見つかっており、有力な首長が政治
	や祭祀を行っていたものと考えられています。富波遺跡、五之里遺跡では高倉床式倉庫の遺構が発見されており、稲作が大規模になり、
	富も蓄積されてきたことがわかります。 
	これらの弥生時代の遺跡のほとんどは野洲川の旧河道にそって分布しているのがよくわかります。さらに、左岸に多く見られることから、
	野洲川の河道が時代とともに南から北に移動し、氾濫のたびごとに流域を沃野にしていったことが読みとれます。 

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	守山市立埋蔵文化財センター  the Centre Archaeological Operation : Moriyama
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	<野洲川河口に建つ遺跡発掘調査の拠点>

	鈴鹿山系を源流とする野洲川の河口一帯は肥沃な平野が広がり、古代から水田耕作がおこなわれていた地域。近年、マンション建設など
	宅地開発にともなう発掘調査成果から、この地が考古学上、県内でも最も注目される地域となった。それら遺跡と発掘された出土品など
	埋蔵文化財の調査研究・保存をおこなっているのが、市立埋蔵文化財センター。野洲川改修工事の際に偶然発見された服部遺跡の調査を
	きっかけに、文化庁と県の補助を受けて、昭和55年(1980)に県下初の本格的な調査研究施設として誕生した。
	第一の機能は発掘の拠点となることで、調査員らは朝出勤後、すぐに数ヵ所(多い時期は7〜8ヵ所)ある発掘現場へ赴いて調査にあたり、
	夕方センターへもどってから報告書の作成にたずさわる。そのため、展示スペースは副次的なものとなっているが、収蔵品のレベルは高
	く、県内外から考古学ファンも多く訪れる。団体の場合、事前に連絡すれば整理室での実際の作業のようすを見学することも可能。
	駐車場 グッズ 食堂 喫茶 身障者設備 車椅子等貸出 乳幼児施設 ロッカー 20台 トイレほか 車いす     

	開館時間 	9:00-16:00
	休館日		火曜日(祝祭日等休日を除く)、祝日の翌日、年末年始
	入館料・観覧料	無料(特別展も含む) 
	交通機関	JR琵琶湖線「守山駅」から近江バス服部線「埋蔵文化財センター」下車 
	お問い合せ先	TEL077-585-4397 FAX077-585-4397   守山市服部町2250

	  

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	服部遺跡
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	服部遺跡は、縄文時代の終わりから弥生、古墳、奈良、平安時代にかけての、日本最大級の複合遺跡です。水田跡、竪穴住居跡、墓、古
	墳跡、掘立柱家屋などの生活跡や琴、勾玉、銅印、貨銭、木簡、くしなどの生活用品が出土し、昔の人々の生活を知る手がかりとなりま
	した。服部遺跡は、世紀の大事業といわれた、野洲川改修工事に伴い、発見された遺跡です。昭和49年から5年をかけて行われた発掘調
	査では、延べ5万人の人員を投入して4層30万m2以上の面積を調査し、縄文時代から平安時代にわたる数々の遺構や、100万点にも及ぶ膨
	大な遺物が発見されました。
	主なものには、近畿地方で初めての発見となった弥生時代前期(約2,300年前)の水田跡、弥生時代中期(約2100年前)の360基にものぼ
	る方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、弥生時代後期(約1,900年前)の環濠集落(かんごうしゅうらく)、100棟以上にも及ぶ古墳時
	代の竪穴建物(たてあなたてもの)、やまと琴や埴輪が出土した古墳、「乙貞」の銅印や和同開珎(わどうかいちん)をはじめとする多
	量の銅銭、墨書土器(ぼくしょどき)が出土した奈良時代の集落などがあります。

	  

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	下之郷遺跡	国指定史跡
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	下之郷町一帯に広がる紀元前1世紀(弥生時代中期)の巨大環濠集落跡で、村の周りに九重もの環濠が巡らされています。集落内部には
	四角い囲みや大型建物跡、井戸跡などがあり、銅剣、石やじり、弓、盾などの武器・武具や、動物や魚の骨、植物の種などが見つかって
	います。当時の社会や生活がよくわかる、滋賀県下最大の環濠集落で、国の指定史跡です。

	    

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	下之郷史跡公園の概要
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	この下之郷史跡公園は、平成14年3月19日に国の史跡に指定された下之郷遺跡の保存と活用を図るために設置されたものです。「史跡本
	質の理解を深める」、「史跡を身近に感じる」、「地域との共生」という基本理念の下で、市街地の中にある史跡の利点を活かし、考古
	学ファンだけでなく、誰もが気軽に訪れることができ、小中学生は歴史学習や体験学習の場、市民にとっては地域活動の場として活用い
	ただける史跡公園をめざしていきます。  

	

	■ 設置目的 	国史跡である下之郷遺跡を保存し、郷土の歴史や文化の理解を深め、文化財愛護、郷土愛の高揚を図るために守山市下
			之郷史跡公園を設置します。
	■ 名称・位置  (1) 名称 守山市下之郷史跡公園	(2) 位置 守山市下之郷一丁目12番8号
	■ 公園面積  約8,000m2
	■ 事業期間  平成20年6月から平成22年11月
	■ 事業経費  2億3千5百万円 
	■ 施設概要 

	この公園は石田川によって南北に分かれていますが、石田川より北側(北エリア)は3条の環濠を復元し、その外側に体験水田を設けた
	公園になっており、南側(南エリア)は環濠保存施設、環濠調査施設を設置しています。環濠保存施設は、下之郷遺跡の特徴である環濠
	を露出展示している他、下之郷遺跡を知っていただくための展示、そして、市民の皆様が単に見学するだけでなく、史跡をテーマとして
	活用事業の拠点として、ご利用いただくものです。

	ご利用案内

	■ 環濠保存施設の開館時間、休館日 
	(1) 開館時間 午前9時から午後5時まで(入館無料)
	(2) 休館日  火曜日(休日を除く。)、祝祭日の翌日(ただし、その日が土曜日、日曜日および休日に当たるときは翌日。)、12月29
		   日から翌年1月3日まで

	お問い合わせ
	■ 守山市下之郷史跡公園 〒524?0013 守山市下之郷一丁目12番8号 TEL 077(514)2511  FAX 077(514)2512
	■ 守山市教育委員会事務局文化財保護課  〒524?8585 守山市吉身二丁目5-22 TEL 077(582)1156  FAX 077(582)9441

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	伊勢遺跡
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	昭和56年(1981年)、滋賀県守山市伊勢町、阿村(あむら)町、栗東市野尻(のじり)にかけて、弥生時代後期の巨大な集落遺跡が広がって
	いることがわかりました。その後、平成19年3月までに実施した104次にわたる発掘調査で、伊勢遺跡は東西約 700m、南北約450mの楕
	円形状に形成されていることが明らかになっています。集落が営まれた時代は、縄文時代後期から室町時代で、最も栄えた時代は弥生時
	代後期(紀元1〜2世紀)です。遺跡は、南と北にある低地に挟まれた微高地にあり、東から西にかけて傾斜する土地にあります。
	弥生時代後期の建物跡には、竪穴住居と掘立柱建物の2種類の建物跡があり、竪穴住居の平面形には円形と方形そして五角形の3種類が
	あります。また、掘立柱建物の規模には大小が見られ、ここでは床面積が30u以上のものを大型建物と呼んでいます。遺跡の西半部には
	竪穴住居が広がり、東半部の大型建物跡が無くなると、その上にも竪穴住居が造られるようになります。
	遺跡の西側では、溝を挟んで方形周溝墓が築かれていますが、弥生時代集落の有力者の墓域であったと推定されます。遺跡の東端では、
	幅約7m、深さ2m以上もある大きな堀のような大溝があり、北側は方形周溝墓、南側は、旧河道であったと推定されます。

	

	ココは何も説明板が無いとのこと(詳細は埋文センターで聞きます)ですので、カットするかもしれません。
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	地図は、各自印刷してご持参下さい。

	例会参加申し込みは、以下のアドレスをクリックしてください。





現れる邪馬台国


	7月の産経新聞に以下のような記事が載った。「まぁた、言うに事かいて」と最初思ったが、考えてみれば「九州説」にしても「奈良説」
	にしても、いまだに何ら証明されているわけではない。今の所、「邪馬台国=北九州」の蓋然性は高いと私は考えているが、だからと言
	って他の人が「邪馬台国=XXXXX 説」を唱えるのを妨げる気は無い。「いゃ、それはおかしいよ」とか、「そんな事は魏志倭人伝には何
	も書かれてはいないぞ。」と言う事は出来るが、かたくなに信じている人を説得するのは至難の業である。又「正解」をちゃんと知って
	いるならまだしも、「正解」はまだ現れていないのだから、「いや、これが正解だ!」「これ以外には無い!」と唱える人を我が陣営に
	引き込むには、相当な労力・知力を必要とする。
	しかも、そうやって精根尽き果てる議論を重ねても、「わかった、君の理屈はわかったが、僕は自分の説を信じているから。」という所
	に落ち着くのが「邪馬台国論争」である。この10数年来、あらゆる場所で論争を重ねてきたが、もう精根尽き果てた(笑)。





	と言う訳で(どういう訳じゃ?)、この「邪馬台国=近江説」にも目くじらたてて反論する気はない。「どれどれ、そんなに言うなら、
	ひとつ耳を傾けてみましょうかいね。」というのが正直なところであるし、森浩一氏が言っている「考古学はムラ興し」というテーゼに
	従って温かい目でムラ興しを見守ってやるのも「大人」の仕業というものだ。それに正直な所この説の場合、唱えている人達もこの説を
	信じ込んでいる訳ではなさそうだし、ムラ興しのイベントの一つくらいの気持ちなのが垣間見えるので、ま、お付き合いして損にはなる
	まい。それにしても、先月行った熊本の「方保田東原遺跡」といいここといい、次から次に現れる「邪馬台国」ではある。

	しかしながら、前置きはその位にして、実はこの地域が近畿圏における「一大弥生王国」なのは意外と知られていない。下の地図を見て
	頂きたいが、この琵琶湖東南沿岸の一帯は、縄文から歴史時代に渡っての遺跡の宝庫なのである。残念ながら所々の理由により保存・復
	元されている遺跡は少ないが、弥生時代に限って言えば、発掘調査の結果は奈良や巻向(煙に巻くからマキムクだと私は考えているが。)
	などの比ではない。巻向などはここに比べれば小さな集落の一つにすぎないほどだ。それほど多くの弥生集落が密集しているし、弥生時
	代に出土するあらゆる遺物が出ていると言ってもいい。
	弥生時代の大型建物もあるし、環濠も多重に及んでおり、その規模は北九州にも匹敵する程である。近畿圏で弥生時代を学ぶ学生は、奈
	良の遺跡に行くよりここに来た方がいい。前出解説にもあるように、弥生時代の「前期・中期・後期」と遺跡が揃っており、時代の変遷、
	集落の移り変わり、河川との関係などが居ながらにして学べる地域なのである。ここを見ずして近畿の弥生を語るべからず、という趣き
	さえあるのだ。
	というわけで(こればっかり!)、今回の例会はこの地域を歩くことにした。だがどういうわけか、今回は参加者が少ない。秋は行事が
	多いので、乾さんのような学校の先生や、孫の運動会・文化祭などに行きたいお祖父ちゃん達は参加出来ないのかもしれない。久々に連
	絡してきた大隈君も加えて4名だけの例会となったので、行きと還りにはタクシーを使用した。それでも途中7kmほどは歩いたので、
	別段日和ったわけでは無い。バス代とタクシー代(4人で割って)がほぼ変わらなかったので利用しただけである。ま、しかし確かに楽
	だったね。






	JR東海道線「守山駅」。ここに集合。大隈君、西本さんと合流して河内さんへ TELしたら、「一階で待ってるで」との事。一階にも改
	札があったらしく、河内さんはそこから出て駅前広場で待っていた。
	まず「埋蔵文化財センター」へのバス停をさがそうとしたら、西本さんが「案内所へ行ってくる」と駅ビルの二階へ上がっていった。
	しばらく戻ってこないので、続いて案内所へ行ってみるとオジサンから情報を仕入れている。「タクシーとバス代変わらんらしいで。」
	埋文センターまでバス代470円との事。「エラく高いね」「4人ならタクシーと余り変わらんかも」と案内所のオジサンも言うので、
	タクシーを利用する事にした。地図やら資料やらをごそっと貰い(このHPにも一部転載している)、タクシーで埋文センターへ。



新聞に載っている「邪馬台国近江説」の幟(のぼり)が案内所にたててある。Tシャツは販売していないそうだ。





さぁ、では歩きましょう!(と言っても、最初はタクシーなのだが。)

ここはほんとに邪馬台国なのでしょうか?














	「下之郷遺跡」から「伊勢遺跡」までも遠いというのでタクシーを利用した。4人だから1台にすぐ乗れる。「伊勢遺跡」を見て、又
	守山駅へ戻って貰ったが時間が早く(4時前?)、どこにも開いている店はなさそうだった。二三探したが見つからないので「京都へ
	戻って反省しようか」と言っていたら、駅前のビルの地下に一軒だけやっている店があった。早速そこで反省会。皆様、お疲れさまで
	した。しかしこうなると、近畿の他の地域の弥生時代ももっと探求した方がいいかもしれまへんな。





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