Music: Annna
第5回全日本邪馬台国論争大会に参加
国東半島の旅
2009.5.16-17 大分県国東半島&宇佐市
今年の正月頃だったと思うが、梓書院の田村社長から「井上さん、今年の5月にこんなんあるんですけど出してみませんか?」と
いって、大分県宇佐市で行われる「第5回全日本邪馬台国論争大会」という催しの案内メールが来た。「論争大会? いやぁ論争
は嫌だねぇ。それに論争できるほど僕は詳しくはないし。」と断った。小論文を提出して5人が選ばれて壇上で2−30分づつ喋
るというもののようだが、5人に選ばれるような文章を書く自信も無いし、それにまだ5月のスケジュールは分からないので、と
お断りした。
その後しばらく、その事は忘れていたが、3月になってまた田村社長から電話があって、「井上さん、そろそろ締め切りですから
出して下さいよ。」と催促の電話があった。「いや、僕の主張なんか選ばれないよ。それに論文書くような時間ないし。」と言う
と「大丈夫ですよ、HPに書いてあることをそのまま書けばいいんですよ。」と言う。そうか、HPの内容を転記すればいいんか
と、「じゃぁ、出してみるよ。」と返辞して、ペースト、コピーで30分ほどで原稿を書いて宇佐市の担当部署へメールした。
結果、以下のように選ばれてしまって、「ありゃりゃ、こりゃ大変!という事態になったわけである。
井上 修一 様
全日本邪馬台国論争大会実行委員会
実行委員長 西 太一郎
レジュメ作成の情報の提供について
陽春の候 益々ご清祥のこと拝察親します。
この度は当全日本邪馬台国論争大会実行委員会が主催する第5回全日本邪馬台国論争大会に論文のご応募頂きありがとうございま
した。応募していただきました方の論文の中から当全日本邪馬台国論争大会実行委員会で選考しました結果、会場で発表して頂く
5名の中の論者に決定いたしましたことをご報告いたします。当日会場で配布いたしますレジュメを作成いたしますので、レジュ
メに載せる情報を提供していただきますようお願い致します。
■情報内容は
@ 自身を紹介するプロフィール
A 発表する論文の論旨を200字程度にまとめたもの
発表内容コンパクトに表す内容であれば箇条書き程度の小タイトル風でも可
B レジュメに載せるタイトル
自説をコンパクトに表す表現
C 垂れ幕用のタイトル ---- 会場に発表タイトル
説をコンパクトに表す表現
以上
決まったモノはしょうがない。交通費も出るし、じゃあせっかく国東に行くので、一日じっくり国東半島の遺跡を巡ってやろうと
考えた。それからはどこを巡ろうかとウキウキ。講演なんかはそっちのけで、遺跡巡りにばかり気がいって、当日配る資料を用意
していないのは私だけだった。てっきり、あの小論文を配ってくれるモノと思っていたので何も用意しなかったのだが、他の論者
はすごい資料をゴソッと用意してきていたし、PowerPointでのスクリーン画像も駆使して説明するし、一瞬焦ってしまった。
大分へ

伊丹を発った飛行機は、50分で瀬戸内海を越えて大分空港へ到着。翼の先が70度程上へ向いたジェットだった。

5月16日 国東半島遺跡巡り
大分空港に降りたって悩んだ。どうやって国東半島を巡ろうかと思案したのだ。勿論事前の調査で、国東半島をめぐるバスははな
はだ便利が悪く、路線もどうなっているかよく分からなかったので、「こりゃクルマしか無いな。」とは思っていた。一応空港の
案内所で聞いてみたがやはり同じであった。「バスは無いんですよ。」
廻りたい所に印を入れた国東半島の地図を見せて、これをぐるっと廻りたいというと、「ううん、タクシーかレンタカーですね。」
との事。案内嬢はタクシー会社に電話して値段を聞いてくれる。「2万円と言ってます。」「えぇーっ、2万円!」「レンタカー
は?」「えーと、8千円弱ですね。」「ううん、レンタカーは疲れるし、道が分からんしなぁ。」「外のタクシー乗り場で運転手
と交渉したらどうですか?」
というわけで、列の一番前にいた運ちゃんと交渉。1万ん千円(会社にバレルとまずいので額は内緒に願います、との事。)で交
渉成立。正解だった。特に鬼塚古墳と早水台遺跡は地元の人も殆ど知らず、ずいずい悪路小路を行ってくれる運ちゃんのおかげで、
計画した所を全部廻れた。最初、私は2,3時間で全部廻れるだろうと踏んでいたが、11時過ぎに乗って、日豊本線の「杵築駅」
に着いたのはもう午後の6時前だった。自分で探しながら廻っていたら、おそらく全てを廻ることはできなかっただろうと思う。
資料館を二つ見たが、おかげでゆっくりと見て回ることができたし、安国寺遺跡などはいつまでも帰ってこない私を運ちゃんは2
時間近く車でまっていてくれた。大阪にいて、数年前Uターンで故郷へ帰ってきたという40才の運ちゃんに感謝、感謝。

今夜の宿へ


今夜の宿は、宇佐駅から歩いて5分の「みずほ温泉荘」という民宿旅館。料理もお風呂もまぁまぁだった。

何と、ここに5人の論者の一人、東京の金田さんも奥さんと宿泊していた。

宿の廊下にも論争大会のポスターが貼ってあった。

千代の富士と写っている人が今の女将さんの父上で、「父もこの邪馬台国大会には一生懸命だったんですよ。」と女将さんが懐かしが
っていた。食事の後金田さんがワインをもって僕の部屋へ来た。金田さんは「朝倉説」を喋るそうで驚いた。僕が朝倉出身と知ると彼
も驚いていたが、ひとしきり邪馬台国談義で盛り上がった。東京(千葉)から奥さんを乗せて車で大分まで来たそうで、これにも驚い
たが、大会の後九州一周してまた千葉まで帰るという。さすが自衛隊出身だ。

5月17日 宇佐神宮・論争大会
大分空港から浪速へ

大分空港まで、観光協会が手配してくれたタクシーで安本先生と同乗した。東京便は先に出たので先生を見送ってビールを呑んだ。

レストランから写した大分空港。上の飛行機は東京行きなので、あれに安本先生が乗っている。


いや、おもしろい旅だった。論争大会と言っても素人の説だし、宇佐市の観光に多少寄与したかなと思えばお祭りに参加したような気分
でそれなりに楽しかった。宿泊費は出してもらえなかったが、タクシー代と旅館代併せても3万円にならない金額で国東半島をめぐった
と思えば、上々の遺跡巡りだった。またこういうのが無いかな。
論者の皆さんとも知り合えたし、大分空港で安本先生から面白い話をたくさん聞いた。「東日流外三郡誌」を巡る裏話などは「ヒェーッ」
という話があって、本当の論争というのは血みどろの戦いなんだなと実感した。それにしても安本先生のバイタリティーには感心する。
「いやぁ、もうすっかり弱ってしまって。」と仰っていたが、「週3回の読売文化カルチャー・歴史講座もしんどくなってきたので週1
回にして貰ったんですよ。」との事。週1回でも凄いと思うが。
先生いつまでもお元気で頑張って下さい。先生は何と言っても九州説論者のシンボルですから。お母上と同様100才までも元気でいて
ください。お世話になりました。
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