茨木市立文化財資料館 大阪府茨木市東奈良3丁目 阪急南茨木駅から東へ徒歩300m 茨木市立文化財資料館は、市民が気軽に訪れ、まちの歴史や文化に親しみ、郷土愛を育てる場として昭和59年3月30日に オープンした。先人たちが残した貴重な文化財である銅鐸の鋳型、土器、市内古墳の模型、古文書、火縄銃、民俗資料700 点のほか、戦時中の資料を郷土茨木の歴史に沿って展示している。
<東奈良遺跡> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 東奈良遺跡(ひがしならいせき)は、大阪府茨木市の南部、阪急南茨木駅から東側一帯にある、弥生時代の大規模環濠集落の 遺跡である。1973年、大阪万博とともに新設された南茨木駅周囲一帯の大規模団地建設の際に発見された。 南茨木駅の東300mに、出土品を所蔵・展示した市立文化財資料館がある。東奈良遺跡には、二重の環濠の内部に高床式倉庫な ど大型建物や多数の住居があり、外部には広大な墓域もあった。 発見された工房跡から、銅鐸の「鋳型」が35点も出土しており、他にも銅戈(どうほこ)・勾玉(くがたま)などの「鋳型」 が発掘されている。ここの鋳型で生産された銅鐸が近畿一円から四国でも発見されている。また、高さが14.2センチの小さな 銅鐸が見つかっている。銅鐸の起源は解明されていないが、その謎を解く鍵になる可能性もあるという。 この集落が奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸工場、銅製品工場であり、弥生時代の日本の数多くの「クニ」の中 でも、各地に銅鐸を配布することができるほど政治的に重要な位置を占めていたことが伺える。 この付近は「沢良宜(さわらぎ)」とよばれ、主な神社に「佐和良義神社」があり迦具土神がまつられている。カグは銅の古 語であり、サワラギもサワラ(銅器)ギ(邑)となることから、この一帯が銅製品の加工と関係が深かったことがうかがい知 れる。
資料館の裏手に、小さな公園がある。これが「東奈良遺跡公園」らしい。南茨木駅は万博の年にできた比較的新しい駅で、駅 一帯が、弥生時代から古墳時代にかけての「東奈良遺跡」にあたる。東奈良遺跡は、この駅を中心に広がる弥生時代の大規模 環濠集落で、この地域の拠点的集落のひとつである。この公園はそれを記念して作られているようだが、目立たない所にこじ んまりと作ってあって、付近でもこの存在を知る人は少ないようだ。もっと郷土の歴史を教えないといかんねぇ。
東奈良遺跡 古代史の分野においては、茨木市は日本でも有数の古墳群地帯で、継体天皇陵とされるものなど古墳時代初期から末期までの 各時代の古墳が現存している。しかし考古学上では、ここは「東奈良遺跡出土の銅鐸鋳型」で有名である。 銅鐸の解説文を読むと、まずこの遺跡の事は必ずと言っていいほど記述されている。それは、近畿では比較的早くに鋳型が出 土したことにもよるが、中型の完形な鋳型で、「流水文」と呼ばれる綺麗な文様が鋳型にくっきりと残っていて、この鋳型か ら製作された銅鐸が、香川県の善通寺市・大阪豊中市・兵庫県豊岡市から発見されており、当時広範囲な交易・文化交流があ ったことの証明ともなったからである。
宿なのにどうして「本陣」というのか?それは参勤交代が修学旅行ではなくて、軍事演習だからです。つまり物見遊山では無いぞ! と強調したい訳です。武士は常に戦に臨んでいるのだ、という事でしょうな。ま、単なる見栄ですがね。