Music: 夏は来ぬ
歴史倶楽部 161回例会
赤山禅院
2010年12月26日






	赤山禅院   天台宗 	本尊 泰山府君(赤山大明神)      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

	赤山禅院(せきざんぜんいん)は、京都市左京区修学院にある天台宗の寺院。延暦寺の別院(塔頭)の一つ。本尊は泰山府君
	(赤山大明神)を祀る神仏習合の寺。京都御所から見て表鬼門の方角(東北)に当たるため、方除けの神として、古来信仰を
	集めた。拝殿屋根の猿は災いが去るに因む鬼門封じ。御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置され
	ている。
	仏教による皇城鎮護の最大の要は、鬼門を守る比叡山延暦寺と赤山禅院である。赤山禅院は洛北にある山寺で、千日回峰行を
	修する比叡山の行者は、7年間に及ぶ壮絶な行の最後の2年間、そのうち百日の間、比叡山から雲母坂を登降する「赤山苦行」
	と称する荒行がある。これは、赤山大明神に対して花を供するために、毎日、比叡山中の行者道に倍する山道を高下するもの
	である。現在では、都七福神の福禄寿を祀る寺でもある。また、紅葉の名所でもある。

	開創は、仁和4年(888年)。「赤山」の名は、入唐僧円仁に由来する。円仁は、登州で滞在した赤山法華院に因んだ禅院の建
	立を発願したが、果たせないままに没した。その遺言により安慧が、赤山大明神(泰山府君)を勧請して建立したのが、赤山
	禅院である。




	流行遅れではあるが、冬はこの革ジャンが一番暖かい。今度会員となった大隈君が、まだ●ンゼで前線の営業マンとして働い
	ていた頃、「●ンゼ社内販売」の催しがあって、入場券を貰ってよくWIFEと行っていたが、その時に買った物。3万5千円の
	値札が付いていたが3千円だった。
	この催しはメチャクチャで、いくら社員の家族相手だと言っても、大国主命が担いでいるような大きさのビニール袋に、家族
	4人の肌着や靴下百足やセーターなどを詰めに詰めて、なんと千円だった。主婦の間ではこの入場券は垂涎の代物で、大隈君
	はいつも4,5枚くれていたので、団地に居た時などは取り合いになるほどだった。今は景気が悪く、もうその頃のような狂
	喜乱舞の販売はしていないそうである。おかげで、我が家は子供達が成長するまで、肌着と靴下に困った事はない。

	音羽川沿いの修学院離宮道を東へ入り、住宅街を進む。案内標識に従い、いくつかの角を曲がって行くと右手に大鳥居があり、
	赤山禅院と書かれている。鳥居からは緩やかな坂道となる。山門を入ると、両側の木の枝が参道を覆い、太陽を遮る程である。
	更に進み、突き当たり左の石段を登ったところに堂宇が並んでいる。折からの正月準備で、境内にはテントが立ちこめていた。










	しかし、赤山大明神など今まで聞いたことも無かった。天台宗の守護神が赤山大明神だそうで、陰陽道の祖神「泰山府君」が
	その神だそうだ。第三世天台座主・慈覚(じかく)大師円仁が遣唐使で中国に渡り、天台教学を修めて日本への帰路の途中で
	出港地・泰山にある山の神(泰山府君=赤山大明神)に航路平穏を祈願、無事に帰国できたことを感謝し、比叡山へ勧請しよ
	うとしたが生存中に果たせなかった為、高弟の安慧に後を託した。当初は比叡山横川に祀られたがその後、この地に遷座して
	いるという。その後、後水尾上皇の修学院離宮行幸の折、社殿の修築及び赤山大明神の勅額を賜っている。










	正念珠を潜り赤山大明神参拝する。本尊の赤山大明神は、陰陽道の祖神とされる中国の神 泰山府君を勧請したもので、京都
	御所の表鬼門を守護している。




	柱に架かる「皇城表鬼門」の札。ここが本殿。本殿の屋根には城守護の猿が祀られているそうで、この猿は、京都御所の鬼門
	(東北角の「猿ヶ辻」と呼ばれところ)に祀られた猿と向かい合っているそうな。



館の中に鎮座している狛犬。こんなのは非常に珍しい。






	赤山禅院は紅葉が美しい寺としても知られている、比叡山延暦寺の別院。紅葉は境内の池の周りが特に美しく、平安時代は池
	に船を浮かべて宴が催されたという。



ここは「都七福神」の一つである福禄寿の寺でもあり、福禄寿神の姿をした「お姿みくじ」が人気だという。








	赤山大明神は、仏教の閻魔王に準じる冥界の神とされ、インドでは深沙大王、中国では泰山府君と呼ばれている。毘沙門天に似た
	武将を想わせる姿をしているが、人の生死や寿命、福寿を司る延命富貴の神様。天台宗を守護する護法三十番神の一神。江戸時代
	のいつ頃からか、赤山大明神の賽日(さいにち)「申(猿)の日」の五日に”赤山さん”にお参りすると掛け寄せ(集金)がスム
	ーズにいくとの噂がたち、”赤山は集金の神様・商売の神様”との信仰が始まる。現在でも商売繁盛を願って集金前の早朝にお参
	りに来る人もあるそうだ。「五十払い(ごとばらい)」の始まり。それにしても「金神宮」とは恐れ入る。





ここが河内さんが泣いて喜ぶ「歓喜天」。しきりにお参りしていたが、どうも意味を取り違えているような気がする。



上左は「気学発祥の地」と彫られていた石塔。易学とは違うのかな。気学って何?上右は、下の御瀧籠堂から見た滝。














	赤山禅院境内は、赤山大明神を祀る本殿の左側の地蔵堂に始まり、順路に従い境内を進むと、「都七福神巡り」に挙げられている
	福禄寿を祀る堂の他、幾つかの小さな祠がある。順路の最後が瀧籠堂で、環珠法の輪を潜るとスタートの寺務所前に戻る。



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