Music: 朧月夜
歴史倶楽部 161回例会
修学院離宮
2010年12月26日


	音羽川を越えていくと、修学院離宮がある。ここを拝観するには事前にインターネットか往復はがきで拝観の申し込みを行って
	おく必要がある。申し込もうかと思ってHPを見て驚いた。申し込みは4人まで。4人を越えた組は、一緒の時間帯には廻れな
	い。日曜祝日は閉門。これでは勤労者は、定年を迎えて「毎日が日曜日」にでもならないと、到底見学などできないではないか。

	宮内庁の金だって、我々が収めている税金だぞ! 私は皇室には尊厳を払い、今のまま「象徴」として天皇にも存続していただ
	きたいと思っている人間だが、こういう制度に出会うとムカついてしまう。我々が耕した田圃から米をかすめ取って、その上に
	あぐらをかいている貴族や王様は、「革命」でつぶしてしまえ! とつい思う。皇居だって年二回一般公開をやっているのに、
	ここは何だ! 宮内庁にももっと考えて貰いたい。



事前申し込みのハガキを持って、指定された時間に行けば、以下のように職員が門を開けてくれるのだ。




	幕末の頃、「王様が居ず、庶民だけで出来ている国」というのが世界に一つだけあった。アメリカである。その他の国は、形こ
	そ異なるが、大なり小なり「王様」と貴族がいた。そして今でもそれは存続している。過去からの膨大な資産をそのまま引き継
	ぎ、現在に至っても、イギリスやフランスの貴族達は広大な屋敷に住み、大勢の使用人を抱えている。財政難から城を売りに出
	す貴族の末裔達もいるにはいるが、大勢は変わらない。

	私は若い頃、社会主義に理想を抱いていた。まだ十代の終わり頃である。しかしそれから40年の人生を生きてきて、社会主義
	や共産主義は、人類が到達できる制度ではないと思う。1万年くらいかかれば或いはとも思うが、まだまだ今の人類では不可能
	だ。中国や北朝鮮が崩壊する日は近いと思う。

	翻って日本の天皇制を考えて見るとき、この制度ほど不思議なものは無い。おそらく世界中のどこを探してもこんな盟主制度を
	採用している国はあるまい。律令時代、封建時代を通じて、一貫して「天皇」は象徴だった。あの暴君織田信長ですら、征夷大
	将軍にはなろうとしても、天皇に取って代わろうとはしなかった。家康も、厳しく皇室を監視し管理したが、この制度を廃止し
	ようとは考えていない。マッカーサーが天皇制廃止を検討したとき、廃止すればまた日本人は、それこそ竹槍で最後の一人まで
	我々に向かってくるという進言を受け入れたのも、1500年という「大王家」の歴史がなせるわざなのだ。

	今年西湖でクロマスが発見されて、天皇が名前を出して「サカナクン」の貢献を称えたとき、サカナくんは「感激です!」と興
	奮していた。おそらく、それまで天皇とは全く関わりのない一介のタレント学者であったサカナくんが、天皇に覚えられた事を
	名誉であると感じたのだ。同じ事がもし我々の身に起きたら、おそらく私なども「光栄です。」と言うだろう。

	天皇制とは全く持って不思議な制度である、と言わざるを得ない。





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