Music: 夜明けのスキャット
歴史倶楽部 161回例会
詩仙堂
2010年12月26日




	この前で客待ちをしていたTAXIの運ちゃんに、「ここも金とられるんかね?」と聞いたら、「きょうび、無料で見せてくれる寺な
	んかありまっかいな。」と言われてしまった。さもありなん。



	詩仙堂(しせんどう)	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	詩仙堂の添水詩仙堂 (しせんどう) は、京都市左京区にある、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡。国の史跡に指定されている。
	現在は曹洞宗の寺院でもあり丈山寺という。

	詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の
	間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によっ
	て描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
	詩仙堂は正確には凹凸? (おうとつか) という。凹凸?とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面
	に沿って作られている。 丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸?十境と見立てた。
	寛永18年 (1641年)、丈山59歳の時に造営され、丈山は寛文12年 (1672年)、90歳で没するまでここで詩歌三昧の生活を送った。
	「小有洞」という門をくぐり、竹林の中の道を行くと、石段の上に「老梅関」という門があり、その先に詩仙堂の玄関がある。玄
	関上は3階建の「嘯月楼」となっており、その右手 (西側) には瓦敷の仏間と六畳、八畳の座敷、左手には四畳半の「詩仙の間」、
	「読書の間」など多くの部屋がある。このうち嘯月楼と詩仙の間の部分のみが丈山当時の建築で、他は後世の改築である。

	庭園造りの名手でもある丈山自身により設計された庭は四季折々に楽しむことができ、特に春 (5月下旬) のサツキと秋 (11月下旬)
	の紅葉が有名で観光客で賑わう。縁の前に大きく枝を広げた白い山茶花も見所のひとつ。一般にししおどしとして知られる、添水
	(そうず) と呼ばれる仕掛けにより時折り響く音は、鹿や猪の進入を防ぐという実用性とともに静寂な庭のアクセントになっており
	丈山も好んだという。






	ここへは初めて来ると思ったが、ここに立って、昔一度来たことがあるのを思い出した。冬に縁側で、小雪の降るのを眺めていた
	ような気がするが、いつの頃で、だれと一緒だったのかも記憶がない。まだ20代のころかもしれない。

	今日は入場料600円に恐れをなして、庭園を見るのはパスした。以下の写真は「ウィキペディア」から拝借。







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