Music: 鷲が峰哀歌
歴史倶楽部・第174回例会
長田区へ
神戸市 2012.3.3
三菱重工神戸造船所の構内に和田岬砲台が現存している。工場の敷地内にあるため、勝手に見学することはできない。予め広報に電話し
て予約を取り、砲台まで会社の軽自動車で案内してもらうのだという。しかし我々が訪れた時は、冒頭に記したように内部の壁が崩落し
たため改修中で、現在立ち入り禁止となっている。阪神大震災にも耐え抜いたこの砲台をなんとか見たかったが残念だ。
JR和田岬駅。兵庫からここまで一駅区間しか無い。三菱造船所で働く人達のための通勤列車だ。このあたり一帯は完全に三菱村である。
上右が造船所の正門。ここから中へ案内してもらうのだ。来年これるだろうか。
和田岬にある三菱重工神戸造船所は、平成十七年に創立百年を迎えた。川崎重工の神戸造船所とともに神戸産業界の発展と近代化の象徴
的存在であったが、世界的な経済不振のあおりをくって、ついにこの前(平成24年3月)民需の造船事業は完全に終了した。
和田岬砲台
嘉永七年(1854)九月にロシアのプチャーチン率いるディアナ号が大阪湾に進入したことで危機感を抱いた幕府は大阪湾沿岸の防備
強化に乗り出した。兵庫開港問題が政局を左右する最重要問題に浮上すると、文久三年(1863)上洛中の徳川家茂が大阪湾を巡検し、
20箇所に砲台を築くことを命じた。これを受けて軍艦奉行勝海舟の設計により和田岬に砲台を建造することになった。工事中には徳川
家茂、姉小路公知、一橋慶喜らが見学に訪れている。湊川、今津、舞子の砲台も今は無く、西宮砲台も内部は焼失しており、内部まで保
存されているのはこの砲台だけである。
三菱造船所で砲台の見学を断られたので、ここから地下鉄に乗って長田駅前の「鉄人28号」を見に行く。
地下鉄車両に乗って驚いた。窓から天井から「鉄人28号」一色である。
長田駅で階段を上ると、すぐ目の前に憧れの「鉄人28号」が。
私と大隈君以外の4人は初めて見るそうで、栗本さんは「エライもん造りよったなぁー」と感嘆していた。
正太郎くんが操縦する鉄人28号は、僕ら団塊世代の憧れのヒーロ−だった。毎月本屋に並ぶ雑誌の「少年」を先を争って買った。
小遣いが足りずに何人かで買うときは(僕らの小遣いが一日5円か10円の時、「少年」は確か120円か130円だったと思う。)、
誰がおまけをもらうかでモメにもめた。「鉄人28号」原作者の横山光輝が、この長田区の出身なのでここにこのモニュメントが出来た
のだ。同じく彼の手になる「三国志」も彼の代表作で、この後それを記念した「三国志ガーデン」なる所も覗いてみた。
「動いたらもっとおもろいやろなぁ」「操縦キット奪われたらおしまいでっせ」「ブラック・オックスと戦わんならんな」「懐かしぃー」
その「少年」達もいまや「中高年」。まだ「老人」とは呼ばれたくおまへんな。
復興なった長田の商店街を歩いてゆく。どこかの店でさんざん冷やかして通り過ぎようとしたら、店主のおっさんが「何か買わんと支援
したことになりまへんで!」と叫んだ。尤もですが、今は当方も支援してもらいたいくらいなのでねぇ。平にご容赦。
映画の町神戸らしく「映画資料館」なるものもあったし、商店街のアチコチに、横山光輝原案の三国志人物像が建っている。
やがて「三国志ガーデン」なるものが見えてきた。
こっちは有料だったのでパス。我が倶楽部は「有料」に対してすこぶるアレルギーが強い。
正直なところ、この施設は何なのかよくわからんかった。何を目的とした展示館なのだろうか。「三国志」が素晴らしいと賛美している
のか、それとも横山光輝を称えているのか、よく性格のわからん展示場であった。
ここから三宮へ向かう。時間があるので神戸市立博物館に寄っていこうとしたのだが。
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