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歴史倶楽部・第174回例会 和田神社 神戸市 2012.3.3









	和田神社  兵庫区和田宮通3丁目2-45 	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	和田神社(わだじんじゃ)とは兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-51にある神社。和田宮ともいう。

	祭神は天御中主大神、市杵嶋姫大神、蛭子大神。

	太古の昔、蛭子大神が淡路島から船で本州に到着したところを「蛭子の森」という。蛭子の森は、現在の神社より西南約800mのところで、
	元々の神社の場所である。平清盛が承安3年(1173年)、市杵嶋姫大神を勧請した。万治元年(1658年)、天御中主大神の坐す神輿が流れ着
	き、種々の神異をあらわし、それを知った当時の尼崎城主が天御中主大神を主神にして社殿を造営し、和田の明神というようになった。
	明治34年(1902年)、造船所の建設のため現在地に神社が移転された。

	<摂末社>
	宮比社(みやびしゃ)	大山祇神、大地主神、大黒天、毘沙門天、福禄寿、寿老人、布袋
	秋葉神社		佐田比古神、忌火産靈神、天宇受賣命、大宮能盗_
	高倉稲荷神社		倉稲魂神、猿田彦命、大宮女命






	天之御中主神	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、日本神話に登場する神。天地創造に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。

	『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている。その後高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を
	隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。
	『日本書紀』では本文には記述はなく、第一段で6つ書かれている一書のうちの第四の一書にのみ登場する。そこでは、まず国常立尊、
	次に国狭槌尊が表れたと書き、その次に「また、高天原においでになる神の名を天御中主尊という」と書かれている。この記述からは、
	前に書かれた二神とどちらが先に現れたのかはわからない。
	なお、他の一書では、最初に現れた神は国常立尊(本文、第一、第四、第五)、可美葦牙彦舅尊(第二、第三)、天常立尊(第六)と
	している。


	市杵嶋姫大神(宗像三女神)
 
	市杵嶋姫大神は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている宗像三女神の一人である。宗像三女神は、朝鮮へのあるいは玄界灘を通る
	海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから崇敬された神々である。

	『古事記』では、化生(変化して生まれた、読んで字のごとし。)した順に以下の三神としている。

	沖ノ島の沖津宮		 - 	多紀理毘売命(たきりびめ)   別名   奥津島比売命(おきつしまひめ)
	大島の中津宮		 - 	市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名   狭依毘売(さよりびめ)
	田島の辺津宮(へつみや) - 	多岐都比売命(たぎつひめ)	

	この三社を総称して宗像三社と呼んでいる。

	『日本書紀』では以下のようになっている。

	沖津宮			 - 	田心姫(たごりひめ)
	中津宮			 - 	湍津姫(たぎつひめ)
	辺津宮			 - 	市杵嶋姫(いちきしまひめ)

	第一の一書 
	沖津宮			 - 	瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
	中津宮			 - 	湍津姫(たぎつひめ)
	辺津宮			 - 	田心姫(たごりひめ)

	第二の一書 
	沖津宮			 - 	市杵嶋姫(いちきしまひめ)
	中津宮			 - 	田心姫(たごりひめ)
	辺津宮			 - 	湍津姫(たぎつひめ)

	第三の一書
	沖津宮			 - 	瀛津嶋姫(おきつしまひめ) 別名 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
	中津宮			 - 	湍津姫(たぎつひめ)
	辺津宮			 - 	田霧姫(たぎりひめ)

	ま、問題は、どうしてここに「宗像三姫」の一人が祀られているのか? という事ですな。しかも「市杵嶋姫」のみが大神として祀ら
	れている。海洋豪族であった「宗像氏」や「安曇族」が広く近畿にも進出していた証とか、ここから瀬戸内海へ出て、次に寄港するの
	が沖ノ島の沖津宮だったからとか諸説あるが、蛭子大神とともに祀られているので「海」と関わりがあった事は間違いない。社伝では
	平清盛が安芸の宮島から勧請したとあるが、おそらくは何らかの、宗像氏との結びつきが存在するのだろうと思う。

	下の、ケイトベッキンセールの下にあるお札は、沖津宮に上陸した(年一回、申し込んで審査にとおった人のみ上陸できる。)出版社
	の社長が送って来てくれたもの。私も行きたかったが、平日の昼間ではサラリーマン時代は難しかった。

	



	蛭子大神(ヒルコ)	 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、日本神話に登場する神。『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ
	(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれた
	ため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマとともに、二神の子の数には入れないと記されている。
	『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。不具の子に生まれるのも、後
	で流されるのも同じである。始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。
	流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多
	く、ヒルコがえびす(恵比寿・戎)と習合・同一視されるようになった。ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、西宮神
	社(兵庫県西宮市)などで祀られている。
	ヒルコがえびす神である信仰は古今集注解や、芸能などを通じ、広く浸透している。蛭子と書いて「えびす」と読むくらい馴染みのあ
	るものだが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代神とするところも多い。まだまだ検討が必要だが、生まれてすぐに流されてし
	まうヒルコへの哀れとの感情が再生の神話をつむいだとも考えられる。






	<神田兵右衛門彰徳碑>	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
	神田兵右衛門は幕末から明治にかけて活躍し、数々の功績を残し、「神戸市を創った人」と言われる。神田家は岩間屋として、出在家町
	で干鰯商・質屋をしていた兵庫の旧家だった。

	○和田岬砲台の着工に関する出納を担当。
	○学校の設立 県知事だった伊藤俊輔に学校設立を申し入れ許可された。運営は兵右衛門が商家に金を貸し、その利息を工費に充てる方
	 法をとった。10数校を設立。
	○新川運河の開削工事
	○神戸市議会初代議長






社務所で販売していた「宝船」。2,000円は高い。









まぁ蛇が神の使いという神社は結構あるけど、こんなにうじゃうじゃいるとなぁ、と思っていたら、まだまだこんなのは「蛇の口」だった。





この神社も阪神大震災で全倒壊したらしい。あの災害のど真ん中だもんねぇ。















ココが本殿です。ま新しい。











何ゆえ境内に埴輪が??おそらくは歴史好きな宮司さんが並べたんだろうが、ちゃんと船が多いね。



蛇塚と呼ばれていた場所に、今は稲荷神社が建っている。ここが蛇塚の神髄(?)なのであった!





蛇と、



狐と、



ドラゴンが。



またまた、我が歴史倶楽部の橋本さんの名前を冠した正一位「橋本稲荷」。
ちょっと、ホントにここだったかどうか自信がない。誰か覚えてますか?









邪馬台国大研究/ 歴史倶楽部/ 174回例会・神戸・福原京跡を訪ねて