Music: lion sleeps tonight

歴史倶楽部 第136回例会
国立歴史民俗博物館 2008.11.24(日)








			印旛沼から一般道を走ること一時間あまり。お昼頃に佐倉の歴史民俗博物館に到着。
			ここのレストランで古代定食を食べる。さぁ、いよいよ今回の旅もここで終点である。
			今日は少し雨模様にもかかわらず、結構な人出である。こんなにみんな歴史に興味が
			あるのかと驚いたが、この廻りには殆どエンターティメントな設備が無いので、もし
			かしたら、遊園地感覚なのかもしれない。しかし、知的でタメになるし、遊園地より
			はいいかもしれない。







それにしてもどデカイ設備である。さすがは国立。








			ここには第一展示室から第五展示室まで、日本の歴史が通しで見られるようになって
			いる。第一展示室には、日本列島に人類が登場した旧石器時代から、律令国家が成立
			した時代まで、日本文化の形成過程が展示されている。縄文土器の数々、大陸との交
			流を物語る弥生時代の金属器や古墳時代の遺物、神社祭祀の原点を示す沖ノ島の奉納
			品、平城宮の模型や正倉院文書など。殆どはレプリカや復元品だが、大まかに時代を
			理解するには十分である。しかしあまりに広くて、私は第一展示室を見るだけで精一
			杯だった。



日本各地の土器の様相。




			前回来たときには時間が無かったせいか、それとも何か先入観があったのかあまりい
			い印象は持たなかったが、今回訪れて驚いた。こんなにも展示物が並んでいたっけ、
			結構面白いものもあるやん、と認識を新にした。上右の像は、縄文時代のビーナス
			(約4200年前、縄文中期)。勿論レプリカである。






			東福寺は昔のお客さん任天堂のすぐ側だったのでよく行った。秋の紅葉時にはこの世
			のものとは思えないような美しさである。しかしこの模型制作の費用が4千万円と聞
			けば「うう〜む」とうなってしまう。おれの税金がここに。














			羅城門の復元模型。平城京の入口の正門で、高さが20mあまりあった。 都城には役
			人が集住し政治・経済・文化の中心となった。
			8世紀初め、奈良に中国風の都である都城(とじょう)がつくられた。平城京である。
			平城京は、東西5.9kmの広さをもち、道路を碁盤の目のように通した計画都市であ
			る。道幅が70mもある朱雀大路、青や赤ではなやかにいろどられた建物とつらなる白
			い壁。そうした都の美しさに、当時の人々は目を見張ったことだろう。





















































青森県三内丸山遺跡の復元家屋。
5500年前から4000年前(縄文前・中期)までの約1500年間続いた大規模な村の跡である。








			上左は高床倉庫(1世紀)の復元。どこの遺跡のものかは見落としたが、稲の穂を摘んで収穫し、
			たくわえるための高い床をもつ倉である。日本の多くの弥生遺跡から発見される。河内さんの
			おじさんの鳥越憲三郎氏は、この高床式建物こそ、日本人が東南アジアから来た証拠だと主張
			していた。稲は日本列島に自然に生えていた植物ではなく、大陸から伝わってきたもので、弥
			生時代に本格的に栽培がはじまった。










			横浜の大塚遺跡(前1世紀) のジオラマ。関東における代表的な環濠集落。村のまわりに濠と
			土塁と柵をめぐらせた、環壕集落の典型的なかたち。以前、これまた出張の帰りに寄った時の
			レポートが「遺跡巡り」にある。







銅鐸。弥生時代の儀式に関連する青銅器。筒状で裾の広がった身と鈕(ちゅう)からなる。




























			古墳は3世紀から7世紀にかけてつくられた、王とそれにつかえた豪族たちの墓である。
			もっとも大きな前方後円墳は、長さが486mに及ぶ。ここでは、古墳の形や出土品の
			ちがいから、日本列島各地にいた人々のつながりや東アジアでの交流を考え、古代に国
			家が出来るまでのようすを理解してもらえるように展示している(そうである)。

















会津大塚山古墳からの出土物。東北へ拡大した前方後円墳の中でも大規模なもの。「遺跡巡り」に訪問レポートがある。









箸墓(はしはか)古墳の墳丘模型。3世紀。出現期の前方後円墳
の中で最大の大きさをもつ前方後円墳。墳丘長が276mある。















長持型石棺(5世紀)。群馬県お富士山古墳の数個の石材を組み合わせた長持型石棺。



































上左が午前中に見てきた「岩屋古墳」の石室である。




			帰りは電車での方が早かろうというので、友人宅へ行くという西本さんを除く三人で、京成
			電鉄で羽田空港へ。確かに早かった。
			コマツさん、河原さん、三日間ありがとうございました。車がなかったら、とてもこれだけ
			の距離を移動して見学することは出来なかっただろうと思います。お世話になりました。
			錦織さん、杉本さん、西本さん、おつかれさまでした。またリターンマッチしましょうね。




さぁ、博士になりたい人は寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。










			国立歴史民俗博物館  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に加筆

			国立歴史民俗博物館は、大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営する博物館である。
			平たく言えば「大学院大学」だ。法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項並び
			に第5条である。
			日本の文化、歴史、民俗について総合的に研究・展示する博物館である。通称、歴博(れ
			きはく)。佐倉城趾の一角にある。

			日本には明治時代から東京、京都、奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館(のち
			の国立博物館)が存在したが、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意
			見は早くからあり、歴史学者の黒板勝美はすでに昭和戦前に国立歴史博物館の必要性を訴
			えていた。しかし、国立の歴史系博物館の設置構想が具体化するのは第二次世界大戦後の
			ことであった。1966年、日本政府は「明治百年」記念事業の一環として歴史博物館の設置
			を決定し、以後、学識経験者らによって建設地、展示内容などが検討されはじめた。1971
			年には文化庁内に博物館設置のための基本構想委員会が置かれ、1978年には同じく文化庁
			内に国立歴史民俗博物館設立準備室が設置されて、ようやく開館へ向けての準備が本格化
			した。同準備室の室長は歴史学者で東京大学名誉教授の井上光貞であった。「考古、歴史、
			民俗」の3分野を展示の柱とすること、博物館は大学共同利用機関とし、調査研究機能を
			充実することといった歴博の基本コンセプトは、井上の発想によるところが大きい。

			国の機関としての国立歴史民俗博物館は1981年に発足し、井上光貞が初代館長となった。
			ただし、博物館としての一般公開が始まるのは2年後の1983年3月のことである。初代館長
			であり、歴博の設置準備において終始指導的立場にあった井上は一般公開開始直前の1983
			年2月に急死し、東京大学文学部教授の土田直鎮(なおしげ)が2代館長となった(土田も
			館長着任期間中の1993年1月に急死した)。その後、歴史学者の石井進、考古学者の佐原
			真、歴史学者の平川南らが館長を歴任した。

			歴博は開館当初から国立大学共同利用機関として位置付けられた。歴史資料の展示公開を
			行うことが歴博の重要な業務であることは言うまでもないが、歴博は展示施設であるとと
			もに考古学、歴史学、民俗学の研究機関であり、他の研究機関や大学と共同で研究を推進
			し、調査研究の基盤のもとに展示を行うことが重視された。

			歴博は組織上も研究を重視し、開館当初は情報資料研究部、歴史研究部、考古研究部、民
			俗研究部が置かれた。このうち情報資料研究部は展示資料の材質、技法、保存修復、博物
			館運営におけるコンピュータの活用、展示手法の研究などを行う部門であり、歴史研究部、
			考古研究部、民俗研究部の役割は読んで字のごとくである。各研究部はそれぞれ4から6の
			部門に分かれ、それぞれの部門に教授、助教授、講師が配置された。2004年に歴博が大学
			共同利用機関法人人間文化研究機構の所管になるとともに、研究組織の改組が行われ、
			「研究部」のもとに情報資料研究系、歴史研究系、考古研究系、民俗研究系が置かれるこ
			ととなった。

			歴博の展示は概論的なものになることを避け、各時代ごとにその時代を象徴するようない
			くつかの事物(弥生時代であれば「稲作」、古墳時代であれば「前方後円墳」など)を取
			り上げたテーマ展示が主体となっている。展示室は常設展示の第1〜第5展示室と、企画展
			示室に分かれている。常設展示は対象を高校生以上と想定し、復元模型やレプリカを多用
			しているのが特色である。日本の文化財は紙、木、繊維など脆弱な素材から成り、常設展
			示に耐えないものが多いため、実物とほとんど見分けのつかない精巧なレプリカが活用さ
			れている。2008年現在の展示は以下のような構成になっている。

			第1展示室(旧石器時代〜奈良時代)日本文化のあけぼの / 稲と倭人 / 前方後円墳の時
				代 / 律令国家 / 沖ノ島 
			第2展示室(平安時代〜安土桃山時代)王朝文化 / 東国と西国 / 大名と一揆 / 民衆の生
				活と文化 / 大航海時代のなかの日本 / 印刷文化 
			第3展示室(江戸時代)国際社会のなかの近世日本 / 都市の時代 / ひとともののながれ 
				/ 村から見える「近代」/ 絵図・地図にみる近世 / 寺子屋「れきはく」(体験
				コーナー) 
			第4展示室(民俗展示「日本人の民俗世界」)都市の風景 / 村里の民 / 山の人生 / 海辺
				の民 / 南島の世界 / 再生の世界 
			第5展示室(明治時代〜昭和初期)文明開化 / 産業と開拓 / 都市と大衆の時代 

			歴博の収蔵品は「収集資料」と「製作資料」とに大別される。「収集資料」は言うまでも
			なく実物資料であり、古文書、古記録、絵図などの歴史資料、考古資料、民俗資料などが
			主なものである。「製作資料」は、建造物の模型、古墳、町並み、集落などの復元模型、
			考古資料など各種遺物の模造(レプリカ)などがある。
			収集資料(実物資料)については、開館時に文化庁から歴博へ管理換えになったものが大
			部分を占めている。なお、2004年をもって博物館が国有施設から独立行政法人へ移行した
			ことにより、文化庁買上げ品(=国有財産)が歴博へ移管されることはなくなった。
			収蔵品中には個人のコレクションが一括して収蔵されたものがあり、特色あるコレクショ
			ンとしては以下のものが挙げられる。

			野村正治郎収集近世衣装コレクション(小袖、宮廷衣装、櫛、髪飾りなど)
				-1973-74年度文化庁買上げ 
			秋岡武次郎収集古地図コレクション-1975年文化庁買上げ 
			紀州徳川家旧蔵雅楽器類-1972年文化庁買上げ 
			上田綱治郎収集甲冑武具コレクション 
			田中教忠収集古典籍類 

			歴博の常設展示においては、レプリカが多用され、実物資料の展示はきわめて少ないのが
			現状である。実物資料については「紀州徳川家伝来の楽器」展のような折々の企画展示で
			まとまって公開されることがあるが、こうした機会を逃すと、実見する機会は少ないのが
			実情である。





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