Music: and I love her

歴史倶楽部 第136回例会
東京国立博物館 東洋館 2008.11.22(金)


			勇んでやってきた博物館だったが、何と「考古館」は模様替えのため来年3月位まで閉館中であった。
			トホホ。みんな楽しみにしていたのに何たる事。仕方がないので「東洋館」を中心に見学したが、ここ
			を見るだけでももう閉館時間になってしまった。「考古館はまたリトライしよう」とみんなで約束した。
			さて、次に来るのはいつになることだろう。





重厚な造りの本館玄関。ここは主として美術・工芸品の展示である。



 

本館正面の玄関にある階段。これだけでもスゴイ。




			「粋な姉ちゃん、長電話」の後ろに見えているのが「東洋館」。エジプト、中近東から東アジアまでの
			あらゆる遺物が目白押し。大きな切妻風屋根の和風建築。昭和48年(1968)に開館した。内部は吹き
			抜けになっており、1階から3階に、中国、朝鮮半島に始まって、東南アジア、西域、インド、西アジ
			ア、エジプトと、広範囲の古美術品、考古資料が並んでいる。
			さすがはわが国NO1の博物館である。何のかんの言っても、ここに並んでいる資料には圧倒される。
			絵画、書跡、彫刻および陶磁、染織、漆工、金工などの工芸作品、ならびに考古遺物が地域・ジャンル
			ごとに展示してある。



あまりに膨大な量なので解説はしません。見にくい展示説明と、後はご自分でNETで調べてください。あしからず。



インド・ガンダーラ・中国彫像




「重要文化財 菩薩立像」 山西省長子県附近 材質=石灰岩 北斉時代・天保3年(552)








			浮き彫り 弥勒三尊像  中国、陝西省西安宝慶寺 石灰岩 唐時代 8世紀

			宝慶寺石仏群と呼ばれる30余点の浮き彫り仏像のひとつ。宝慶寺は明時代の長安城の南門(永寧門:
			今も西安に現存する)近くにあった寺で、現在もせん塔が残っている。しかし、いくつかの作品に残
			る銘文を見ると、もともとは唐の長安城の大明宮のすぐ南にあった光宅寺に安置されていたもので、
			制作時期は長安3〜4年(703〜704)であることが分かっている。
			光宅寺は、儀鳳2年(677)にその地から仏舎利が発見されたという奇跡を記念して建てられた寺であ
			る。中国唯一の女帝、武則天(在位690〜705)はここに七宝台を建造し、石仏群はその荘厳の為に制
			作された。この作品は、如来 イ奇 像(いぞう:腰掛けた姿の像)と両脇侍からなる三尊像で、類似
			する他の作例との比較から、中尊は弥勒如来であろうと考えられる。三尊形式の作品は他に、阿弥陀
			三尊、降魔印を結ぶ如来三尊像などがあり、その他に十一面観音菩薩立像の単独像も造られている。


















			上左は、明治37年に、当時のエジプト考古庁長官ガストン・マスペロ氏から寄贈されたもの。エジプ
			ト・テーベ出土、新王国時代第22王朝、前935〜前730。亜麻布を貼り合わせたカルトナージュ
			棺に入っていたが、到着後に切り分けられ、「身」と「蓋」のような形になっている。棺表面にかけら
			れた黒い液体によって、特に「蓋」部分は何も見えない状態になっているが、赤外線による調査では、
			様々な色絵の具で文字や絵が描かれているそうである。






































			船の模型    上エジプト出土 彩色木彫り 中王国時代 前2000年頃

			古代エジプトでは、船のモチーフは王朝時代以前から現れている。この作品は、同じ墓から出土した
			6体の模型の一つで、他に作業場の模型や、倉庫で働く人々の模型などがある。これらは死者のた
			めに働くものとして、ミイラとともに墓に収められた。




			緑釉犬(りょくゆうけん)  中国 後漢時代

			緑色の釉薬をかけた陶器の犬。何者かに向かって吠えている。誰に吠えているのでしょう。それは
			この陶器が副葬された、主人の墓を暴こうとする者に対して吠えているのである。漢時代には、墓
			の中に、死後の生活に備えて建物、器具、召使い、家畜などの土製品を副葬するのが流行した。
			この犬も番犬として墓の中に収められたものである。
			体に比べて頭が大きく、四本の足は細くて短い。首と腹にベルトをして、そのベルトには渦巻き型
			のスタンプが押してある。もしかしたら家紋かもしれない。首の後ろにヒモを通す輪っかが付いて
			いる。墓の主は、生前こうして犬を連れて散歩を楽しんでいたのかもしれない。豚のような尻尾が
			ご愛嬌。







中国・東南アジア







































































































			揺銭樹(ようせんじゅ)   中国 青銅 台座:緑釉陶 後漢時代 1〜2世紀

			青銅で出来た組み立て式の木が枝を四方に伸ばしている。「お金のなる木」そのままで、枝に飾ら
			れた数多くの銅銭は、揺銭樹の名前の由来である。銅銭のほかにも、龍、鳳凰など天界にすむ動物
			や神仙の文様も枝に表現されている。更に頂上では、玉を銜えた仙鳥が翼と尾羽を広げ、台座には
			羊にまたがる仙人が表されている。
			揺銭樹はもっぱら副葬品として造られた。そのため死者に富をもたらす木、或いは死者を天界へと
			導く木であったと考えられている。中国西南地方で、後漢時代から三国時代(1〜3世紀)にかけ
			ての墓から出土するが、バラバラの破片での出土が多く、完形品は極めて貴重である。
























































































			透彫冠帽(すかしぼりかんぼう) 伝・韓国慶尚南道昌寧郡出土 金銅 三国時代 6世紀

			昌寧は、朝鮮半島の東南部、洛東江中流のほとりである。三国時代には「比斯伐(ひしばつ)」と
			呼ばれ、5世紀中頃から6世紀初めにかけて、新羅の影響下にありながらも巨大な勢力を誇った。
			この冠帽は6世紀前半頃のもので、新羅の勢力の中でも高い地位を誇っていたことを示している。
			斜格子と龍文の透かしがある帽子の左右に翼のような飾板がつき、頂部には細長い鳥翼形の飾りが
			立っている。左右と頂部の飾板は両面や縁を歩揺で飾っている。帽子の左右2枚の板を留める覆輪
			(ふくりん)の内部には綾(あや)の断片が遺っているので、本来は冠帽の内側に美しい布をあて
			ていたのであろう。この冠帽のほかに、金銅の耳飾や履(くつ)、金の腕輪、金装の環頭太刀など
			多数の副葬品が出土している。



























ライトアップされた国立博物館。当然ながら、日が暮れるのは東京の方が早い。



全員で記念撮影。これは合成ではなく誰かに写して貰ったもの。



上野の西郷さんを見たことがない、という杉本さんのために寄り道して記念撮影。これは合成。さて誰を。



上野の居酒屋さんで本日の反省会。このあと、コマツさん河原さんは帰宅。我々は河原さんの案内で川口へ。





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