Music: 煙が目にしみる

大岩山古墳群

第170回例会 滋賀県野洲市






博物館の裏手にある「銅鐸出土地」へ行く






	<大岩山銅鐸出土地>  所在地: 野洲市大岩山 

	・遺跡概要
	大岩山銅鐸出土地は、神体山三上山(しんたいざんみかみやま)から続く大岩山麓に位置する。出土地点は、昭和38年に東海道新幹線
	の建設に伴う土取りのため削り取られ消滅しているが、かつては、標高150m(比高差約70m)の丘陵が平野部に突き出るように伸びていた。
	明治14年に偶然のきっかけにより14口(こう)の銅鐸が発見された。この中には高さ日本最大の銅鐸も含まれている。この時に見つかっ
	た銅鐸は世界各地に散逸(さんいつ)し、国内に9口(こう)、アメリカに3口、ドイツに1口が保管され、1口が行方不明になっている。
	その後、昭和37年に少し離れた地点から10口の銅鐸が新たに発見された。この時に見つかった銅鐸は滋賀県の所有となり、一括して重
	要文化財に指定されている。 




	・遺跡の特徴
	大岩山からは合計24口の銅鐸が出土している。これらの銅鐸のうち、昭和37年発見の流水文銅鐸(りゅうすいもんどうたく)1口が、最
	も高い尾根上に埋められ、同年発見の9口が約50m下がった斜面に、さらにここより北西に約40m下った地点に明治14年発見の14口が埋め
	られていた。銅鐸は、発見時の記録や付着した錆(さび)の様子から大中小3個の銅鐸を入れ子(いれこ)状態にして埋められていたよ
	うである。
	いずれの銅鐸も新しい時代の特徴を示しており、2世紀後半から3世紀前半(弥生時代後期)のものである。これらの銅鐸は、大岩山前面の
	平野に拠点を置いた首長(しゅちょう)が、周辺の村を統合して大きな村(クニ)を形成した時に、各村の宝である銅鐸を集め、治(お
	さ)めた村々を見渡す高台に埋納(まいのう)したとの考えもある。 
 








史跡宮山2号墳




	◆史跡宮山2号墳◆
	銅鐸が出土した銅鐸博物館の周辺には、古墳が連綿と築かれている。一般に「大岩山古墳群」と呼ばれているが、博物館の敷地の一
	角にある、史跡宮山2号墳は国史跡大岩山古墳群8基の中でも最後の首長の墓と考えられる古墳で、大きな石を使った石室の中に石
	棺が安置されている。石室の中に入って見学することができる。
	特色ある家形石棺が納められている円山古墳・甲山古墳や、前方後円墳の天王山古墳からなる桜生史跡公園が近くにあり、さらに大
	塚山古墳・冨波古墳(前方後方墳)・古冨波山古墳・亀塚古墳が広がっていて、この地方屈指の古墳の参集地である。












































	橋本さんがよく「井上さん、墓は古墳を作ったらどうや?」と言う。おもしろいかもしれない。小さな山を買って、前方後円墳に
	してこんな石棺を作って中に収まる。携帯やVIDEOやパソコンを副葬品にして、「500年間は開けるな」と遺言しておく。
	しかし、500年後に私の子孫は果たしておるのかな。

















大塚山古墳




	大塚山古墳	おおつかやまこふん  帆立貝式古墳 

	径約60mの円墳に2つの造出しを持つ帆立貝式古墳。墳丘の周囲を濠がめぐり、葺石、埴輪を備える。出土した埴輪のほとんどは円筒埴輪
	で、その他に朝顔形、家形、鳥形、蓋形埴輪がある。5世紀前半頃の築造。









クリックして頂けば、多少ワイドになります。左上はゴミではありません。鳥です。







	標高100mの扇状地に築造されている。保存整備事業に入るまでの古墳は、墳丘の一段目が水田に、二段目が畑に、三段目は樹木が茂
	り、周囲の水田は馬蹄形に広がり、西方に次第に低くなっていた。発掘調査によって、古墳は、円丘部が径57m、高さ8m、造出は長
	さ8.5mで、周囲へは幅13〜20mの濠が巡り、5〜10mの外堤をはさんで外側にも幅3m以上の溝が確認できた。また、葺石、
	段築、埴輪をもつ5世紀前半の帆立貝形古墳であることが判明した。






	北西に張出した造出は、西側が幅22m、東側が幅11mで、二つが東西に横並びとなり、東側の小さな造出周辺から、円筒埴輪のほか、
	鶏、船、家、蓋、水鳥などの形象埴輪がまとまって出土した。墳丘は盛土によって築かれ、墳頂部からは埋葬施設の輪郭を確認した。











墳頂からは、ガラスの小玉やトンボ石、勾玉や刀子形の滑石製模造品、短甲、鉄鏃、須恵器などが出土している。



















桜生史跡公園


	
	桜生史跡公園(さくらばさましせきこうえん)

	「桜と生」で「さくらばさま」と読む。どう考えても読めない。「国史跡大岩山古墳群」のうち、6世紀を中心とした、全長50m
	の前方後円墳である天王山古墳、直径28mの円墳である円山古墳、直径30mの円墳である甲山古墳、があり、いずれも近江を代
	表する後期古墳である。とくに「円山古墳」と「甲山古墳」では、横穴式石室の内部に熊本県阿蘇から産出した凝灰岩をくり抜いた
	家形石棺や大阪府と奈良県の境に位置する二上山で産出する凝灰岩をもちいた組合式石棺を見学することができ、石室に近づくと解
	説アナウンスが流れる。
	また、古墳の周辺には地形模型や案内所、駐車場を整備して古墳や自然観察、地域学習の場として利用することもできる。 

	◎電話 : 077-587-4234 
	◎所在地 : 野洲市小篠原4番地1 
	◎交通案内 : 国道8号「希望が丘文化公園」交差点から南西に400m。近江バス「村田製作所・花緑公園」行「三ツ坂」または
		  「辻町」下車徒歩10分。 
	◎開園時間 : 9:00〜17:00(入園は16:30まで) 
	◎休園日 : 月曜日、祝日の翌日、年末年始等(1・2月は土・日・祝日のみ開園) 
	◎料金 : 無料 

	● 利用 
	案内所
	甲山古墳墳丘土層剥ぎ取り展示/遺物複製展示/大岩山古墳群写真パネル展示/古墳紹介ビデオ上映/円山古墳石室映像 
	園内
	周辺地形模型露出展示/古墳分布図/綜合案内板/古墳解説板/樹木プレート/ベンチ等完備 
	駐車場
	旧中山道側に駐車(10台)・駐輪場完備 



















円山古墳




	円山古墳	 まるやまこふん  円墳  桜生史跡公園内

	径約30m、高さ約8mの円墳。墳丘に段は見られず、葺石、埴輪なども確認されていない。埋葬施設は片袖型の横穴式石室で、全長約10.8m。
	凝灰岩製の刳貫式家形石棺と組合式家形石棺が納められている。出土品はガラス玉や武器・武具、馬具、装身具、飾金具など1万点近くに
	上る。6世紀初頭の築造。国指定史跡。「大岩山古墳群」の1基である。














	西側に入口をもつ石室は、奥に向かって天井石が1石づつ階段状に低くなり、床も斜めに下がる約6mの通路(羨道)がる。玄室は、奥
	壁に向かって左側に袖をもち、長さ4.3m、幅2.45m、高さ3.1mを測り、床には玉石が敷き詰められている。
	玄室入口側に、長さ2.85m、幅1.43m、高さ1.83mの熊本県阿蘇凝灰岩をくり抜いた家形石棺がある。蓋の縄掛突起は、長
	辺部に2対だけでなく、短辺部にも1対ある。またその奥に、奥壁に沿って二上山産出の凝灰岩で造られた印籠型の受け部をもつ組合せ
	式家形石棺も見つかった。






	盗掘を受けていたが、石室からは約一万点のガラス玉、鉄製冠の立飾、銀製の耳飾などの装飾具類、装飾をこらした刀類、鉄矛、鉄鏃、
	珪甲などの武器や武具、馬具などが出土した。







ここから天王山古墳の墳頂が見えている。

























天王山古墳




	天王山古墳	てんのうやまこふん 前方後円墳  桜生史跡公園内

	全長約50mの前方後円墳。自然の地形を利用した古墳で、墳丘に段は無く、葺石、埴輪なども発見されていない。前方部で花崗岩製の横
	穴式石室が発見されたが、出土遺物などは無い。後円部では埋葬施設は確認されていないが、土師器や須恵器などが出土している。5世
	紀末〜6世紀前半頃の築造。国指定史跡「大岩山古墳群」の1基で、復元整備されている。













古墳は急な斜面である。こうしてみると、ふつうの山のようである。






	大岩山から甲山へ続く丘陵上に、北に前方部を向けた6世紀初頭の前方後円墳である。全長50m、高さ8m、前方部幅25m、後円
	部径24mを測り、前方部の頂きが標高119.9m、後円部の頂きが110.2mと、前方部が後円部より大きく、わずかに高くな
	っている。大岩山古墳群の唯一の前方後円墳である。










	調査の結果、後円部からは明確な埋葬施設は確認できなかったが、盛土内から須恵器や土師器のほか、朝鮮半島の軟質土器や陶質土器
	器台片などが出土した。また、自然地形を整形し墳形を整えた比較的盛土の少ない古墳であることがわかった。
	花崗岩の板石が露出していた前方部からは、西に入口をもち全長4.3m、玄室の長さ2.4m、幅1.0m以上の奥壁に向かって左
	に袖をもつ小さな横穴式石室が発見された。石室は、板石状の花崗岩を積んで築かれており、羨道は狭く短い構造をしている。















甲山古墳




	甲山古墳	かぶとやまこふん 円墳  桜生史跡公園内

	径30m以上の円墳。埋葬施設は片袖型の横穴式石室で、全長約14m。赤色顔料が塗布された凝灰岩製の刳抜式家形石棺が納められている。
	石室内及び石棺内から玉類や武器・武具、馬具、須恵器などが出土。このうち、馬甲や金糸は出土例が少ない貴重なものである。6世紀前
	半の築造。国指定史跡「大岩山古墳群」の1基である。










	標高110mの丘陵先端に造られた6世紀前半の円墳で、直径約30m、高さ10mの規模をもち、内部には、西に開口する横穴式石室
	がある。石室は、奥に向かって下がっている羨道があり、玄室は奥から見て右側に袖をもち、長さ6.8m、幅2.8m、高さ3mの規
	模で、床面には玉石が敷き詰められている。













中央部には、高さ2.6m、幅1.6m、高さ2mの熊本県宇土半島の凝灰岩で造られた家形石棺を安置している。










	装飾具(金糸、銀製くちなし玉、空玉、碧玉製切子玉、ガラス玉)、鉄製武具(甲冑、大刀、矛、鏃、刀子)、馬具(金銅製鏡板付轡、
	金銅製透彫入クモ珠、馬甲)などが出土し、特に金糸、馬甲は珍しいものである。





















桜生史跡公園のすぐ側を走っている新幹線。5,6分に一本、上り下りで新幹線が通る。すごいダイヤである。




	「三日月」なんていう名字は初めて見た。銅鐸博物館から野洲駅までのんびりと歩きながら帰って来た。ここんとこ、
	行きはタクシー、帰りは歩き、というパターンが続いている。二人きりの今回の例会もこれで終了。今回は失敗した。
	関係諸氏の皆さん、ご迷惑をお掛けしました。



















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