Music: 煙が目にしみる
銅鐸博物館
歴史倶楽部 第170回例会 滋賀県野洲市
国道8号線から県立希望が丘文化公園に続く道の途中の右手の一角に、弥生時代の生活文化を学べる体験学習施設として野洲市弥生
の森歴史公園が広がり、その中心に、昭和63年(1988)に開館した銅鐸博物館がある。
銅鐸をシンボルとする野洲市では、野洲市歴史民俗博物館を、通称「銅鐸博物館」と呼び、館内には銅鐸の形や文様・製作年代ごと
の特色を詳しく解説した展示が常設され、古代から現代までの時代の変遷と音の移り変わりが楽しめる内容となっている。平成20
(2008)年にリニューアルオープンし、学習・体験コーナーや常設展示「野洲の歴史と民俗」が新しくなり、市内の大型航空写真も
新設された。
「銅鐸博物館」は、JR野洲駅の北東約3kmにあり、「野洲市歴史民俗博物館」というのが正式名は。である。近くの大岩(おお
いわ)山から明治14年(1881)に出土した銅鐸14個、昭和37年(1962)に出土した銅鐸10個を中心に、銅鐸に関する資料が
展示されている。この中には現存する銅鐸の中で、日本最大のものが含まれており、「野洲市の銅鐸」として広く知られている。
館内は、常設展示が2つと企画展示室が1つあり、企画展・特別展では銅鐸だけでなく、野洲市に関する歴史や民族文化資料が展示
される。この博物館のテーマは「調べ・考え・集め・残し・見て・学ぶ」で、復元された銅鐸を実際に触ったり鳴らせたりすること
ができ、また、隣接する工房では、まが玉作りなども体験できるので、楽しみながら学ぶことができる。まが玉作り、陶芸教室(初
心者向け)、野焼き体験教室、赤米作り体験教室などが開催されている。
近くの大岩山から出土した銅鐸24個を中心に、銅鐸に関する資料や地域の歴史、民俗に関する資料を展示している。弥生の森歴史
公園には復元した竪穴式住居や高床倉庫が立つ。
銅鐸は、明治14年に14個、昭和37年に10個、小篠原の大岩山から発見された。その中には、高さ134.7cm、重さ45.47kg
と日本一の大きさを誇る巨大な銅鐸もあった。歴史民俗博物館は、日本古代史の謎とされる「銅鐸」の謎解明に迫る日本初の博物館。
館内では、野洲市で出土した大岩山銅鐸の展示を中心に、銅鐸の発生から移り変わりや銅鐸の鋳造方法などを興味深く説明している。
また、毎年特別展や企画展、野洲の民具展、古文書展、銅鐸研究会などを開催し、野洲市の歴史・民俗を紹介している。
最初の展示室に入ると銅鐸の原型が飾ってある。銅鐸はそもそも家畜の首に付けたり、棹の先につけて音をならす青銅器として、
中国で4000−3500年前に作られたものである。約2500年ほど前に日本にも伝わったものと推定されるが、日本では当時まだ家畜は
居ず、だんだんとカネだけが大きく豪華になり、祭祀の道具として製作され続け、ついにはこの博物館で見る事ができるような超
大型の銅鐸まで製作する事になった。しかしその銅鐸も、おそらくは新しい勢力に押され弥生時代初期後半には忽然と姿を消す。
今日発見され続けている銅鐸は、一つとして整理された状態のものはない。みな地中から隠されたような状態で発掘される。
これは、銅鐸信奉集団がやみくもに新勢力から隠した事を窺わせる。
銅鐸の製造工程を解説したコーナーに、電動式の銅鐸模型が置いてあった。ビデオの説明に合わせて動き出す。
風鐸。平城京の羅城門の屋根の端にもぶら下がっている。銅鐸の変形と考えられる。
「これが現代の銅鐸」といいたいようだ。
<大岩山古墳から発見された日本最大の銅鐸>
明治14年(1881)滋賀県野洲町大岩山に遊びに来ていた14歳と16歳の少年が大中小3個の銅鐸を発見した。翌日、その話を聞
いて駆けつけた大人達によりさらに11個が見つかり、計14個の銅鐸が発見される。この銅鐸の中には総長 134.7cmという、
我が国で最大長の「袈裟襷紋銅鐸」が含まれていた。銅鐸は直ちに滋賀県令から博物局長に届けられ、東京帝室博物館(現
東京国立博物館)で詳細に調査された。
その後地元の強い要望もあり、2個を東京に残して後は全て地元へ返還されたが全てが散逸し、現在地元には1個も現存して
いない。
この博物館の銅鐸もレプリカである。2個は東京国立博物館にあり、訪問すればいつでも現物を実見できる。残り12個の内10
個については、梅原末治、佐原真氏らの研究により 所在が判明している。しかし国内外の美術館、大学、寺院、個人等に散
在しており、一般人が気楽に見学できるのは上野の国立博物館のみである。滋賀県人は、目先の欲望に負けて、世界に誇る、
日本一の冠たる貴重な文化財を失ってしまったのである。残る2個の銅鐸は現在も行方不明である。(私は秘かに、1個は和
歌山の道成寺にある銅鐸がそうではないかと睨んでいるのだが、歴史倶楽部の和歌山出身の平さんはその話をすると「いや、
あれは和歌山にもとからあるものだ。」と怒る。)
その後時代を経て昭和 37年、小篠原地先(こしのはらちさき)の東海道新幹線の土取工事現場から、計10個の銅鐸が発見さ
れる。明治の銅鐸が散逸してしまった事を知っていた当時の滋賀県文化財課の 水野正好(元奈良大学学長)は、直ちに知事
に掛け合い保存センターを琵琶湖畔に設け、中央と掛け合ってこれを全て滋賀県に残す事に成功した。 そのおかげで、この
時の10個の銅鐸は今も滋賀県蔵としてこの博物館にある。
上下の書き物は、明治14年の発見時に草津警察署に届け出た「御届書」。
明治時代の発見時には、銅鐸を「唐金古器物」と呼んでいた。
<銅鐸博物館>
■開館時間・休館日■ 開館時間 午前9時〜午後5時(ただし、入館は午後4時30分まで)
休 館 日 毎週月曜日・火曜日(祝日の場合は開館)祝日の翌日(土曜日・日曜日、
祝日は開館) 年末年始 12月28日〜1月4日
臨時休館(館内の燻蒸作業期間等)※平成23年は9月7日〜9日
*平成22年4月から火曜日も休館になりました。[平成22年4月〜平成24年3月の2年間のみ]
■入館料■ 大人200円 高校・大学生150円 小・中学生100円(ただし、20名以上の団体は各50円引き)
※市民は入館無料です。[平成22年4月から] ※企画展等により入館料を変更することがあります。
※身体障害者手帳、療育手帳などの交付を受けている方と介護の方には入館料の減免があります。
■交通案内■ *JR琵琶湖線「野洲駅」下車、野洲駅南口から近江鉄道バス
○「希望が丘西ゲート(花緑公園)」「村田製作所」行き、「銅鐸博物館前」下車すぐ、
または「辻町」下車(「銅鐸博物館前」を経由しない場合)徒歩5分。
○「三井アウトレットパーク」行き、「辻町」下車徒歩5分。
■駐車場■ ・大型バス5台・自家用車50台が無料で駐車できます。
・身体障がい者用の駐車場も自家用車2台分あります。
■その他■ ・車椅子用トイレは、博物館及び弥生の森歴史公園(体験工房1階)に。
・館内見学の折には、貸し出し用の車椅子が2台あります。
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