圓照寺
2008年3月16日(日)
のどかな山村の雰囲気の中を「円照寺」を目指してあるく。青い地球マークの写真は山崎さんが写したもの。
乾さんももう「おばぁちゃん」だもんなぁ。正しく「光陰矢のごとし」やね。
道ばたにいっぱいあったキンカン(金柑)。昔はよく食ったなぁ。
圓照寺(円照寺)は山の辺の道沿いにある尼寺である。参道を上がると黒木の門があり、いかにも皇室とのつながりを伺わせる格式の
高そうな寺である。創建は寛永十七年、後水尾天皇の第1皇女であった文智女王が出家してここに移ってきてからとされるが、裏山の
「円照寺宮墓」には、第112代霊元天皇(れいげんてんのう)の皇女の墓もある。代々皇族が門跡になっていて、平成7年4月12
日に80才で亡くなった第十代山本静山(じょうざん)門跡は昭和天皇の妹君、糸子内親王といわれている。
<圓照寺> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に加筆
普門山圓照寺(ふもんざんえんしょうじ:円照寺)は、奈良市にある尼寺。斑鳩の中宮寺、佐保の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる
臨済宗妙心寺派に属する門跡寺院。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿。三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場
する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれているとされる。非公開のため拝観はできない。
寛永17年(1640年)後水尾天皇の第1皇女であった文智女王(幼名、梅の宮)が、22歳で仏頂国師を師として出家し、大通文智となる。
寛永18年(1641年)、大通文智が、京都の修学院の地に草庵を結んだ。明暦2年(1656年)、天皇による修学院離宮の造営によって移
転を迫られ、継母である中宮東福門院(徳川秀忠の娘)の助力により、幕府から 200石(のちに300石に加増)、金1,000両の寄進を得
て、大和国添上郡八嶋の地に移り、八嶋御所と称した。寛文9年(1669年)、現在地に再度移転した。
(歴代門跡)
文智 深如海院大通大師 後水尾天皇皇女
文喜 菩提心院大歓尼大禅師 霊元天皇皇女
文応 清浄院大寂尼大禅師 霊元天皇皇女
文亨 歓喜心院大徹尼大禅尼 桜町天皇養子(有栖川宮)
文乗 常応院大機尼大禅尼 光格天皇養子(有栖川宮)
文秀 最勝心院大知尼大禅尼 孝明天皇養子(伏見宮)
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文孝 廣厳心院秀山尼大禅師 近衛忠煕(旧公爵)養女
文線 大慈心院靜山尼大禅師 山本実康(旧子爵)女 靜山
村上亮順
(伽藍)
本堂(円通殿)−奈良県指定文化財、茅葺。
書院−寝殿造、唐破風の玄関あり。
宸殿−京都御所紫宸殿の古材で建てたとされる。
奧御殿
葉帰庵
(文化財)
木造如意輪観音像−圓照寺本尊。
塑像後水尾天皇像
大和国帯解山村廃寺出土品−重要文化財、奈良国立博物館寄託。
所在地 : 〒630-8434 奈良市山町1312
交通アクセス : JR奈良駅・近鉄奈良駅から山村町行バス「円照寺前」下車徒歩5分
(参照)
第十代山本静山(じょうざん)門跡は、三笠宮崇仁親王の双子の姉妹(絲子内親王)という説もあるが、定かではない。「この世のも
のとも思えないほどの気品で、ただ絶世の一語につきる」と、円照寺を取材に訪れた三島由起夫はその「美貌」を讃えており、小説
『天人五衰』に登場する「月修寺門跡」『綾倉聡子』のモデルともなった。
拝観禁止なのにね。「みなさん、拝観禁止ですよ。」「禁止とはなってないで、いたしておりませんと書いてあるだけやん。」
まぁ、入り口からちょっと覗いてるだけだからいいでしょ。
茅葺の本堂は円通殿で奈良県指定文化財であり、圓照寺本尊の木造如意輪観音像、塑像後水尾天皇像などが安置されている。この寺の
伽藍は本堂 書院【寝殿造・唐破風の玄関】、宸殿【京都御所紫宸殿の古材を利用】、奧御殿、葉庵帰である。大和国帯解山村廃寺出
土品【重要文化財】を奈良国立博物館に寄託している。
上の写真も山崎さんが写したんやろね。マークツケ忘れてる。
<豊饒の海> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に加筆
第一部・春の雪
生まれたときから貴族であることが約束されている松枝清顕。何不自由ない生活を送っていたが、流れるままに流れる生活に何かわだ
かまりを抱えていた。そんな彼にとって、幼馴染で名門の娘である綾倉聡子という女性は、特別な存在であった。聡子もいつからか清
顕を恋い慕うようになっていた。が、ふとしたことがきっかけで清顕は突き放したような態度をとるようになる。だが後に彼は、失望
して洞院宮治典王と婚約した聡子と禁断の恋をしてしまう。やがて聡子の妊娠によって二人の仲は周囲に知れ渡り、聡子は大阪の松枝
侯爵の知り合いの医師の元で子を堕し、そのまま奈良の門跡で出家する(これが圓照寺である)。一方、清顕も肺炎にかかり二十歳の
若さで病死し、二人は二度と会えなかった。
第二部・奔馬
聡子と結ばれることなく清顕が死んでから十九年。彼の親友であった本多繁邦は、大阪控訴院(高等裁判所に相当)判事になっていた。
繁邦は、清顕と同じく三つの黒子を持つ少年、飯沼勲と出会う。清顕の夢日記から、繁邦は彼が清顕の生まれ変わりであると確信する
が、彼は財政界の黒幕を殺害し二十歳で自殺する。
第三部・暁の寺
繁邦は、かつて清顕と親交のあったシャム(タイ)の王子と、そのいとこの故郷である、タイのバンコクに来ていた。そこで彼は、日
本人の生まれ変わりであると主張する、王女・月光姫(ジン・ジャン)と出会う。親友の生まれ変わりを調べるために、仏教の輪廻転
生の世界にも足を踏み入れた繁邦であったが、やがて姫に恋をし、翻弄される。だが、彼女も二十歳で死んでしまう。
第四部・天人五衰
清水港の帝国信号の通信所で働く少年、安永透。八十になった繁邦は、透を清顕の第三の生まれ変わりでないかと考え、養子にする。
やがて成長し、転生の話を知った透は、二十一歳の誕生日に自殺を図るが未遂に終わった。しかし透は命をとり止めた代わりに失明し
てしまう。死期を悟った繁邦は、六十年ぶりに聡子を訪ねるのであった。
天人五衰」の最後で、聡子は「松枝清顕さんなどと言う方は存在してなかったのと違いますか?」と友人の本多に告げる。レーゾンデ
ートルどころか、存在そのものを否定してしまうのである。
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