Music: ゴンドラの唄

第130回例会

東大寺山古墳群・赤土山古墳 2008年3月16日(日)






シャープ研究所の左手に見える、東大寺山。






	<東大寺山古墳群>

	東大寺山古墳群は、3基の前方後円墳を主体に構成されている。東大寺山の頂上に築かれた東大寺山古墳、高瀬川に面した丘陵南面
	の尾根の上にある赤土山古墳、そして丘陵西側の山裾に築かれた和繭下神社古墳である。その他に、昭和44年(1969)のシャープ開
	発センター建設の折に発見された前方後円墳4基、円墳20基などもある。このうち、2基の前方後円墳(東大寺山25、26号墳)
	が工場南側の藪の中に残され、3基の横穴式石室と小石室2基(いずれも6世紀〜7世紀初頭)が丘陵前に移設、展示されている。 




	「シャープ総合開発センター」という研究所、工場、展示場などが一体となった敷地内に保存されている。西吊阪(国道25号線)天
	理インターから500m東、岩屋谷を望む北側の丘陵上に分布する。現在はシャープの事業所があり、その門の手前、右手に移設保
	存されている。工場建設の折に発掘調査され、前方後円墳4基、円墳20基などから、横穴式石室墳22基、木棺直葬2基が確認さ
	れた。うち、前期の前方後円墳の25号と26号墳(いずれも西向き)が工場南側の藪の中に残され、3基の横穴式石室(全長8m
	など)と小石室2基(いずれも6世紀〜7世紀初頭)が丘陵前に移設、展示されている。発掘の際、金環、ガラス玉などの装身具、鞍、
	鐙、轡などの馬具、鉄鏃などが出土した。



弥生時代後期の高地性集落東大寺山遺跡も同じ場所にあった。竪穴住宅跡7棟と集落を巡る二重の環濠が確認されている。





青い千が我々の歩いた経路。図の上方にある「櫟本高塚公園」(図ではカットされている。)で昼食をとった。











シャープの門脇にある「東大寺山古墳群」の移築された遺跡を見て、社宅内を横切って「赤土山古墳」へ向かう。




	<赤土山古墳> (あかつちやまこふん)

	東大寺山古墳群の一角に築造された4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳。かっては前方後方墳と言われていたが、発掘調査により、
	地震による地滑りで墳形が変形していることが判明した。調査では据えられた状態のまま移動した円筒埴輪列が見つかっており、地
	震のすごさを物語っている。1992年に国の史跡に指定された。古墳は金網で囲まれており、どこから登るのかわからなかったので、
	金網の隙間から排水溝のブロックの上を跨いで、古墳前方部の下から墳頂に登った。 

	■所在地;天理市櫟本町赤土山
	■規模;全長104メートルの前方後円墳
	■築造時期;古墳時代前期 



前方部から後円部を望む(上右)。




	南側、高瀬川畔から望む赤土山古墳。全長107mの4世紀後半から5世紀初頭の前方後円墳。地すべりによる崩壊で長らく前方後
	方墳と考えられていた。作り出し部からは、家形埴輪や囲形埴輪が豪族居館を表現する形で整然と並べられていた。 
  



	東大寺山古墳群を構成する大型古墳である。昭和62年から平成2年にかけて範囲確認調査が行われ、平成4年度に史跡指定古墳と
	なった。古墳の規模は残存長103.5m、推定では全長110m程の古墳と思われる。墳形は測量成果から前方後方墳と考えられ
	たが、くびれ部の形状が上下段墳丘とも前方後円状に区画されていたため、墳形の基本形態は前方後円形とされた。なお造り出しを
	後円部先端に築いており双方中円形にも類似している。最初見たとき、郭公さんと「こりゃ双方中円憤じゃないかなぁ。」「そんな
	記録は無かったと思うで、双方中円憤は全国で2例(山野辺の道の櫛墓古墳と、四国香川県の石尾根山古墳)しかないと読んだけど
	なぁ。」などと話していたが、造り出しだったのだ。こんな造り出しなど始めて見た。古墳の築造時期は、前期末〜中期初頃と推定
	されている。


	遺構については後円部の南側から南北11m、東西10mにわたって石敷があり、石敷き面の際には落ち込みに沿って並ぶ柱穴の跡
	がある。出土遺物は6世紀後半頃の須恵器破片が落ち込み付近から出土している。遺構の時期は、出土遺物に須恵器を伴うこと、埴
	輪列を切り込んで築いており、赤土山古墳の築造後に構築された祭祀遺構と思われている。また後円部の南側から朝顔形及び円筒埴
	輪がほぼ原形のまま出土した。




	石製品の種類では腕輪緑色凝灰宕、製鍬形石2点・緑色凝灰岩製石釧2点・玉飾り滑石製勾玉2点・滑石製勾玉16点・滑石製玉杖
	(杖頭部)1点・緑色凝灰岩製杖頭部品1点・緑色擬灰宕製管玉26点・緑色凝灰岩製玉杖(軸部)2点・その他緑色凝灰岩製合子
	(蓋)1点・滑石製品1点・緑色凝灰岩製合子(身)1点・滑石製刀子3点・滑石製剣1点・滑石製太刀1点・緑色溌灰岩製鍬1点
	などが出土している。出土した遺物の中でも珍しい石製品は滑石製の玉杖形石製品である。形態的には琴柱形石製品にも類するもの。
	装飾には表裏が認められ、碧玉や緑色凝灰岩で造られていた琴柱形石製品の古い特徴が認められ、杖などの頭部に取り付けた飾り付
	けといわれている。上右は、発掘時の上空写真。上左が、我々が「双方中円憤」ではないかと疑った「造り出し」。



前方部から和邇の里・奈良盆地を望む。




				2001年12月2日(日) 赤土山古墳の第6・7次発掘調査「現地説明会」

												天理市教育委員会
	1.古墳概要
	赤土山古墳は天理市の北部、檪本町に所在する東大寺山古墳群を構成する大型古墳である。平成10年度より史跡整備事業計画に基
	づき調査を行っている。古墳の規模は前方後円形で、全長は推定110m程の古墳と思われる。古墳の時期は、古墳時代前期末〜中
	期初頃の特徴をもっている。埋葬者は不明。

	2.墳形
	赤土山古墳の墳形は、上下2段築成で築いた前方後円形である。下段築成は、前方部側面において墳形が認められる。上段築成は、
	標高110〜111mの比較的水平なプランで前方部から後円部先端・造り出しまで墳丘を築き、埴輪列を伴う。

	3.遺構について
	(集石遺構について)
	後円部の南側から南北11m、東西10mにわたっておびただしい石敷きが検出されたことから集石遺構とみられる。石敷面の一部
	には柱穴の跡があり、付近で6世紀後半頃の須恵器の破片が出土していることから、赤土山古墳築造後に構築された祭祈遺構と思わ
	れる。
	(埴輪について)
	後円部の南側から多数の埴輪列が出土した。埴輪は、朝顔形と円筒埴輪がほぼ原形のままで出土している。1m深くまで埋め込まれ
	ており、朝顔形埴輪は肩部まで、円筒形埴輪は口縁部まで埋め込まれている。朝顔形埴輪は素焼きで、1mを超える大きなもので、
	ほぼ原型をとどめている。


	1989年の第2次調査で、後円部南東側の墳丘裾から家形埴輪が出土した。さらに後円部 先端の造出しくびれ部から南東にかけ
	て幅3mの段築があり、そこに11棟の家形埴輪が配置されていることも判明した。



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