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櫛玉命神社
歴史倶楽部 第162回例会 2011.1.30(日曜)雪




	
	櫛玉命(くしたまのみこと)神社 奈良県高市郡明日香村大字真弓字宮山51 

   【延喜式神名帳】櫛玉命神社 四座(並大 月次/新嘗)大和国 高市郡鎮座 
   【現社名】 櫛玉命神社 	江戸時代は「八幡宮」と称す 
   【所在地】 奈良県高市郡明日香村真弓51 
   【祭神】  櫛玉彦命 (くしたまひこのみこと) 櫛玉姫命 (くしたまひめのみこと) 天明玉命 (あまのあかるたまのみこと) 
		 豊玉命 (とよたまのみこと) 
   【例祭】  10月9日 例祭 
   【社格】  式内社 大和國高市郡 櫛玉命神社四座  旧村社
   【由緒】  真弓集落南の小高い平地に鎮座。『延喜式』神名帳高市郡の「櫛玉命神社四座」に擬定される。旧村社。近世には八幡
		 社と称したが、明治頃に社名・祭神を変更。式内櫛玉命神社は飛鳥坐神社の裔神と考えられ(貞観10年6月28日「太
		 政官符」類聚三代格)、天安3年(859)1月27日、従五位下から従五位上を授けられた(三代実録)。玉造連がその
		 祖紳を祀ったものと見られているが、櫛玉は奇霊の義か。  -寺院神社大辞典より−
   【関係氏族】玉作連 
   【鎮座地】 移転の記録はない
   【祭祀対象】氏祖 
   【社殿】  本殿春日造彩色銅葺 拝殿 
   【境内社】 若宮社・八坂神社 
	
	拝殿は無く、一段高いところに、瑞垣。中に本殿。創祀年代は不詳。一説に、仲哀天皇の御代、櫛玉彦命の後裔・荒木命に巨勢の地
	三十代を賜って、祖神を祀らしめたという。荒木命は、祖神が高皇産霊神で、その後に櫛玉彦命、天明玉命と続く玉造連の租である。
	江戸初期頃から八幡宮と称されていたが、明治頃に社名・祭神を変更。式内櫛玉命神社は飛鳥坐神社の裔神と考えられ(貞観一〇年
	六月二八日「太政官符」類聚三代格)、天安三年(八五九)一月二七日、従五位下から従五位上を授けられた(三代実録)。玉作連
	がその祖神を祀ったものとみられている。 −『大和・紀伊 寺院神社事典』−

	
	(1).真弓の集落から少し南方に離れた丘陵上にあり、丘の西側を正面として参道は東に向つて直入している。櫛玉は奇
		霊の意味ともいう。室町時代には祭神に変更なく、社名も玉造神社と称していた。江戸時代初期の頃からか、八幡
		宮と称し、祭神も八幡になった。明治に至つてこれが故実にもとる事であるとし、これを古(いにしえ)に復(も
		ど)した。
	(2).奈良県の明日香村にある。飛鳥駅の南西。丘(山)の上に鎮座。拝殿は無く、一段高いところに、瑞垣。中に本殿。
		創祀年代は不詳。一説に、仲哀天皇の御代、櫛玉彦命の後裔・荒木命に巨勢の地三十代を賜って、祖神を祀らしめ
		たという。荒木命は、祖神が高皇産霊神で、その後に櫛玉彦命、天明玉命と続く玉造連の租である。江戸初期頃か
		ら八幡宮と称されていたが、明治になって社号・祭神を元に戻したという。
	(3).『先代旧事本紀』では、饒速日尊は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこあまのほあかりく
		したまにぎはやひのみこと)といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一
		の神であるとしている。ここから饒速日命(にぎはやひのみこと)の別名が櫛玉命(くしたまのみこと)という考
		え方もある。
	
	「玉作連が祖神を祀った。櫛玉は奇霊の意味とも言える。飛鳥坐神社の裔神とされている。延喜式内社櫛玉命神社四座に比定される。
	近世は八幡神社と称したが、明治頃に現社名に変更したと言う。広瀬大社の宮司さんによると、奈良県の櫛玉命は饒速日命と考えて
	差し支えはないとのことである。
	従って、ここでは櫛玉彦命を饒速日命の事と理解しておく。櫛玉饒速日命は物部氏の祖神であるが、蘇我氏隆盛を極め、物部氏が衰
	亡した段階で饒速日命の名を出すのをはばかり櫛玉だけを残したのかもしれない。もしくは、長髄彦が本来の祭神であり、記紀の記
	述の普及により、変更していったのかも知れない。広瀬大社では櫛玉(姫)命は本殿の一つに祀られているが、饒速日命は摂社「饒
	速日命社」に祀られている。」(神奈備にようこそ「物部氏ホームページ」)

	
	祭神の櫛玉彦命・櫛玉姫命は、別名天照国照彦火明櫛玉饒速日命で、物部氏の祖とされる。饒速日命を祀っている神社は、大阪に
	「石切劔箭神社」・交野市の「磐船神社」がある。葛城山の平石にも『磐船神社』がある。
	奈良県では、櫛玉饒速日命を祀る「矢田坐久志玉比古神社」、櫛玉比売命 を祀る「櫛玉比売命神社」がある。櫛玉饒速日命は物部
	氏の祖神であるが、どうして「饒速日命」が抜けて「櫛玉」だけを残したのか、様々な推測を生んでいる、
	前出神奈備氏は、その時代、蘇我氏が隆盛を極め、物部氏が衰亡した段階で饒速日命の名を出すのをはばかり、櫛玉だけを残したの
	かというし、もしくは、長髄彦が本来の祭神であったが、記紀の普及によりその社名を変更した、とかの見方がある。

	『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)
	の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えら
	れる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明
	記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在し
	たことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。

	
	ニギハヤヒ	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	ニギハヤヒノミコトは、日本神話に登場する神。『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記する。
	『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。ナガスネヒコの妹の
	トミヤスビメ(登美夜須毘売)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。ウマシマジノミ
	コトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、
	イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。
	『先代旧事本紀』では、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
	といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとしている。
	『新撰姓氏録』ではニギハヤヒは、天神(高天原出身、皇統ではない)、天火明命(アメノホアカリ)は天孫(天照大神の系)とし
	両者を別とする。饒速日命は古典に「天磐船に乗りて大空を翔行り」の古事に基づき航空祖神とされていて、空の神とも言われ信仰
	を集めている。





境内入口。瑞垣と鳥居。





本殿。



本殿前の拝殿に掲げてあった絵馬。なにかの物語の絵巻のようだ。







上の写真が2回目の彷徨。高取国際高校のほうへ畑の中を突っ切っている。
後ろの道を真っ直ぐ進んでいれば、マルコ山古墳へは5,6分だったのだが。



邪馬台国大研究 /歴史倶楽部HP/ 飛鳥の西を歩く