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飛鳥の西を歩く
歴史倶楽部 第162回例会 2011.1.30(日曜)雪

普段はあまり人も歩かない、マニアックな飛鳥





	
	・日時 : 2011年1月30日(日) AM10:00
	・集合 : 近鉄南大阪線(吉野線)「飛鳥駅」
	・アクセス:<大阪組>
			大阪阿部野橋 09:20〜10:04  飛鳥 6駅 近鉄南大阪線急行・吉野行 690円 
		  <奈良組>
			近鉄奈良09:04〜09:10 大和西大寺 2駅 近鉄奈良線急行・大阪難波行
			09:23〜09:51 橿原神宮前 8駅 近鉄橿原線急行 
			10:00〜10:04  飛鳥 2駅 近鉄吉野線急行・吉野行 560円
	・コース: ・近鉄飛鳥駅 − 許世郡比古命神社 − 櫛玉命神社 − マルコ山古墳 −  真弓鑵子(カンス)塚古墳
	(プラン)  − 牽牛子塚古墳 − 岩屋山古墳 − 近鉄飛鳥駅
		  (時間と体力があれば、この後吉備姫王古墳・猿石などを見学)
	・コース: ・近鉄「飛鳥駅」 − 岩屋山古墳 − 許世都比古命神社 − 牽牛子塚古墳 − 真弓カンス塚古墳 
	(実施)   − 櫛玉命神社 − マルコ山古墳 − 飛鳥駅
	・持参物: 弁当・お茶・替上下着・防寒具・雨具・手袋
	・概要 : 周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳、マルコ山古墳等、多くの後・終末期古墳が点在している。季節を問わず観光客
		  であふれかえる飛鳥だが、この区域は考古学マニア、歴史研究家を除けば、一般客は殆ど歩いていない。発掘調査で脚光
		  を浴びる古墳が出現した「現地説明会」の時のみ、時ならぬ人の行列が出現する。
	・解説  :
		●岩屋山古墳
		 岩屋山古墳は大字越に所在する終末期古墳である。7世紀前期から中期の築造とされている。三段構築で方墳とも天皇陵に
		 よく用いられている八角形とも言われている。南に開口。両袖式。全長約16.7メートル、玄室長4.72メートル、幅2.7メー
		 トル、高さ2.6メートル。 羨道長12メートル、幅1.93メートル、高さ約1.8メートル。玄室入り口は一段低くなっている。
		 明治時代にはイギリス人のウイリアム・ゴーランドが来村し、岩屋山古墳の石室を調査して、「舌を巻くほど見事な仕上げ
		 と石を完璧に組み合わせてある点で日本中のどれ一つとして及ばない」と『日本のドルメンと埋葬墳』の中で紹介している。
		 周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳、マルコ山古墳等、多くの後・終末期古墳が点在している。
		●許世都比古命神社(高市郡明日香村大字越)  この神社については情報がありません。 現地で確かめましょう。
		●牽牛子(ケンゴシ)塚古墳
		 「万葉集」に多く詠まれた真弓丘陵の一画に位置している。墳丘は版築によって築成されている。墳丘の北西部に花崗岩の
		 切石3個が露出しており、これを外護列石とする二段構成の八角形墳の可能性が強い。墓室は巨大な凝灰岩をくり抜いた横
		 口式石槨で、中央部に間仕切部を削り出す二室の複室構造をしており、当初から追葬を意識して石槨を制作したものと考え
		 られる。それぞれの石室の床には長さ1.9m、幅0.8m、高さ0.1mの低い棺台を削り出す。 夾紵棺の破片や七宝金具
		 などが出土し重要文化財に指定されている。 
		 漆と麻布を何度も塗り重ねて作った夾紵棺で、装飾品は「金銅製八花方飾金具」「七宝製亀甲型飾金具」「ガラス玉多数」、
		 そして微量の人骨と歯牙が一本発見されている、墳形が八角形墳と有力視されているうえに、遺物の質の高さを考え合わせ
		 ると、当時即位した天皇の御陵である可能性が高い。斉明天皇の墓ではないかとも言われている。
		●鑵子(カンス)塚古墳
		  直径約25m、高さ5m程の円墳。長さ16m程の片袖式横穴式石室を有する。玄室を中央に、その南北に羨道を持つ形態は珍
		  しい。玄室は長さ6.3m、幅4.2m、高さ4.8mで側壁は持ち送られている。
		 真弓鑵子塚古墳の築造時期は6世紀半ばで、墳丘は直径約40メートルの円墳、石室の床面積は約28平方メートルと判明した。
		 石室の規模はこの時期としては最大規模で、蘇我稲目の墓もしくは、稲目の2人の妻(百済)の墓ではないかといわれてい
		 る。また、渡来系氏族の東漢(やまとのあや)の墓との説もあり。
		●櫛玉命神社
		 櫛玉命(くしたまのみこと)神社 奈良県高市郡明日香村大字真弓字宮山51   
		 式内社 大和國高市郡 櫛玉命神社四座 旧村社
		 御祭神	櫛玉命 櫛玉姫命 天明玉命 豐玉命
		●マルコ山古墳 国史跡
		 対角長約24mの二段築成の六角形墳で、高さ約5mである。直径約15m、高さ約5.3mの二段築成の円墳という記事も
		 ある。墳丘の北側には石敷が巡ることや排水施設の存在が発掘調査で確認された。埋葬施設は、凝灰岩の切石を組み合わせ
		 て築いた石槨で、床や天井部分、奥壁、側壁など計17石で築かれ、天井石の内側は屋根形に掘り込まれている。石室内は全
		 面に漆喰が施されていた。棺は、杉板を銅釘で組み合わせた木棺が想定されており、棺の表面は、黒漆や朱漆によって仕上
		 げられた麻布が張り合わせてある。出土した遺物には、鉄釘や銅釘、金銅六花形飾金具、金銅製大刀金具、尾錠などがある。
		 これら、墳丘、石槨、木棺、出土遺物などから、当古墳は高松塚古墳、キトラ古墳同様、7世紀末か8世紀初頭に築かれた
		 と考えられている。被葬者は特定されていない。皇族クラスの人物と思われる。



	
	岩屋山古墳が駅のすぐ裏だったので、地図の矢印とは逆方向に歩き出したのだが、これが間違いだった。2度も大きく道を間違え、1
	回目は延々と藪こぎをしたあげく、また元の道へ戻ってしまった。2度目は、まっすぐ行けば10分ほどで最終目的地である「マルコ
	山古墳へたどり着いたのに、これまたどういう訳か大きく道を迂回し、それもわざわざ畑の中を突っ切って、延々と遠回りをしてしま
	った。全行程のほぼ半分近くを迷っていた勘定になる。しかし昔に比べると、距離的に少なめのスケジュールにしていたので助かった。
	なんとか「みはる」での反省会が終わって、吹田の自宅に返り着いたのは午後八時頃だった。



近鉄飛鳥駅に集合。この駅も年々きれいになる。



このHPには井上靖さんから提供して貰った写真も掲示していて、その写真には、下隅に上の「靖スタンプ」が押してある。靖さん、Thanks!



	
	上記地図の円内が今回の散策地である。普通飛鳥と言えば近鉄電車の東側をいい、多くの観光客は綺麗に整備された飛鳥を、サイクリ
	ングやウォーキングで散策しているが、見ていただくように、実は西側にも多くの古墳時代人たちの痕跡が残っている。しかし西側は
	山深い事もあってあまり整備もされていず、標識も少ない。マニアックな歴史ファン以外、訪れる人も殆どいない。高松塚古墳や石舞
	台に押されて、このエリアは不遇を託っているように見えるが、しかしながら、ホントはこのエリアにこそ古代史上の重要なヒントが
	潜んでいるように思える。「鬼の雪隠」や「鬼の俎」よりも、「益田の岩船」を見た方が、飛鳥の巨石文化の謎を実感するし、天武・
	持統天皇陵を見るよりも、牽牛子塚古墳のほうが、斉明・天智・天武期における「天皇陵=八角形」説を考えるいい資料となる。そう
	いう意味では、今回の例会こそ、歴史学徒にとってはより「飛鳥を実感する」散策になるはずなのである。

 




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