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摂津富田 富田の酒造・藏開き 2008.2.11 歴史倶楽部有志



	高槻市に住む西本さんから、「高槻・三島の造り酒屋が「藏開き」をしますから来ませんか」とお誘いがあった。「酒」と聞けば
	だまってはいない面々が集合して、たちまち俄宴会が酒屋前の路上で開催された。新しい酒は全くうまい!
	ウイスキーでもビールでも日本酒でも、作りたてが一番うまい。メーカーは「半年おいた頃が」(ビ−ル)とか、「1年後が最高」
	(日本酒)とか、「数年経てばうまさが増します」(ウヰスキー)などというが、私の試飲した限りではどの酒も作りたてが一番
	うまい。これは間違いない。しかし悲しいことに、そういう酒はこういう蔵開きとか工場見学にいってその場で飲ませて貰うしか
	手がない。ウヰスキーの原酒(原料)などは、工場で絞ったやつをそのまま飲むと、「もうこのままあの世に行ってもイイかな。」
	と思うほどうまい。
	さんざん飲んでほろ酔い加減で三島の街を散策した。帰りには西本家に寄ってお父上が集印されていたという天皇陵印の掛け軸を
	拝見させて貰った。私が「天皇陵めぐり」で使用している戦前の陵印と全く同じで、その実物を見れて感激した。おまけに昼食ま
	でご馳走になって、幸せな一日だった。西本さんお世話になりました。奥様、ご母堂に宜しくお伝え下さい。





狭い路上は人であふれかえっていた。おまけにダイコンや菜っ葉売りなども露店を出しているモノだから、満員電車のような人混みだった。





河内さんが昔の女にばったり出会って 「お、何しとん!」 「お久し振り」って、 なわけないか。







普門寺











	囲いがしてあったのを無理矢理頼み込んで拝観させて貰う。最初はシブシブだった住職のご内儀も、話しているうちに服部さんと同
	郷で、おまけに同い年だと言うことで急速に待遇がよくなった。



上右は、「隠元禅師」の額。








	普門寺ではお茶にお茶菓子(寺名入り)まで出して貰って、一同大感激。明の僧「隠元」が、宇治に万福寺を開くまでは此処にいた
	というような名刹でも、農地改革には勝てず現在無檀家である。農地改革で寂れたのは、我が家のような地主だけでなく寺社仏閣も
	同様だったのか。知らなかった。



襖には狩野派が描いたというふすま絵があったが、予算不足で修復出来ないので荒れ放題である。慚愧に堪えない。









重要文化財「観音補陀洛山の庭」(上下)。阿武山を借景に作られた池泉式枯山水の庭園。



















三輪神社














どこでもそうだが、昔は寺社仏閣は相当大きな領域を保持していたのがわかる。







 

酒造りが盛んだったので三輪山から勧請したんだろうな、やっぱり。しかしそれなら嵐山の松尾大社の方がここからは近いが。





もう一軒の造り酒屋「清鶴酒造」












昔ながらの「ヒイラギに鰯の頭」の魔除けが飾ってあってちょっと驚いた。ホントに今でも風習は残っているんだなぁ。





教行寺
























西本家にて





	前から見せて貰う約束をしていた、西本さんの父上がまだ中学生の頃に集めていたという「天皇陵印」の朱印帳(掛け軸)を
	見せて貰った。私が、HP「天皇陵めぐり」で使用している陵印は京都市伏見の方から送ってもらったモノだが、全くそれと
	同じだった。勿論戦前のモノである。実物だ!
	幾つか廻りおおせなかったと見えて欠番があったが、西本さんは「私が廻って補充します。」と言っていた。全部揃ったらた
	いしたもんだが、早くしないともう陵印もだんだん変化していって、お父上の時代とは違ったモノになってしまうかもしれな
	い。しかしそれはそれで、親子二代で集めた陵印としての価値があるからいいか。西本さん、頑張って! 
	しかし、昔はホントに中学生も「皇国少年」だったんだなぁ。建国記念日にこんなのを見せて貰って、なんか象徴的。





戦後は、もう古墳型の陵印などは廃止されている。昔の方が陵印も個性があった。





朱印帳(掛け軸)は、下に陵印位置を印刷した台紙が着いている。以下はその台紙を取り去って撮影したモノ。あまり写りは良くない。









古代の三島








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