Music: end_of_the_world
歴史倶楽部 第171回例会
ヤマトの王と居館展示・記念講演会
2011.11.27(日)
1.神戸大学大学院教授 黒田龍二氏
(黒田氏は有名である。近畿圏の大型建物の復元図には、殆ど氏の復元図が添えられている。もっと爺様かと思っていたら、
意外に若い。)
2.橿原考古学研究所 坂 靖 氏
(坂靖氏は、「さか やすし」という名前かなと思っていたら、「ばん せい」と読むのだそうだ。渡来人かな?
今年4月から博物館に勤務していて、現在「総括学芸員」という役職らしい。その前はどこにいたんやろ。)
黒田龍二氏
<講演を聴いての感想>
なるほどなぁ、「建物を復元する」と言っても、簡単にはいかないのだという事が納得できた。しかし、発掘された柱跡と出土した
部材とによって再現するのだから、簡単にはいかないのも当然と言えば当然である。しかも発掘現場からは、部材となる材木片が出
土する事の方が珍しい。柱跡しかない場合も多いのだ。勿論屋根材が出土する事などまず無い。だとすれば、あとは想像力である。
柱穴の大きさ、深さ、棟持ち柱の有無、建物周囲の様子、等々から、想像し、推測し、創造するのである。諸説あって当たり前だろ
う。
その復元に当たっては、建物の構造や部材の知識が必要なのは当たり前だが、古代建物の場合はおそらく、歴史についても深い造詣
が無くてはなるまい。遠く旧石器時代の人々の居住空間、縄文人の竪穴式住居の構造、弥生時代のムラの構造、居住空間と祭祀空間
の構成の出土例。古代社会の、個から集団への移り変わり、ムラから集落への発展過程。それらの全てが、おそらくは住居の復元と
深い関わりがあるのは間違い無い。
黒田先生も含めて、古代建物に詳しい建築家や歴史家が復元した建物が、果たしてどれほどの信憑性を持っているかと言うことを見
極めるのは、とりもなおさず、それを見る人の歴史観も試されている、と言う事になるのだろう。
坂 靖 氏
Q&Aで質問に答える黒田氏
講演終了後、例(霊?)によって、郭公さんが講師陣に質問している。
<講演を聴いての感想>
橿考研にあって、「マキムクの大型建物は卑弥呼の居館ではない」と言い切るのは、相当勇気が要るのではないかと思ってしまうが、
更に「3,4世紀の近畿に比べれば、北九州の遺跡から出る建物群の方が遙かに大型だ!」「卑弥呼の館は北九州にある可能性が高
い」などと言う話しを聞くと嬉しくなってしまう。「あぁ、近畿にもまともな研究者はまだいるんだ」と思ったし、近畿説の巣窟の
ような橿考研にこういう若い研究者が居ることに、感動すら覚えた。
しかしながら、その後の「豪族達のヤマト王権との関わり」の部分については、あまりにも考古学の成果からのみの論考に陥ってい
るような気がする。「そんな事は文献には書いてないぞ」「それは書記の記述とは違う!」というような部分が多々あって、一事で
言えば、「もっと記紀を読めよ!」という事だろうか。ま、まだ若いし、記紀を読む時間など無いのかも知れないが、今から読んで
いなければ、歳を食ってはもう読めなくなって、橿考研にも多々居る、「近畿圏の、盲目的な郷土史家的考古学者」になってしまう
のではないかと心配する。
もう一度、講習の内容を踏まえて、会場の「大型建物復元」模型を見学する。
三輪山の鳥居を見ながら反省会場へ。また桜井で飲み屋さんを探し回ったような気がするが。反省会、どこでしたっけ?
邪馬台国大研究ホームページ / 歴史倶楽部/ 171回例会・「ヤマトの王と居館」講演会