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歴史倶楽部 第153回例会
新田用水路・常夜灯
2010.4.25 三重県名張市
殿塚古墳から新田用水路に沿って、常夜灯までをあるく。見ていただくように、この用水路は田んぼから遙かに高い堤防の上を流れ
ている。堤の両側が水田である。この付近のすべての水田は、この用水路から水を引き込んでいるのだ。
用水路 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
農業(灌漑)、工業、水道(飲料・生活・消防)、水車や発電機の動力など、主に人間の経済活動に用いるための水を用水(ようす
い)と呼び、この用水を川などの水源から離れた場所に引くために人工的に造られた水路が用水路であるが、用水路の名称に「用水」
が多く使われることもあり、日本語では「用水」「用水路」を厳密に区別せずに用いることが多い。 また、疏水(そすい)とも呼ば
れ、2006年(平成18年)2月3日には、農林水産省が日本の農業を支えてきた代表的な用水を「疏水百選」として選定している。
なお、専ら運送用に使われる水路は運河と呼ばれ、または専ら排水が目的の水路は放水路と呼ばれ、これらは通常は用水路に含まない。
ただし、かつては前述の目的で造られた用水路も、時代の流れに伴う流域住民の生活の変遷により、用途の変更や、役目を終えて埋
められたものも存在する。また、用水路としての役目に代わって現在は流域住民の憩いの場として機能している場合もあり、水路の呼
び名は個別の事情や歴史的経緯に依るところが大きい。
また、コンクリートの実用化や土木技術の進展により、堤防や堰、ダムの建設が相次ぐとともに、既存の用水路もコンクリート護岸化
が進められるなど、治水と利水を兼ねた各種の改修が進められる。
今もこの地域の生命線である水田水路
藤堂藩が開発事業の一環として、この地に開墾の鍬を入れたのは承応3年(1654)とされている。開墾を提案したのは、加判奉行
(かばんぶぎょう)の加納直盛(かのうなおもり)と言う。提案者の彼を中心にして、灌漑用水確保のため上小波田に東ノ狭間(と
うのはざま)池と滝之原(たきのはら)に大池を作った。池が完成したのは翌年の承応4年(1655)である。そして、多くの農民を入
植させ、原野の開墾が行われた。
入植した百姓たちは苦難の連続であったが、藩は百姓の逃亡を防止し、また新田開発の事業を完遂させるために、百姓を無人足にと
りたて、鉄砲組を組織した。無人足とは、碌(ろく)はないが一応武士の身分である。武士の待遇を与えることで開墾農民に誇りを
もたせるとともに、鉄砲組を組織して兵力の増強に役立てた。しかし、新開墾地の成績は良好ではなかった。開墾3年目には農家の
数は185戸あったが、一戸あたりの収穫高は6俵にすぎなかったという。
延宝3年(1675)6月、豪雨のため大池が決壊した。父加納直盛の後を継いで加判奉行となった加納直堅(かのうなおかた)は、大
池の復旧に努めるとともに、これを教訓として高尾出合(たかおであい、現那賀郡青山町)から延々14kmの水路敷設を計画した。
この水路の完成で新たな開墾が進んだという。現在もこの水路はこの地域の生命線となっている。
堤防脇にある初瀬街道の常夜燈
近世になると稲作技術が進展し、石高の向上を競った諸藩の大名などにより新田開発が盛んに進められるようになるが、稲作に欠か
せない水の確保が課題となり、川などからの引水が難しい内陸部へ農業用水を引くための用水路が各所に造られるようになる。
特に、天正年間に豊臣秀吉の傘下で関東へ転封された徳川家康は、江戸周辺での新田開発に注力する。小泉次大夫(こいずみじだゆう)
を用水奉行に登用し、多摩川流域の扇状地に灌漑用水路を巡らせたことで新田開発が進み、米の生産量を大幅に伸ばすことに成功した。
これにより、後に幕府が置かれ、当時は世界一の人口密度であったといわれる江戸の台所を支えた。
伊賀地方の新田用水路は、青山町から美旗新田百町歩に水を引く水路である。延宝年間に完成。新田地区は藤堂藩加判奉行加納親子が
美旗新田を開発したことに始まる。
用水路の歴史や役割を説明した看板を見て、用水路の脇で一服。澄んだ空気の中だと、「あぁ〜、タバコがうまい!」
太古の灌漑農業では主に河川の洪水を利用していたが、紀元前30世紀頃のメソポタミア文明ではチグリス・ユーフラテス川から引水
しての灌漑農業が行われていたといわれており、そのための用水路が築かれ利用されていたと推定されている。また、この用水路は生
活用水の供給や治水のための放水路も兼ねていたと考えられている。
ヨーロッパや中東の平野では、地形から自然引水による灌漑が難しかったり、水が溜まりやすい地域がある。たとえばシリア・ハマで
は、そばを流れるオロンテス川は水量が多く流れも速いが河床が低いために自然引水が難しく、水車などの動力により用水路まで水を
汲み上げてから農業・生活用水を引いている。 逆に、世界遺産に登録されているオランダ・キンデルダイク村の風車群 (The Mill
Network at Kinderdijk-Elshout) などのように、河川より土地が低いために滞水しやすい地域に用水路兼排水路を巡らせ、水が不足
するときは川から用水路へ取水し、逆に余剰となったときは風車で汲み上げて排水することで、かつての湿地を牧草地や花卉栽培等に
利用している地域もある。
北米・南米などに近年多く造られるプランテーション(大規模農園)では、サイフォンの原理を用いた手法や、圧力導水路(管)とス
プリンクラーを用い散水させる方法などが多く用いられている。
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