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歴史倶楽部 第153回例会 女郎塚古墳 2010.4.25 三重県名張市






女良塚塚古墳(じょろうづかこふん)。美しい古墳の形を留める帆立貝式前方後円墳である。



	
	毘沙門古墳から新田水路沿いにしばらく歩くと、およそ250m先に近鉄大阪線の線路が通っている。その跨線橋(こせんきょう)
	まで来ると、杉の木が生い茂った森が前方左手に見えてくる。そこが女良塚塚古墳である。跨線橋からさらに約130mほど歩くと、
	小径から古墳へ降った周濠のなかに、この古墳の概要を記した説明版が立っている。





	
	女良塚塚古墳は美旗古墳群の中で2番目に築造されたと言われている。全長は100mで、5基ある前方後円墳の中では、馬塚古墳
	に次いで大きい。後円部に比べて短くて低い前方部を取り付けた帆立貝式の前方後円墳であるとされている。しかし、繁茂する樹木
	のため、墳丘の形はもう確認できない。毘沙門古墳でもそうだったが、杉林に雑木が混じって繁茂し続けたため、墳丘を著しく崩壊
	させたものと思われる。何とか綺麗に保存できないものかと思うが、どこの自治体も今の世の中先立つものが無い。


	
	この古墳が造られたとき、墳丘には葺石が敷かれ、円筒埴輪や形象埴輪が並べられていたと言う。墳丘の周りには整った周濠が巡ら
	されていて、典型的な古墳だったようだ。古墳時代中期前半の築造と推定されている。
	古墳の周りには周濠の跡が残っており、今は水田として耕作されている。古墳の中で出来た米なんか、今まで見たことも聞いたこと
	もない。「はにわ米」とでも名付けて出荷したらどうだろうか。



水田として利用されている周濠


	
	昭和45年(1970)に、後円部の頂上が荒らされて、埴輪の破片が散乱してしまった。破片はすべて家形埴輪のもので、三棟分はあっ
	たという。そのうちの2棟が復元されて、美旗市民センターで展示されている。大きい方は、屋根の形が入母屋造りで高さが95.
	5cm、小さい方は寄せ棟造りで72cmの高さがある。(この後、美旗市民センターに寄ってこの埴輪を見たが素晴らしく大きな
	埴輪だった。)
	古墳時代、九州の端から近畿地方・関東地方まで、まるでカタログでもあったように画一的な埴輪を作っている。これは一体どうし
	たことなのだろうか。特に家形埴輪など、まるで同じ職人が作ったとしか思えないような同一性を持っている。文化が伝播したのか、
	人々が移動したのか。いずれにしても、この古墳時代に中央集権の下地造りが行われた事は間違いない。



女良塚塚古墳全景


	
	女良塚塚古墳は美旗駅から北東に約800m、馬塚古墳からは約1kmのところにある。馬塚古墳の横にある道を真っ直ぐ北東方向
	に進めば、途中から車道は地道に変わるが、車でもアクセスできる。



この古墳の側にあった土盛り。まさか古墳を崩して残った盛り土ではないと思うが、気になったので写しておいた。



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