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歴史倶楽部 第153回例会 毘沙門塚古墳 2010.4.25 三重県名張市


	
	毘沙門塚古墳は美波多神社の東およそ250mのところに位置している。美波多神社の鳥居の前を流れる新田水路に沿って、田んぼの
	あぜ道をゆくと、すぐ左手に立ち枯れた小山が見えてくる。へぇ、まだ近畿にもこういう林のような処があるんだ、と思っていたらそ
	こが古墳だった。	



	
	毘沙門塚古墳へ向かう新田水路沿いの小径は、古墳散策でなくともすばらしい自然歩道である。右手には水田が広がり、そのはるか向
	こうにはススキで有名名倶留尊(ぐろそ)山や大洞(おおぼら)山がぼんやりと見える。左手を見れば、立ち枯れた木々の林が広がっ
	ている。美旗古墳群が築かれた時代、周囲の景観はどういうものだったのだろう。一面の平原だったのか、それともこのように雑木林
	の原野だったのだろうか。 



	
	持統天皇3年(689)4月、持統天皇があれほど即位させたかった草壁皇子が亡くなる。同年の8月16日、伊勢国伊賀郡の身野二
	万代(40町歩)に禁漁区を設け、守護人を置いたと、『日本書紀』は伝えている。
	身野は「みの」または「むの」と読み、この辺り一帯を指すと考えられている。おそらく皇室の狩猟場または薬草採集地として、一般
	人の立ち入りを禁止したのだろう。そのため、一帯は江戸時代の初めまで原野のまま放置されてきた。 



毘沙門塚古墳の説明版



	
	毘沙門塚古墳は、美旗古墳群のなかでは殿塚古墳、女郎塚古墳についで3番目に築かれた前方後円墳である。全長は65mを測るが、
	その他の計測データは明らかでない。墳丘に葺石が敷かれ、円筒埴輪が置かれていたことが分かっている。その埴輪から、古墳時代中
	期中頃の築造と推定されている。周囲はもともとは空堀だったようだ。だが、周囲の造成で水のはけ口がなくなり、この古墳群の中で
	は唯一水を蓄えている周濠となっている。墳丘上には毘沙門天を祀ったとつたえられる祠(ほこら)の跡があり、これが古墳の名前に
	なった。竪穴式石室の蓋石があると言う。
 




一直線に延びる新田水路沿いの小径



毘沙門塚古墳全景




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