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歴史倶楽部 第153回例会 名張・美旗古墳群 2010.4.25 三重県名張市



	第153回例会 名張・美旗(みはた)古墳群を訪ねて
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	日時 : 平成22年4月25日(日曜日)
	集合 : 近鉄大阪線「美旗駅」9:30集合
	持参 : 弁当、防寒具、雨具
	道筋 : (大阪組)
		 大阪難波 07:47〜07:52 3駅 近鉄奈良線準急・大和西大寺行 鶴橋
		 07:55〜09:14 13駅 近鉄大阪線急行・青山町行 1,110円 美旗
		 (奈良組)
		 JR奈良 08:00〜08:29 9駅 JR桜井線快速・JR難波行 320円 
		 桜井 08:38〜09:14 7駅 近鉄大阪線急行・青山町行 540円 美旗

	見所 : 田園地帯やぶどう畑などの果樹園に沿って点在する美旗古墳群をのんびりと歩く。 	
	          美旗駅〜美旗古墳群〜福田神社跡〜赤井塚古墳〜美旗市民センター〜美旗駅(約10km)



	<美旗古墳群>

	美旗古墳群(みはたこふんぐん)は、三重県名張市の東部に位置する美旗地区にある古墳群である。伊賀地方を代表する古墳群として
	きわめて重要であるとして、1978年(昭和53年)10月17日、国の史跡に指定された。古墳時代の前期から後期にかけて、地域を支配し
	た有力者によって築造され、伊賀地方で最大規模の古墳群が営まれている。現存しているのは、5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ
	円墳1基、方墳1基で、カブト塚・矢羽塚・玉塚などの方墳と円墳の多くは消滅している。

	名張市の北東部、近鉄美旗駅の周辺に点在する。これは4〜6世紀、この地を支配していた豪族の墓で、伊賀地方で最大規模の古墳群
	といわれている。現存している古墳は数基だが、前方後円墳、横穴式石室をもつ円墳、方墳など、さまざまな形の古墳が見られるとあ
	って、古墳に興味をもつ人の穴場となっている。私も昔からこの古墳群は知っていて、一度来てみたかったのだが、古墳よりも鄙びた
	この美旗の自然環境に魅せられてしまった。お天気も良かったし、いい空気の中をのんびり歩いて、古墳以外にも結構見るところがあ
	って、歴史散策を充分に満喫した日曜日であった。

	<見学した古墳>
	馬塚(うまづか) 		美旗古墳群の中で最大の前方後円墳である。近鉄美旗駅のすぐ南側に位置している。墳頂に登ると
					美旗地区が見渡せて、眺望はすこぶるいい。
	小塚(こつか)			水田のなかにポツンとある。小さな円墳か方墳のようであるが、赤井塚が円墳とあるので、ここが
					方墳なのだろう。馬塚の陪怩ニ書かれている資料もある。
	毘沙門塚(びしゃもんづか) 	今はもう前方後円墳とはわからないほどに木々が立ちこめている。しかし空からの空撮を見ると、
					墳形がよく判る。
	女良塚(じょろうづか)     毘沙門塚のとなりにあって、これも前方後円墳とは判らないが、巨大なのでそれと推測できる。 
	殿塚(とのづか)		これこそ墳形を留めていない。周りを現代の墓が取り巻いている。これも空撮だと前方後円墳だと
					いうことが判る。
	貴人塚(きじんづか)		田んぼの真ん中に、まるで模型のような前方後円墳がポツンと1基だけ築かれている。
	赤井塚 (あかいづか) 		民家の側の崖の上に古墳とは判らないような格好で存在している。石室は見えているが入れない。

	<その他の見所>
	新田用水日時計石		昔、水田の時間給水のために使われた日時計。初瀬街道脇、美旗公民館内にある。
	初瀬街道・新田宿町並		かっての初瀬街道の面影を残す家並みが続く。
	美波多神社			美波多神社は、もと元新田村の氏神で美旗地区の神社を合祀したため、神様のオンパレードである。
	新田用水路・常夜灯		青山町から美旗新田百町歩に水を引く為に作られた水路。延宝年間に完成し、常夜灯が建っている。
	滝川氏城跡			滝川氏城跡は、現在は下小波田公園のグランドになっている。
	桜町中将城跡			北畠信雄の命で滝川三郎兵衛が築城。織田信長も入城。この日は発見できなかった。
	福田神社跡(観阿弥創座の跡)	上小波田にある福田神社跡地。観阿弥による能の「創座之地」。現在は「観阿弥ふるさと公園」。
	美旗市民センター		地域のシンボルである馬塚古墳をかたどった特徴のある外観の市民センター。




	実は特急などに乗るつもりはさらさら無かった。予定していた急行に、駅構内のコンビニでパンを買っていて間に合わず、慌てて降り
	ていった目の前を、電車は無情にも出発してしまったのだ。仕方ないので、ギリギリ間に合いそうな次の急行に乗ろうとホームでマン
	ガを読んでいた。そしたらしばらくして、目の前を急行が通り過ぎて行くではないか。次の急行も私を乗せずに出発してしまったので
	ある。マンガを読んでいて、私の立っているホームの位置には急行が止まらないことに気づかなかったのだ。数m先に1号車が止まっ
	ているのに「Big Commic」を読みふけっていた。慌てて「待て、待て−」と叫ぶが、電車は情け容赦なくホームを出て行ってしまった。
	予定時刻に間に合うには、その直後に来る特急に乗るしかなかったのである。それでも少し遅れてしまったので、名張あたりから栗本
	さんの携帯へ遅れると連絡した。身から出たサビとは言え、870円も余計に近鉄に寄付してしまった。クッソー。







画面クリックで大画面
	
	<近鉄てくてくまっぷ 美旗古墳群コース   約10km >

	コース全般を通して、田んぼのあぜ道や畑の中などをのんびりと歩く。アクセントとして旧街道筋や住宅街や道路沿いを歩くが、ほん
	の少しだけだ。美旗古墳群は、伊賀地方の豪族の奥津城と推測され、その中でも美旗駅近くの馬塚古墳はこの地方最大級の規模を誇る。
	古墳の頂上付近からは美旗地区の光景が見渡せ、数体の石仏が古墳の周りにひっそりとたたずむ。馬塚の陪塚である小塚に立ち寄り、
	初頼街道・旧宿場町の町並を経て美波多神社へ。

	美波多神社には、水不足の時に願をかけたと伝わる雨乞い石があり、そこから毘沙門塚・女良塚古墳・殿塚古墳へ向かう。途中、右方
	向にススキで有名な倶留尊(くろそ)山や大洞山の姿が遠望できる。
	新田水路の土手沿いに進むと、かっての主要街道であった初瀬街道につきあたり、辻には往時を偲ばせる常夜燈が残っている。田んぼ
	のあぜ道をのんびり歩いていくと、田んぼの中にポツンと貴人塚古墳が佇む。大型古墳を見慣れた我々から見ると、まるで古墳の模型
	のように思えた。そこから滝川氏の城跡へ行き、そこで昼食を取った後、福田神社の跡へ。

	能楽堂がある福田神社跡には、能楽の観阿弥顕彰碑が建っており、そこから民家の立ち並ぶ集落を抜けていくと、竹林の中に赤井塚古
	墳がある。元来た道を引き返し、国道沿いに(県道かも)美旗市民センターへ寄る。ここには、今日一日、我々が見学した古墳・旧蹟
	の全ての資料があった。住宅街を抜け美旗駅へと向かう。考古学ファンはもちろん、気軽に歴史散策が楽しめる爽やかなコースである。

	この近鉄作成の「てくてくまっぷ57 美旗古墳群コース」は、約10kmのハイキングコースである。しかしこの地図の中のコース
	をどのように歩いたとしても、果たして10kmもあるだろうかという感じがする。明るい日差しが降り注ぎ、風もない暖かい一日だ
	ったのでよけいにそう感じたのかも知れない。標高200mの、高原の史跡探訪を充分満喫できた歴史散歩だった。
	反省会は、例によって樫原神宮駅のホームにある料理屋「きはる」にて。









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